歌風と享受
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「新古今調」といえば、唯美的・情調的・幻想的・絵画的・韻律的・象徴的・技巧的などの特徴が挙げられる。定家の父・俊成によって提唱された幽玄、有心の概念を、定家が発展させて「余情妖艶の体」を築き上げ、これが撰歌に大きく反映されている。また、鎌倉幕府成立以降、政治の実権を奪われた貴族社会の衰退の中で、滅びや自然への見方に哀調があると指摘される。また、このころは題詠が盛んに行われていたことにより、より華やかな技巧にあふれている。題詠によって現実的な心情変化の歌ではなく、定められたお題の中でより複雑に工夫された象徴的な歌が主流になっていった。特に、上代以来の数々の和歌の歴史が可能にした数多くの本歌取りに特徴がある。また技法として、余韻・余情をかきたてる体言止め、七五調の初句切れ・三句切れなどが使われている。 『古今和歌集』を範としてそれまでの七代集を集大成する目的で編まれ、新興文学である連歌・今様に侵蝕されつつあった短歌の世界を典雅な空間に復帰させようとした歌集であり、古今以来の伝統を引き継ぎ、かつ独自の美世界を現出した。「万葉」「古今」と並んで三大歌風の一である「新古今調」を作り、和歌のみならず後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残した。 しかし近代以降、『新古今和歌集』を含めた勅撰和歌集への評価は一変する。アララギ派の祖である正岡子規が『歌よみに与ふる書』のなかで『古今和歌集』を「くだらぬ集」と激しく罵倒し、『新古今和歌集』についてもその歌が「(『古今和歌集』よりも)ややすぐれたりと相見え候。古今よりも善き歌を見かけ申候」というものの、その「善き歌」も「指折りて数へるほどの事」と断ずる。また「代々の勅撰集の如き者が日本文学の城壁ならば、実に頼み少き城壁にて、かくの如き薄っぺらな城壁は、大砲一発にて滅茶苦茶に砕け申候」とも述べている。要するにそれまで重要視された勅撰和歌集をおおむね価値の低いものとして退けたのであり、『新古今和歌集』もその中に入っていたのである。 しかしこうしたアララギ派の評価に対して、『新古今和歌集』を高く評価したのが北原白秋であった。白秋はその和歌について「日本短歌最上の象徴芸術」であり「日本詩歌の本流」と賛美している。白秋はアララギ派が唱えるいわゆる短歌における「写生論」に対し、「写意写生以上の香気ある象徴の世界」を求めて短歌を詠もうとしていたのであり、その手がかりとしたのが『新古今和歌集』の和歌だったのである。以後の短歌においても前登志夫や塚本邦雄などがそれぞれ『新古今和歌集』から影響を受けている。
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