歌集「乳房喪失」の出版
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「中城ふみ子」の記事における「歌集「乳房喪失」の出版」の解説
6月22日、合計58回行われた肺への放射線治療が終了した。この日、ふみ子は木野村英之介に別れの手紙を書いている。木野村は札幌医科大学附属病院に入院中のふみ子をしばしば見舞っていた。手紙の中でふみ子はこれまでの感謝を伝えるとともに、木野村にいい結婚をして幸せになってと告げた。 6月20日には出る予定であった歌集の刊行は遅れていた。6月下旬、ふみ子の病状は急変し、高熱を発し容体が悪化していた。容体が悪化したふみ子のもとには子どもたちが駆け付けた。別夫、中城博の家で育てられていた末っ子の潔もやって来た。ふみ子の歌友たちは何とかして生きているうちに歌集を手に出来るよう、東京に電話を掛けて催促した。6月27日、ようやく印刷が終わったばかりの歌集がふみ子の手もとに届いた。ふみ子は早速中井宛に感謝の電報を送っている。 翌28日、中井はふみ子宛に手紙を書いた。歌集出版が遅れてしまったことの謝罪から始まる手紙は、関係者各位には本を送ること、そして改めてふみ子の歌を信じることを表明し、間違っているのは歌壇の風潮の方であると断じ、更にふみ子に生きていなくちゃいけないと呼びかけていた。 病状に差し障ることを恐れた中井は返事は無用であると書いていた。ふみ子は中井の言葉に従わなかった。早速、少しでも長く生きてわたくしの大切な「あしながおぢさん」のためにいい歌をつくらなくっちゃと返信を送った。険悪だった病状はこのときはある程度持ち直し、とりあえず生命の危機を脱した。 「乳房喪失」の発売は7月1日に開始された。初版は800部であったと伝えられている。話題の女流歌人、中城ふみ子の歌集ということもあって売れ行きは好評で、最終的には8版を重ね総計1万部を増刷した。
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