費漢源とは? わかりやすく解説

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費漢源

清代画家浙江省呉興県の人。諱は瀾、号は浩然享保19年(1734)より宝暦6年(1756)までに数回来日した伊孚九張秋谷江稼圃とともに来舶四大家一人数えられることもあるが、伝存作品少ない。建部綾足らが、その画法学んだ

費漢源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 00:18 UTC 版)

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柳塘漁楽図 絹本墨画淡彩 江戸時代中期 橋本コレクション

費 漢源(ひ かんげん、生没年不詳)はの商人・画家。江戸時代中期、日本に渡来し南宗画様式の画技を伝える。来舶四大家の一人[1]

名は瀾、は漢源。浩然とした。湖州府呉興県の人。

略伝

初の来舶は享保19年(1734年)[2]という。その後、南京船主として宝暦6年(1756年)までの間、数回来泊した記録がある。商人であったが山水図・花卉図・人物図などを得意とし、建部凌岱や楊利藤太に画法を伝授した。後に建部凌岱は自著『漢画指南』安永8年(1779年)の「山水位置之法」において費漢源の画法を論じている。また鈴木芙蓉の模刻による画譜『費氏山水画式』が天明7年(1787年)に刊行されている。滞在期間と比べ漢源の伝存作品は少ない。同じく来舶清人の費晴湖は漢源の同族とされる。

脚注

  1. ^ 伊孚九・費漢源・張秋穀江稼圃の来舶画人をいう。
  2. ^ 『続長崎画人伝』・『玉洲画趣』

参考文献



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