歌麿「雪月花」三部作のひとつとは? わかりやすく解説

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歌麿「雪月花」三部作のひとつ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 14:58 UTC 版)

深川の雪」の記事における「歌麿「雪月花」三部作のひとつ」の解説

品川の月」(所蔵米国フリーア美術館)、「吉原の花」(所蔵米国・ワズワース・アセーニアム美術館)との、「雪月花三部作といわれている。「品川の月」が天明8年1788年)頃、「吉原の花」が寛政3,4年(1791-92年)頃、「品川の月」が享和から没年にかて(1801-06年)と制作時期大きく隔たる。また大きさ不統一で、後の作品のほうが大きい。当初から三部作構想あったか不審だが、「品川の月上部やや右の画中座敷の欄間掲げられた書額に、大田南畝による「てる月の鏡をぬいてまくら こんこん 花もさけさけ」と、雪月花予告する狂歌記されている。三部作栃木描いたか、江戸で描いて送ったかについては不明だが、これほど大きな絵を江戸から送るのは負担がかかり、栃木歌麿作品複数伝わることから、前者可能性が高い。 存在確認できる最古の記録は、明治12年1879年栃木定願寺開かれた展示会小冊子で、そこに「雪月花紙本大物 三幅対 善野氏」とある。「善野氏」とは「釜伊」の釜屋兵衛とされるが、栃木には他にも本家の「釜喜」と「釜佐」とを加えた三家の善野家があったといい、あるいは三家とも三部作制作に関わっていたとも考えられる実際、「品川の月前景右から2人目の女性と「深川の雪前景左から3人目女性に、善野家共通の家紋である九枚笹の紋がある。栃木歌麿を結びつけたのは、歌麿狂歌通じて繋がりのある通用亭徳成(釜喜四代目善野喜兵衛)が尽力した推定されており、三部作制作にも関与した考えられる三作とも落款・印章が無いのが大きなとされるが、これは善野家はじめとする栃木有力者複数スポンサーとして関係し、町の共有物に近い扱いだったと想定される祭礼など共同体にとって特別な行事の折に寺社などの広い空間公開されたとすると、作者明記はかえって邪魔ともとれるからである。 描かれているのが深川だと判断できるのは、画面上部右の前屈み大きな袋を担いだ女性存在である。これは遊女として呼ばれた芸者のために、客と過ごす閨の寝具を抱主の置屋深川では「子供屋」)から料亭に運ぶ「通い夜具」を表しており、当時吉原品川にはない深川独特の風習である。その前にいて振り返る女は、黒塗り三味線箱を持つ「箱屋」である。本来は共に男性役割だが、美人画歌麿らしく女性として描かれている。化粧法としては、当時最先端笹色紅がふんだんに用いられている。同時代浮世絵版画では見かけない化粧法だが、歌麿肉筆画には「更衣美人図」(出光美術館)や「文読む美人図」(大英博物館)など、同様の美人図複数確認できる

※この「歌麿「雪月花」三部作のひとつ」の解説は、「深川の雪」の解説の一部です。
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