岡山県 災害

岡山県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 02:34 UTC 版)

災害

地震

県内を震源とする地震は、1711年宝永8年/正徳元年)に鳥取県との県境付近を震源とした、M6.5~6.8の地震が記録[20]されている。県内に大きな被害を出した例は868年播磨国地震1927年昭和2年)北丹後地震1946年(昭和21年)の昭和南海地震などが挙げられる。

歴史

県名の由来

岡山城下 岡山の名由来の碑

県名は県庁所在地の岡山市に由来する。「岡山」とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄3年(1594年)ごろからであると推測される。

原始・先史

旧石器時代

現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では2基の跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である[21]

縄文時代

地球温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。

弥生時代

また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。

造山古墳
古墳時代

古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域などとともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳総社市)、両宮山古墳赤磐市)などの大型古墳が岡山県内に残されている。

古代

6世紀前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために備前国備中国備後国の3国に分割され、さらには備前国から美作国が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、津山市(美作国)にそれぞれ置かれた。

旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備道鏡天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した。

平安時代には備前・備中は受領にとって実入りの多い「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園(殿下渡領)のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ、寿永2年(1183年)には県の南東部、倉敷市玉島地区で、翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた(水島の戦い藤戸の戦い)。

中世

鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏松田氏三村氏庄氏赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる)。

南北朝時代後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで、児島高徳など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。観応の擾乱室町幕府が分裂すると山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は明徳の乱で衰退した。

室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族・赤松則村(円心)が播磨備前美作3国の守護職に任ぜられ、以後赤松氏が代々三国の守護職を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。赤松満祐嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし、管領細川勝元より三国守護職を約束され、赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、戦国時代守護代であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが、宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした。

備中では室町期は守護細川氏が、戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏庄氏ら有力国人を従えていた。その後、毛利氏の支援を得た三村家親が備中の大部分を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、永禄9年(1566年)三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中宇喜多直家の手の者により暗殺され、さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した。その後、織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した(備中兵乱)。一方で、備中の南西笠岡などは村上水軍(能島村上氏)の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた。

このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏らの草刈場と化し、後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。

近世

岡山城(国の史跡)
備中松山城(国の史跡・重要文化財)
倉敷美観地区

現在の岡山の地は「岡山」「石山」「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目をつけた直家は「石山」に小規模な城を築いていた金光氏の当主・金光宗高を謀略により切腹させて開城ののち、岡山の地に入封した。直家の子宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。秀家はその後、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。

戦勝側である小早川秀秋が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年(1603年)、西国将軍と称された姫路藩藩主・池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5,000石で入封した池田光政(輝政の孫)が備前岡山藩の基礎を築き、以後、明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った。また、領内には池田家の家老陣屋が各地に所在し、伊木家3万3,000石の虫明陣屋を筆頭に、池田家3万2,000石の天城陣屋、池田家2万2,000石の周匝(すさい)陣屋、日置(へき)家1万6,000石の金川陣屋、池田家1万4,000石の建部陣屋、土倉家1万1,000石の佐伯陣屋があった。城下町・岡山は発展を続け、第4代池田綱政の治世の宝永4年(1707年)には町方人口が3万635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万人から5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。現在[いつ?]では日本三名園のひとつに数えられる御後園(後楽園)が造成されたのもこの時期である。19世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した。その結果、安政3年(1856年)に備前一国を巻き込む強訴(渋染一揆)が発生した。

備中には小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。備中松山藩を筆頭に、足守藩庭瀬藩新見藩岡田藩浅尾藩・岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)および岡山新田藩(生坂藩)が成立した。現井笠地域の大部分は備後福山藩領であり備後と一体的に扱われ、福山藩主導の新田開発により干拓が進められる。また、交代寄合の山崎家の成羽陣屋(幕末成羽藩となる)、交代寄合の戸川家撫川陣屋が置かれ、戸川家は旗本としても早島・帯江・妹尾・中島(中庄)にそれぞれ陣屋を構えた。倉敷天領(幕府の直轄)となり、備中のみならず伊予讃岐など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ、その繁栄は岡山以上とも言われた。

美作には森家が18万6,000石で入封。4代で断絶ののち、越前松平家の宗家筋の津山藩10万石、三浦家の勝山藩2万3,000石が成立した。

幕末期になり薩摩藩長州藩による倒幕の動きが広がると、外様であった岡山藩は勤皇派に、親藩譜代であった津山藩・備中松山藩は佐幕派に分かれ、明治元年(1868年)に勃発した戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた。

近代 - 太平洋戦争期

岡山県成立の変遷

明治4年7月14日1871年8月29日)、明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継いで、岡山県が備前国を範囲として設けられた。当初、現在の岡山県域には14県が設置されたが、同年12月には岡山県、深津県北条県の3県に再編された。その後、1875年明治8年)12月10日に備中国備後国にあたる小田県(旧深津県)を編入し、1876年(明治9年)4月18日には、備後国6郡を広島県に移管、美作国にあたる北条県を併せた。岡山県の境域はこれ以後1896年(明治29年)に吉野郡石井村兵庫県佐用郡へ編入、同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入。戦後には1963年(昭和38年)、和気郡日生町(現・備前市)東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県赤穂市へ編入、後に笠岡市で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない。

県の政庁は岡山市に置かれ、鉄道網の整備や旧制第六高等学校・旧制岡山医科大学(岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ)などの教育機関の設立も相まって山陽地方の拠点として発展を見せた。また、政財界に優れた人材を輩出した。特に、自由民権運動では片山潜、のちに首相となる犬養毅平沼騏一郎をはじめとして多くの運動家・政治家を、経済界では第一生命創業者の矢野恒太らを世に送り出した。

戦前の産業は農業が主であり、南部では児島湾干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ、イグサ綿花栽培や丘陵地での果樹栽培が行われる一方、北部では養蚕が盛んに行われた。瀬戸内海に面した児島地区(倉敷市)では塩田開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり、地元の名家である野崎家が財をなした。

1870年代以降になると近代工業として製糸工場が県内に次々と立地した。倉敷紡績(略称:クラボウ)は全国有数の製糸企業に成長し、また倉敷紡績の大原孫三郎によって倉敷絹織(現在のクラレ)、紡績を支える中国水力電気会社(現在の中国電力)なども設立された。この時代の繊維産業の発展が現在の倉敷市ジーンズ学生服の隆盛の元になっている。大原は実業のかたわら、大原美術館倉敷中央病院、農業や社会問題の研究所などを設立したり、石井十次の孤児養育事業を支援したりするなど、現在でいうメセナ事業を行った。

1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽線)が岡山を経由して広島県尾道まで開通し、その後もいくつかの私鉄路線が開通した(鉄道の項参照)。これらのうち主要なものはのちに国鉄に組み入れられた。

1920年(大正9年)7月、県下で腸チフスの大流行が発生。患者1,322人、死者291人[22]

第一次大戦後には重化学工業が発達し、柵原では鉱山が開かれ、玉野では造船業が活況を呈するようになった。

経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから、その求めにより中等教育・高等教育の充実が図られた。特に公立・私立の女学校が次々に設立され、全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった。

こうした地勢より、社会福祉分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており、社会福祉学上において近代福祉事業発祥の地とされることもある。特に1917年大正6年)に自県にて発足した済世顧問制度大阪府方面委員制度と並んでのちの民生委員制度につながるものとされ、先述の片山潜も貧困層のために日本最初の隣保館を設立している。他にも救世軍において廃運動を繰り広げ、女性の権利と生活の向上に足跡を残した山室軍平や、児童自立支援施設の先駆けとなった家庭学校を設立した留岡幸助岡山博愛会病院を設立し地域医療に寄与したアリス・ペティ・アダムス、日本最初の孤児院(児童養護施設)を作り上げた石井十次などが岡山県にてその活動の発起を行った。そのため山室、留岡、アダムス、石井の4名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより「岡山四聖人」と称される。

しかしながら第二次世界大戦が勃発し、戦争末期の1945年昭和20年)6月には航空機工場のあった倉敷市水島地区と岡山市がアメリカ軍による大規模な空襲を受けた。岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し、1,700人以上の市民が犠牲となった。

戦後

戦後は児島湾、笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ、臨海部に巨大な農業地、工業地が出現する。

また三木知事時代の1960年代、全国総合開発計画に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油コンビナートを造成して製鉄石油化学および自動車などの工場を誘致された。また同時期に笠岡市は備後工業整備特別地域に指定され、日本鋼管福山製鉄所をはじめとした製鉄関連産業が進出する。このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み、農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた。他方では、1970年代には大気汚染、瀬戸内海への石油流出事故赤潮、児島湖の水質悪化などに悩まされた。

1970年代以降は山陽新幹線の開業や瀬戸大橋の開通による高速道路・鉄道網の整備、県が管理する空港としては全国で唯一3,000メートル滑走路を持つ岡山空港の開港による航空網の整備が行われ、交通の結節点としての地位を高めた。
南部では人口の増加が見られ、岡山市や倉敷市などが150万都市圏を形成している(岡山都市圏)。岡山インターチェンジから車で2時間圏の範囲の人口は約1,640万人で、東京都の人口よりも多い。その範囲の総生産額は約97兆円でカナダを上回る規模ともなっている。

21世紀

2000年代には紡績工場跡地などを転用したイオンモール倉敷などの郊外・準郊外型のショッピングモールが大小含め県内各地に建設された。一方で、商店街がシャッター通りとなり、ダイエー岡山店・三越倉敷店といった市街地中心部の大型店が相次いで撤退したことに象徴される中心市街地の空洞化(ドーナツ化)が深刻な問題となっている。

2020年12月20日。県と県医師会は新型コロナウイルス感染症の急速な拡大に対し、医療非常事態宣言を発表した[23]

人口

岡山県の人口は戦後の165万人から一貫して増加を続け、2002年には最大値約195万人に達した。しかし、その後は一貫して県全体では減少が続いている。2020年国勢調査によると、岡山県の人口増加率は-1.8%となっており、データのある1925年以降の国勢調査では最低の値となっている。

広島市に次いで中国・四国地方第2の都市である岡山市(約72万人)や第3位の倉敷市(約47万人)を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である。ただ、岡山市とともに岡山都市圏の中心を担う倉敷市がついに2019年から減少に転じた。一方、総社市は年々人口増加している。[24]吉備高原や中国山地の山々に囲まれた地域では高齢化が進行し、人口の減少が顕著になってきている。県全体では1990年(平成2年)ごろから人口はほぼ横ばいであった。社会動態においては、1998年(平成10年)以降転出超過の社会減となっていた。2011年(平成23年)の東日本大震災以降から移住者の増加で一時転入超過に転じた[25][26]が、2013年(平成25年度)に再び社会減となった。

NPO法人ふるさと回帰センターが毎年発表している「田舎暮らし希望地域ランキング」にて、岡山県は2012年(平成24年)度に2位、2013年(平成25年)度に3位にランクインしている[27]

婚姻関係では、男女の初婚年齢が香川県とともに全国屈指の早さとなっている。

岡山県によると、2018年での合計特殊出生率は1.53となっている。

岡山県市町村人口増減率分布図(2016年(平成28年)度と2021年(令和3年)度8月1日岡山県統計から算出)
岡山県と全国の年齢別人口分布(2005年) 岡山県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 岡山県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

岡山県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
岡山県の市町村の人口、面積、人口密度(2024年3月1日)
※自治体の順番は、全国地方公共団体コードの順
市町村 人口 面積 人口密度
1 岡山市 714,069人 789.95km2 904人/km2
2 倉敷市 468,118人 356.07km2 1,315人/km2
3 津山市 95,931人 506.33km2 189人/km2
4 玉野市 53,140人 103.58km2 513人/km2
5 笠岡市 43,284人 136.07km2 318人/km2
6 井原市 36,262人 243.54km2 149人/km2
7 総社市 69,191人 211.90km2 327人/km2
8 高梁市 26,248人 546.99km2 48人/km2
9 新見市 25,996人 793.29km2 33人/km2
10 備前市 30,002人 258.14km2 116人/km2
11 瀬戸内市 35,378人 125.46km2 282人/km2
12 赤磐市 41,529人 209.36km2 198人/km2
13 真庭市 39,936人 828.53km2 48人/km2
14 美作市 24,304人 429.29km2 57人/km2
15 浅口市 31,654人 66.46km2 476人/km2
16 和気町 12,790人 144.21km2 89人/km2
17 早島町 12,422人 7.62km2 1,630人/km2
18 里庄町 10,776人 12.23km2 881人/km2
19 矢掛町 12,699人 90.62km2 140人/km2
20 新庄村 736人 67.11km2 11人/km2
21 鏡野町 11,511人 419.68km2 27人/km2
22 勝央町 10,616人 54.05km2 196人/km2
23 奈義町 5,429人 69.52km2 78人/km2
24 西粟倉村 1,302人 57.97km2 22人/km2
25 久米南町 4,195人 78.65km2 53人/km2
26 美咲町 12,034人 232.17km2 52人/km2
27 吉備中央町 10,207人 268.78km2 38人/km2

注釈

  1. ^ 真庭市蒜山上長田(標高430m)では、1981年(昭和56年)2月28日に西日本(近畿以西)の平地における最低気温(−20.2℃)を記録したほか、2011年(平成23年)1月には最深積雪137cmを記録した。
  2. ^ 女学校の前身となる裁縫所1881年(明治14年)設立。高梁高校では裁縫所の設立年を創立年としている。なお同地に所在する吉備国際大学を筆頭とする学校法人順正学園は福西死後の新設校であるため、直接の関連は無い。(設立時における間接的な関連はあるため、順正学園は福西を準学祖としている。詳細は当該校の項目を参照)
  3. ^ 古くは、1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピック人見絹枝1964年(昭和39年)の東京オリンピック木原美知子などがいる。
  4. ^ 学校側は学校創立1年目と主張しているが、ここには疑問を持つ人もいる。また、大会上は創部2年目の扱いをしている。詳しくは岡山県の高校野球#歴史第83回選抜高等学校野球大会を参照のこと。
  5. ^ 甲子園大会で岡山県勢が3回勝利したのは2011年(第93回大会)以来で、令和初。

出典

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  13. ^ 「昔から吉備高原と呼ばれている一角にあり、気候はやや内陸性で県南部と比較して冷涼な地域です。」- 吉備中央町ホームページ
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