参候祭
名称: | 参候祭 |
ふりがな: | さんぞろまつり |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 参候祭保存会 |
選択年月日: | 1996.11.28(平成8.11.28) |
都道府県(列記): | 愛知県 |
市区町村(列記): | 北設楽郡設楽町大字三都橋 |
代表都道府県: | 愛知県 |
備考: | |
解説文: | この芸能は、祭りの場に登場してくる神々が問答の初めに「参候【さんぞうろう】」と答えることから、このように名づけられたとされており、永禄年中(一五五八-七〇)の記録に「折立牛頭天王八王子【おりたてでずてんのうはちおうじ】田楽祭」とあることから、本来は田楽【でんがく】の芸能であったろうとみられている。 祭り当日の午後、神輿が山の中腹の観音堂から津島神社に渡御【とぎよ】し、休憩夕食後、湯釜を据えた神社前庭にてこれがとり行われ、出現する神々は、拝殿左横の神座に座した祢宜【ねぎ】と問答する。 最初に不動が拝殿から剣と縄を持ってあらわれ釜を三めぐりしてくると神座の祢宜に呼び止められて問答がある。それは神の素性や神があらわれた理由の問答。それが終わると不動は神座から鈴をもらい、右手に剣、左手に鈴を持って釜の前で五方の舞をし、それから鈴を振りながら釜を三度かけ回る。終わって笹を持って湯を献じて退場する(不動の舞)。これに引き続いて七福神のうちの「蛭子【えびす】の舞」「毘沙門の舞」「大黒天の舞」「弁財天の舞」が、手の持ち物が異なるものの、それぞれがほぼ「不動の舞」と同じ所作を行う(蛭子の持ち物が竿、毘沙門天のそれが鉾、大黒天のそれは打出の小槌とヌメクラ棒という男根様のもの、弁財天は扇と鈴)。終わって三人の祢宜が扇の手と剣の手とを舞う(「太平楽」)。それに続いて七福神のうちの布袋・寿老神・福禄寿がともに登場して所作する次第があり、引き続き田楽系の演目(「駒」「殿面」「さい払い面・獅子」)があって一切を終了する。 この芸能は田楽系の諸演目の中に祝福の来訪神芸、七福神舞が後に加わったものとみられ、芸能の変遷の過程を知るうえでの一つの貴重な資料であり、また地域的特色をも示す重要なものである。 |
田楽: | 五所神社の御田植神事 住吉の御田植神事の芸能 八戸のえんぶり 参候祭 吉備津彦神社の御田植祭 吉良川の御田舞 四阿屋神社の御田舞 |
参候祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 01:29 UTC 版)
参候祭(さんぞろまつり)は愛知県北設楽郡設楽町三都橋(みつはし)に伝わる祭礼行事。
地域の氏神である津島神社に観音像を迎え、神仏に七福神らの舞を奉納する。山あいの素朴な祭りながら、400年以上に亘って伝承されている県指定の無形民俗文化財にして、国の選択無形民俗文化財。毎年11月の第2土曜日におこなわれる。
概要
祭は当日午後の栗島観音堂での稚児舞に始まる。次いで本尊の十一面観世音菩薩像が御輿に移され、千子(稚児)行列と共に津島神社へ向けてお練りをおこなう。この間、要所で千子の舞を披露しつつ進み、観音像を津島神社の本殿に奉安する。神社境内の拝殿前には五方旗と注連縄で囲った舞座が設けられ、舞が始まる夜まで一旦小休止となる。
夜を迎えると、舞座中央に据えられた松明と湯立釜に火が入れられ、その周りに敷かれた筵の上を七福神らの神々が禰宜と問答を繰り広げつつ様々な所作を演じる。不動明王による不動の舞を終えると、ここから七福神の舞が始まる。恵美須、毘沙門の舞と続き、人気の大黒天の舞が終わると中入りとなり、以下弁財天、布袋尊、寿老人、福禄寿が舞う。途中太平楽、駒を挟んで、最後は殿面、采はらい、獅子の舞で祭を締め括る。神々登場の際の文句「さんそうろう(参候)、それがしは(某者)××にて候」が祭りの名称の由来といわれる。
延年風流の影響に福神信仰が結びついてこれが土台となり、そこに農耕に欠かせない水を司る不動明王が加わるなどして祭りが形づくられたと考えられる。起源の詳細は不明であるが、永禄年間(1558-1570)の記録によれば、当初は田楽祭としておこなわれていたようで、田楽用の馬を折立十一面観音に献納した1549年(天文18年)にまでその歴史を遡ることができるという。一般的に年頭におこなわれる予祝芸能とは時期が異なるほか、舞座の中央に湯釜を据えることから湯立神楽との関係も指摘されている。舞台となる津島神社は1324年(正中元年)に作手郷相月村から分請したとの由緒があり、かつて田楽で用いたと思われる「翁」と記した面が遺されている。
参考文献
関連項目
外部リンク
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