歌風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 07:49 UTC 版)
第一歌集『波動』を上梓した42歳の川島喜代詩はその後記のなかで、「なぜ歌をつくるのか」と自らに問い「歌は生のあかし・・・。歌をつくる営みは世界の深奥とかかわる、この5句31音の詩型が世界への飛翔を可能にしてくれる・・・。歌が生をささえる」と述べている。 20代はじめから佐藤佐太郎の短歌に親しみ、「歩道」に入門した川島喜代詩は、正師の「純粋短歌」の写実に徹し、都会的な景物から次第に自然、世界の事物を見る目を深め、天性のしなやかな語調で自らの生の憂いをうたう短歌を詠んだ。「物を確かに見て、確かに現す」という写実の骨法は次第に深化し、後年には「見ることは気づくこと、こころを留めることであり、うたは物にこころをあずけること、人のこころを温めるもの、こころの器である」と言っている。 川島喜代詩の作歌は20代後半から70代後半にまで及んでいる。出版された7冊の歌集の総歌数は、3337首である。また詠出と歌集刊行の時期に10年ほどの遅れがあって、晩年の未出版の歌数は平成7年(69歳)から平成15年(77歳)までの8年間、800数十首にのぼり未刊のまま残された。
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