吉備津彦神社の御田植祭
名称: | 吉備津彦神社の御田植祭 |
ふりがな: | きびつひこじんじゃのおたうえまつり |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 吉備津彦神社御田植祭保存会 |
選択年月日: | 1979.12.07(昭和54.12.07) |
都道府県(列記): | 岡山県 |
市区町村(列記): | 岡山市一宮 |
代表都道府県: | 岡山県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | 神社のお田植祭といえば、神田植に執行されるものは別として境内の一隅を田に見立て、張り子の牛を田を掻くといって走りまわらせたり、松の葉などを苗に見立てて植える様をしたり、稲作過程を模擬的に演じて実際の耕作を祈願するというのが一般的であるが、これは異った次第内容を見せる。 もとは旧暦の六月二十七日、二十八日に行なわれたが、第一日目は御斗代【みとしろ】神事といい夜中に行なわれる。本殿祭の後三束の苗を御羽車【おはぐるま】という御輿風のものに載せて担ぎ、池に設けてある御斗代棚まで運ぶ。そこで棚にある三つの竹筒に苗をさし込む。かつてこれが、誰にも解らぬようにして棚に供えられていたので備前の七不思議の一つとして著名であった。二日目は御旗神事といい、生木綿を打ちかけ、先端の横木に十五本の扇をさした大旗が十七、八本程行列する。コースは神社参集所を出発して池を右まわりに一周し、また神社に戻るというものであるが、池をまわり終え、参道の神橋にさしかかると参詣人が旗に襲いかかり、扇を無理やり奪い去る。持ち帰って田に立てておくと虫がつかぬ、家に祀れば悪疫をまぬがれると信じられている。 この特異な行事次第も、室町時代の作と考えられる絵巻が残されていて由緒の古さを示し、我が国祭礼行事の一類として広がりを持つ田植祭の本質と変遷を知る上の貴重な資料である。 |
吉備津彦神社の御田植祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/20 07:41 UTC 版)
吉備津彦神社の御田植祭(きびつひこじんじゃのおたうえさい)は、岡山県岡山市北区一宮の吉備津彦神社で催される御田植祭である。1964年(昭和39年)に岡山県の無形民俗文化財に指定され、1979年(昭和54年)に国の選択無形民俗文化財に選ばれた。
内容
1日目夜の「御斗代神事」と翌日の「御幡神事」からなり、元々は旧暦の6月27日・28日に行われたが、現在は8月2日・3日に行われる。
8月2日午後の厄神祭の後、本殿祭で地元小学生の早乙女による田舞が奉納され、その後夜の10時に「御斗代神事」が行われる。神前に供えられた御苗を御羽車に遷し2列の行列を整えて出発、拝殿から正面大鳥居へ向かい、鶴島亀島の棚では神官が3本の御苗を神田に見立てた神池に植え、神饌を供え祝詞をあげ「御斗代神事」は終了する。
翌8月3日午前、前日と同じく本殿祭で田舞が奉納され本殿での神事終了後、氏子が高さ5メートルあまりの竹棹に「御幡」十数本を掲げて、午後4時行列を組んで神社の南の一宮公民館を出発、行列は表参道に出て大鳥居をくぐり随神門から拝殿に進む。「御幡」は待っていた参詣者によって倒され、「御幡」に付けられている扇子の争奪が始まる。その扇子を田に立てて置けば、虫が付かず豊作になるという。
交通規制
本殿祭が行われている時間帯は国道180号に接続している参道や本神社敷地の東側を南北に走る道路(岡山県道61号妹尾御津線の一部)および岡山県道243号一宮備前一宮停車場線が自転車を除いて全面車両通行禁止となり、両路の入り口には警備員が立ち周囲市道へ迂回するように指示が出される。
外部リンク
- 吉備津彦神社 御田植祭
- おかやまの文化財 吉備津彦神社の御田植祭
- 吉備津彦神社の御田植祭 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
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