歌集の編纂と題名の由緒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 02:09 UTC 版)
「夫木和歌抄」の記事における「歌集の編纂と題名の由緒」の解説
『夫木和歌抄』は採録された和歌の数が膨大で、なおかつ歌題別になっていて、一部は歌枕のいろは順に掲載されている。これは、後の時代に勅撰集を編纂しようとする際の助けとなることを意図されたものとみなされている。また、和歌を学ぶ者のための参考書となることも目指していたという。後代の写本のなかには「此道に志あらん人のため」に編纂したとの記述もある。 この和歌集がつくられた当時は、京極為兼の主導で勅撰和歌集である『玉葉和歌集』を編纂している時期だった。藤原長清の師、冷泉為相は『玉葉和歌集』の撰者に加わろうと名乗り出たが叶わなかった。藤原長清が『夫木和歌抄』を編纂した動機には、こうした事情も背景にあったものと推測されている。 藤原長清はこの和歌集の題名を決めようとしていた頃、夢に大江匡房(平安時代の歌人)が出てきて「扶桑集」にせよと告げられたという。これを冷泉為相に諮ったところ「扶桑」は日本国の美称であり些か僭越であるとして「扶」の字から「夫」を、「桑」の字から「木」を採り「夫木集」という名にすべしといって決まったものである。
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