南宮山陣城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 06:55 UTC 版)
南宮山陣城は、関ヶ原の戦いの時に毛利秀元が築いた城である(通称:毛利秀元陣跡)。南宮大社の背後に聳える南宮山、その山頂から東に伸びる尾根筋のピークに築かれている。尾根筋を堀切で断ち主郭と北側の帯曲輪の城域を確立させ、土塁も構築されていた。大垣城方面への視界は極めて良く、逆に関ヶ原方面は南宮山山頂などの樹木に遮られ全く見えない。毛利氏は主戦場を大垣方面と想定しており関ヶ原での合戦を想定していなかったと考えられている。このことは南辺の土塁が分厚く高いことや堀切が南側斜面に対して竪堀となっていることからも分かる。 遺構 土塁、空堀、竪堀、曲輪
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