歌集発行への執念とは? わかりやすく解説

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歌集発行への執念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)

中城ふみ子」の記事における「歌集発行への執念」の解説

1954年2月初め大雪の降る日であった山名康郎札幌医科大学附属病院看護師からすぐに病院来て欲しいとの連絡受けた。すわ容体急変かと思い病院駆け付けたところ、病状に特変は無かったふみ子山名歌集出版の話を切り出したふみ子生きている間に歌集出したい願っていたのである山名はとにかく作品まとめてみるようにアドバイスしたふみ子はすでに歌集出版向けて準備をしていたと見られ一週間たたないうちに自撰歌集がまとめられた。ふみ子は自ら詠んだ歌に推敲加えた上に、歌集一種物語性持たせるように編集していた。 歌集出版向けて課題となったのは、序文を誰に書いて貰うのかということであったふみ子新墾主催者である小田観螢に頼むのが筋なのだけどと言いながら、本当石川達三井上靖頼みたい漏らした伝えられている。ふみ子希望聞いた山名びっくりした石川達三井上靖も全くつてはないその時北海道新聞連載小説書いていた川端康成の名前が挙がったという。山名北海道新聞記者であり川端康成連載小説担当者であった川端康成ならばつてが効くかもしれない考え山名ふみ子川端心を動かすような手紙添えて歌集ノート送ってみるように勧めた証言している。 一方前述のように川端康成序文書いて貰うことが少女時代からのふみ子の夢であったという証言もある。いずれにしても序文執筆川端康成依頼することとなり、ふみ子3月初めに「花の原型」という仮題をつけた歌集案のノート序文依頼の手紙を川端送った。また川端の他に、ふみ子東京家政学院時代恩師池田亀鑑にも序文依頼していた。池田には3月半ば頃、川端同じく「花の原型」という仮題をつけた歌集案のノートと、ふみ子序文依頼の手紙が送られた。しかし運が悪いこと池田前年から体調悪化著しくふみ子依頼にすぐに応じることは出来なかった。それでも池田序文執筆意欲見せ実際に執筆進めていたが、結局7月出版され歌集乳房喪失」への掲載は間に合わなかった。 序文依頼については川端康成からも池田亀鑑からもなかなか返事が来ない。そうこうするうちに病状次第悪化していた。やむなく序文無し歌集出版の話を進めていくことになったふみ子がまとめ上げた歌集題名については、ふみ子は「美しき独断」、山名康郎は「真紅の馬」そしてふみ子山名の歌友である宮田益子は「赤い幻暈」を候補とした。それぞれふみ子詠んだ歌から採った題名であったが、結局山名意見の「真紅の馬」を歌集題名とすることになった。この時点課題となっていたのは、歌集発行要する資金どのように調達するであった

※この「歌集発行への執念」の解説は、「中城ふみ子」の解説の一部です。
「歌集発行への執念」を含む「中城ふみ子」の記事については、「中城ふみ子」の概要を参照ください。

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