伝説・架空のできごと
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1119年 - 1125年 - 北宋の徽宗皇帝の宣和年間、様々な事情で世間からはじき出された宋江ら好漢(英雄)108人が義侠心で結びついて梁山泊に集結。やがて官吏の不正がはびこる世情に義憤を覚え官吏を打倒し国を救うことを目指すようになる(原典は『大宋宣和遺事』だが、やがて講談や小説の『水滸伝』に発展)。 1120年 - 1170年 - ホワイトシップの遭難からトマス・ベケットの暗殺までのイングランドのキングズブリッジで、トム・ビルダーとその仲間たちが大聖堂を建築する(ケン・フォレット『大聖堂』)。 1135年 - 1154年 - イングランド王スティーブンの時代、サフォーク州のウールピットのオオカミ穴から見知らぬ少年少女が出現した。二人とも全身が緑色で、見たこともない素材でできた衣服を身にまとい、言葉は全く通じなかった(ニューバーグのウィリアム(英語版)修道士の年代記『英国事件史(Historia rerum Anglicarum)』の「グリーン・チルドレン(英語版)伝説」)。 1135年以降 - ヘンリー1世亡き後のイングランドを舞台に、第1回十字軍に参加した後に修道士となった経歴をもつカドフェルが東方より学んだ薬草学の知識や洞察力を駆使して難事件を解決していく(エリス・ピーターズの歴史ミステリー『修道士カドフェル』)。 1151年 - 1154年 - 近衛天皇の仁平年間に御所清涼殿に鵺が出現し、源頼政がこれを退治する(『平家物語』第四巻「鵺」)。 1154年 - 鳥羽上皇のもとへ絶世の美女玉藻前が現れ上皇に寵愛されるも、九尾の狐であることが露見し討伐されるが、那須の殺生石となってなおも人々を苦しめる(史書『神明鏡』・能『殺生石』・御伽草子『玉藻の草紙』ほか「九尾の狐」伝説)。 1165年 - 保元の乱で敗れ伊豆大島に流された鎮西八郎源為朝は、後に琉球に渡って大里按司の妹と結ばれ、琉球王国の始祖舜天の父となる(琉球王国の正史『中山世鑑』では事実として記載されているが真偽は不明。この伝説をもとに書かれたのが曲亭馬琴の『椿説弓張月』)。 1168年 - 歌人の僧西行が讃岐国に下り白峰にて崇徳上皇の怨霊に遭遇する(上田秋成『雨月物語』「白峰」)。 1177年 - アヴィニョンのベネゼが神の啓示を受け巨岩を持ち上げるなどの奇跡を起こしつつサン・ベネゼ橋建設に着手( - 1185年。唱歌『アヴィニョンの橋で』のもととなった伝説)。 1180年以前 - 平家追討以前に若き御曹子源義経は、庇護者である藤原秀衡より、北の国の都に「かねひら大王」が住み、「大日の法」と称する兵法書があることを聞かされ、旅に出る。裸の者ばかりの「裸島」、女ばかりが住む「女護の島」、背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」などを経めぐった後、目的地である蝦夷が島に向かう(室町時代の御伽草子『御曹子島渡』、後に成立する「義経北行伝説」にも影響を与える)。 1180年 - 福原京に遷都されたこの年、いつものように平清盛がその邸宅で庭を眺めていると、折からいくつもの骸骨が出現し、さらには一つの大髑髏に合体し、清盛を睨みつけた。清盛も目を見開いて睨みつけると、大髑髏は不意に姿を消してしまった(原典は『平家物語』「物怪之沙汰」、後に鳥山石燕により「目競」という妖怪の名をつけられる)。 1185年 - 兄である源頼朝からの追討を避けるために、摂津国大物浦から海路で落ち延びようとした源義経とその部下たち。しかし港を出てから暴風雨に巻き込まれ、義経によって西海に滅んだ平家一門の怨霊がこぞって出現する(謡曲「船弁慶」)。 1189年 - 衣川の戦いで藤原泰衡に殺害された源義経であったが、義経に従っていた常陸坊海尊はその場に居合わせず死を免れた。以来、義経一行のことを語り継ぐ者として不老不死の命を得たという(林羅山『本朝神社考』では残夢と言う僧侶がその人物だと記載され、『清悦物語』などに発展する)。 1190年以降 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世は死んだのではなく、テューリンゲン地方のキュフホイザー山中に眠り続けている。帝国が危機に襲われた時には再び蘇り苦境から救い出すという(グリム兄弟『ドイツ伝説集』)。 1193年 - saku sakuに出てくるアパート「エスポワ〜ル横浜第2」が数々の名宮大工の手によって完成。 12世紀末 - 第三回十字軍遠征が終わったエルサレムで、富と知恵を兼備したユダヤ商人ナータンは、イスラム教の名君サラディンによる難問「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれが真の宗教か?」に対し、真偽の識別がまったく不可能な三つの指輪のたとえ話を用いて、この問いの無意味さを説く(ゴットホルト・エフライム・レッシングの劇詩『賢者ナータン』)。
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伝説・架空のできごと
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17世紀 - スペインの名家の息子ドン・ファン・テノーリオは好色漢で放蕩三昧の日々を送っていた。そしてウジョエの娘を奪うだけでなく、ウジョエをも殺害するに至った。ウジョエの遺体が埋葬され、その墓の上に建てられた石像がドン・ファンの上に倒れ、彼はその下敷きになって死んだが、これは天罰だと人々は噂しあった(原本は『セビーリャ年代記』、ティルソ・デ・モリーナやモリエールにより舞台化され、モーツァルトのオペラや、バイロンの詩にも翻案された)。 1605年以後 - 1615年以前 - 狂気の発作も癒えしばし故郷のラ・マンチャ村で静養していたドン・キホーテのもとに学士サンソン・カラスコが登場。ドン・キホーテの伝記(小説『ドン・キホーテ』前編)が出版されたことを報告し新たなる遍歴の旅に出ることを勧める(ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』後編)。 1611年以前 - 天皇の賀輿丁である八瀬童子の一人岩介は朝鮮に渡り呪術の才を身につけてきた人物である。疾駆する荒馬に巻き込まれた後陽成天皇の三宮政仁親王(後水尾天皇)を助けたことから岩介は「天皇の隠密」として近侍することになり、幕府との確執を深める天皇のために陰で奔走することになる(隆慶一郎『花と火の帝』)。 1616年 - 南ネーデルラント(フランドル)の小さな町(現在のベルギーのブーム(都市)(英語版))は、年に一度の謝肉祭の支度に忙しい。そこへスペインのオリバーレス伯一行の軍隊がまもなく到着しこの地に逗留するとの知らせが届く。さあ一大事。血気に走る暴れ者のスペイン兵の目を欺くために、町長が急死したことにしてやり過ごそうとするが、町長の肝っ玉夫人コルネリアは女性たちを集めて一計を案じる(ジャック・フェデー監督の映画「女だけの都」)。 1623年 - スペインのレオン地方出身のディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオがイギリスから来た二人連れの暗殺を依頼されるがその様子を見て思い止まる。この二人連れこそはチャールズ皇太子(後の国王チャールズ1世)とバッキンガム公爵であった(スペインの小説『アラトリステ』・映画化もされている)。 1625年 - ガスコーニュ出身の青年貴族ダルタニャンがカルム・デショー修道院の裏庭での決闘をきっかけに銃士隊に加わり、アトス・アラミス・ポルトスの三銃士との友情を深めていく(アレクサンドル・デュマの小説『三銃士』(『ダルタニャン物語』の第一部))。 1620年代末 - スペイン支配下にあった北イタリアのコモ湖の近くの村で、青年レンツォと娘ルチアのいいなずけ同士が結婚しようとしたところ、ルチアに目をつけた横暴な領主ドン・ロドリゴが横槍を入れ、司祭を脅迫して式を挙げさせず、二人の訴えを弁護士にも取り上げさせない。これから波乱万丈の物語が始まる(アレッサンドロ・マンゾーニの小説『いいなづけ』)。 1638年以降 - 島原の乱を生き延びたキリシタンの森宗意軒が忍法で天草四郎や宮本武蔵を蘇らせ、由比正雪らとともに幕府転覆を目論む(山田風太郎『おぼろ忍法帖』・この小説をもとにした深作欣二監督の映画『魔界転生』も有名)。 1638年 - 1640年頃 - この時期に描かれたフランスの画家ニコラ・プッサンの代表作『アルカディアの牧人たち』では、墓石にラテン語で "Et In Arcadia Ego"(我はアルカディアにもある)と書かれているのを牧人たちが覗き込んでいる。この章句はアナグラムで、並び替えると"I Tego Arcana Dai"(立ち去れ!私は神の秘密を隠した!)となり、イエス・キリストの血脈とキリストの墓に関する秘密がこの画には隠されていたのである(ヘンリー・リンカーンほか『レンヌ=ル=シャトーの謎』からダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』に発展)。 1640年 - この年の師走、会津藩の支配する猪苗代城城代堀部主膳のもとに禿頭の童子が現れ、堀部にこの城の主である「亀姫」に挨拶せよと催促をする。堀部が怒ってそれを断ると笑って童子は姿を消した。翌年間もなく堀部は厠で倒れ死んだ(『老媼茶話』)。 1645年 - 清軍は揚州の街に向け住民皆殺しの命令を下し、市街は地獄へ変貌した。意地悪なくせに小鳥にはひどく優しい不思議な遊女の緑鶸は、彼女の纏足された足を世話する少女・雀を連れ、美貌と知性を武器に生き抜こうとする(ケン・リュウ(劉宇昆)の小説『草を結びて環を銜えん』)。 1653年 - 佐倉藩主堀田正信は重税を取り立て領民は困窮していた。このため名主の惣五郎は1人で上野寛永寺に参詣する四代将軍徳川家綱に直訴した。その結果、訴えは聞き届けられ、藩の領民は救われたが惣五郎夫妻は磔となった(『地蔵堂通夜物語』ほか「義民佐倉惣五郎伝説」。怨霊となって仇をなしたという話もある)。 1657年以降 - 1695年以前 - 肥前国佐賀藩の2代藩主鍋島光茂の機嫌を損ねた家臣の龍造寺又七郎が斬殺され、又七郎の母も悲憤のため自害する。その母が飼っていた猫が化け猫となり、城内に入り込んで光茂を苦しめる(『鍋島化け猫騒動』)。 1659年 - 9月1日にブラジルのサルヴァドールから西アフリカに向けて出港したロビンソン・クルーソーが、大西洋上で難破し無人島に漂着する。ここから1683年までの24年間のロビンソン・クルーソーの孤島暮らしの物語が始まる(ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』)。 1660年 - 1685年 - イングランド国王チャールズ2世の命によりオーランドーがイスタンブール(コンスタンティノープル)の大使として派遣されるが、その赴任中に昏睡状態に陥り、目が覚めると男性から女性へと性が変化していた、彼女はこの後もなお長大な人生を生き続ける(ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』)。 1661年以降 - フランスの財務官ニコラ・フーケが国王ルイ14世の不興を買って投獄される。彼を救おうと三銃士の一人アラミスが奔走するがその途上で鉄仮面をかぶる謎の囚人に出会い、一世一代の賭けに挑むことになる(アレクサンドル・デュマの小説『ブラジュロンヌ子爵』「鉄仮面」(『ダルタニャン物語』の第三部))。 1664年 - イングランド国王チャールズ2世の愛犬の病気を治した縁により、医学生だったロバート・メリヴェルが医師として招かれ、波乱含みの宮廷の悲喜交々の日々に巻き込まれていく(ローズ・トレメイン『道化と王』)。 1672年 - 鬼怒川沿いにある下総国岡田郡羽生村で殺害された累(かさね)という女性の怨霊が長年にわたり凶事を引き起こしていたが、弘経寺(ぐぎょうじ)の祐天上人により行われた浄霊と供養によりその因縁は解かれ怨霊は成仏した(「累ヶ淵伝説」)。 1682年 - 名うての好色漢である世之介は60歳になって財産を整理し、仲間7人とともに好色丸なる船をあつらえ、神無月の末に伊豆国から女護島めざして船出し消息不明となった(井原西鶴『好色一代男』)。 1690年以降 - 水戸藩主を退いた徳川光圀が佐々木助三郎と渥美格之進の二人を共にして諸国漫遊の旅に出る。その途上、一行は各地の庶民と親しく交わり、悪政を行なう大名・代官などがいればそれを糾すべく世直しの挙に出る(講談「水戸黄門漫遊録」ほか映画・テレビドラマ)。
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伝説・架空のできごと
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1803年 - 享和3年常陸国鹿島郡のとある旗本の知行地の浜に虚舟(うつろぶね)が現れた。虚舟は鉄でできていて、その壁面には文字が書かれており、窓があって、球状であった。中には異国風の女性が乗っており、箱を持っていたという(曲亭馬琴の随筆『兎園小説』に「虚舟の蛮女」との題で図版とともに収録されている。その他に屋代弘賢『弘賢随筆』にも記録と図版あり)。 1820年 - 七歳の時に神隠しに遭い行方不明だった江戸下谷七軒町の寅吉がこの年(文政3年)帰宅する。寅吉が語るところでは空を飛ぶ杉山僧正に連れられ常陸国岩間山で天狗の修行をしていたという(平田篤胤『仙境異聞』)。 1846年 - 弘化3年4月肥後国の海中に光る物体が出現。役人が見聞する記録では、それは半人半魚の風体で「アマビエ」と名乗り、豊作と疫病の流行を予言。疫病を防ぐため自らの姿を描いた絵を人々に見せよと告げた、と言う(京都大学附属図書館所蔵の瓦版)。
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伝説・架空のできごと
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「紀元前21世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説
紀元前21世紀 - 夏の創始者禹が洪水を治めたとき、洛水から神亀が出現しその背中には「洛書」と呼ばれる文様が刻まれていた。禹はこれにもとづいて洪範九疇を作ったといわれる(『易経』「繋辞伝」をもとに『漢書』「五行志」の劉歆の注釈などで伝説化される)。 紀元前2063年 - アトランティス人がクロノスのクリスタルを用い、時間を捕食する怪物クロノヴォーレのコントロールに成功する(ドラマ『ドクター・フー』)。
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伝説・架空のできごと
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18世紀 - イギリスのある海岸のさびれた宿屋ベンボー提督亭に顔面に傷を負った大男ビリー・ボーンズが現れる。ひょんなことから急死した彼の遺品整理をしていた宿屋の息子ジム・ホーキンズは、ビリーがフリント船長率いる海賊団の船員であったことを知り、密かに宝を隠した地図があることを発見。これから宝探しの冒険の旅が始まる(ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』)。 1709年 - 5月21日にガリヴァーが日本東端の港ザモスキに到着し、日本の皇帝に江戸で拝謁を許される。その後ナンガサク(長崎)まで護送され、6月9日オランダ船で出港しイギリスに帰国する(ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』)。 1716年 - トルコ対オーストリアの戦争でテッラルバのメダルド子爵は、砲弾を受け体が左右まっぷたつになってしまった。病院で右半分だけは無事に命をとりとめたが、領地テッラルバに 戻ってきた右半分だけの子爵は人間らしい心を失った人間になっていた(イタロ・カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』)。 1735年 - 享保20年のこの年、老中松平信祝の陰謀により陸奥国磐城の湯長谷藩藩主内藤政醇は通常よりも過酷な参勤交代を申し付けられる。小藩ではあるが藩主を盛り立て湯長谷藩主従が知恵と策を用いてこの難局を乗り越えていく(土橋章宏の脚本・小説『超高速!参勤交代』。映画化もされている)。 1749年 - 備後国三次(現在の広島県三次市)で、16歳となる稲生武太夫が7月1日から30日まで連日、妖怪の仕業と思われる奇怪な現象に悩まされる。しかし豪胆な武太夫はものともしなかったため、気丈さを称賛した妖怪の首魁山本五郎左衛門は眷属を伴って退去することになった(柏正甫『稲生物怪録』)。 1750年 - ジョージ2世王配下のイギリス軍、フェルナンド6世王配下のスペイン軍、海賊黒髭の一団との「生命の泉」争奪戦に、海賊ジャック・スパロウも加わり波乱万丈の航海が展開していく(映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」)。 1751年 - ケープタウンに向かいテーブル湾に入る直前に一隻のアムステルダム船が向かい風に煽られた。腹を立てた船長ヘンドリック・ファン・デル・デッケンがその風を罵ったため、風の呪いを受け湾内に入ることもできず幽霊船となって永遠に彷徨い続けることになった(「フライング・ダッチマン」伝説。リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ「さまよえるオランダ人」の原型でもある)。 1756年以降 - 決闘事件で故郷アイルランドを逃亡した青年バリーが七年戦争での志願兵として大陸に渡る。この後、各地で遍歴を続け出世欲からリンドン家の乗っ取りを画策する(ウィリアム・メイクピース・サッカレーの小説『バリー・リンドン』・この小説を基にしたスタンリー・キューブリック監督の映画「バリー・リンドン」も有名)。 1761年 - 旗本飯島平左衛門の娘お露は、一目惚れした相手の萩原新三郎に恋い焦がれて死ぬが、以来、新三郎はその思いを断つように念仏三昧に明け暮れる。その年の盆の十三夜、新三郎の家を死んだはずのお露が訪れた。その手には牡丹燈籠が下げられていた(三遊亭圓朝の怪談『牡丹灯籠』)。 1767年 - 香水の名産地グラースにて有力者の令嬢ロール・リシを殺害し特殊な香水の力を借りて死刑判決から逃亡したグルヌイユがパリに出現する(パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』。映画「パフューム ある人殺しの物語」の原作)。 1772年 - リベルタンで奔放な大貴族アルフォンス(サド侯爵)の無罪放免を勝ち取るため、夫人のルネとその母モントルイユ夫人が思案する一方で、シミアーヌ男爵夫人やサン・フォン伯爵夫人らが、それぞれの立場から助言を行う(三島由紀夫『サド侯爵夫人』)。 1773年 - フランス王太子ルイと王太子妃マリー・アントワネットの初の正式なパリ訪問の際、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェが近衛連隊長付近衛兵として警備を務め、この邂逅から運命の歯車が動き始める(池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』。映画や舞台にもされている)。 1774年以前 - ルイ15世治世下のパリ。不吉な天文現象が暗示に続き、飢饉の波が押し寄せ、財務総監の無策に怒った民衆による反乱が勃発する。そして突如巨大な鰐の姿をした怪物が姿を現し、瞬時のうちに反乱軍と正規軍を呑み込んでしまう。暴徒を操る怪物に対し、エレアザールは超自然的存在の助けを借り、超能力を駆使して怪物に戦いを挑む(ルイ・クロード・サン・マルタン『クロコディル 18世紀パリを襲った鰐の怪物』)。 1775年以降 - アメリカ独立戦争の頃、ニューヨーク州に住む呑気な木こりリップ・ヴァン・ウィンクルは、猟に出掛け深山に足を踏み入れた。そこで九柱戯を楽しむ見知らぬ男たちの一群が酒盛りをしていたのに加わる。酔いが覚めて山を下ると、ふもとでは20数年の歳月が流れており、既にアメリカは独立国になっていた(ワシントン・アーヴィングの短編小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』)。 1775年以降 - ダーニーとカートンという2人の青年と、無罪の牢人の娘であるルーシーとの恋愛関係が、フランス革命に巻き込まれ悲劇的な運命を辿っていく(チャールズ・ディケンズ『二都物語』)。 1780年代 - 江戸の天明年間、老中田沼意次の金権政治に対し、汚れた世の中を正さんと悪人たちを成敗する「紫頭巾」が大活躍。紫頭巾は浮世絵師狩田秀麿と人気を二分することとなったが、その秀麿こそ紫頭巾の正体だった(寿々喜多呂九平原作による時代劇映画「紫頭巾」)。 1791年 - 天真爛漫だが節度を弁えぬ若きモーツァルトには天賦の音楽の才能があり、これを見いだした宮廷音楽家のサリエリが自分の凡庸さに苦悩する。やがてサリエリはモーツァルトに殺意を抱いていく(作家ピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』・この戯曲を基にしたミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」も有名)。 1792年 - 秘密裏に貴族を救出する謎の組織「紅はこべ(スカーレット・ピンパーネル)」の暗躍に業を煮やしたフランス革命政府は、組織壊滅のため全権大使ショーヴランを派遣し、ブレイクニー准男爵夫妻に接近させる(バロネス・オルツィの小説『紅はこべ』)。 1793年 - 前年に国王グスタフ3世が仮面舞踏会で暗殺されて以来、社会不安が高まっているスウェーデンの首都ストックホルムの湖で、四肢を切断された金髪の男性の痛ましい死体が発見された。インテリ法律家と荒くれ風紀取締官がその謎を追う(ニクラス・ナット・オ・ダーグ『1793』)。 1793年 - 1794年 - 駆け出しの画家エヴァリスト・ガムランがフランス革命の中で共和主義に傾倒し、やがて革命裁判所の陪審員に選ばれて恐怖政治に身を投じ破滅していく(アナトール・フランス『神々は渇く』)。
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伝説・架空のできごと
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「紀元前1世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説
紀元前93年以降 - 前漢の武帝に仕えた東方朔は滑稽でありながら機知に富んだ人物であったが、崑崙山の仙女西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んで、八千歳の長寿を得たという(『漢武故事』)。 紀元前50年頃 - ユリウス・カエサルによりガリアのほとんどがローマの支配下に編入された中にあってアステリックスとオベリックスらの仲間たちが自分たちの村を知恵と勇気で守り抜いている(ルネ・ゴシニとアルベール・ユデルゾ『アステリックス』)。
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伝説・架空のできごと
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「紀元前2世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説
紀元前146年 - カルタゴへ遠征途上のスキピオ・アエミリアヌスは、夢の中で祖父のスキピオ・アフリカヌスに出会い、国を守ることの尊さと霊魂の永遠を諭される。そしてその献身により九つの天球の宇宙のもとで、心地よい調和の音楽を耳にすると言われる(キケロ『国家論』の中の「スキピオの夢」)。 紀元前126年以前 - 前漢の武帝の命で西域へと赴いた張騫は、大夏から黄河の源流を探り、不思議な浮槎(いかだ)に乗って天の河を遡った。そこで牽牛・織女に会ったという(西晋の張華による『博物志』などから発展した「張騫乗槎(じょうさ)伝説」)。 紀元前100年代 - 前漢の武帝の寵愛した李夫人(将軍李広利の妹)は昌邑王劉髆を産むと間もなく亡くなった。李夫人を忘れられずにいた武帝は道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという(白居易『李夫人詩』の「反魂香」の故事)。
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伝説・架空のできごと
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26年 - ローマ人司令官メッサーラは属州ユダヤに派遣され旧友のベン・ハーと邂逅するが、やがて二人は反目し合う。無実の罪を着せられたベン・ハーは家族から引き離され、メッサーラへの復讐を誓う(ルー・ウォーレスの小説『ベン・ハー』及びこれを基にした映画作品)。 30年頃 - 刑吏に鞭打たれつつゴルゴダの丘に向かい十字架を担いでいたイエスが休息を求めていたにも関わらず、靴屋のアハシェロスはそれを手荒くあしらい罵ったため主の呪いを受け、死ぬこともできない身の上となって永遠にさまよい続けることになった(「さまよえるユダヤ人」伝説)。 54年 - 68年 - 享楽と頽廃のローマ帝国で皇帝ネロの悪政が続いていく中、キリスト教の信仰が徐々に広がりを見せていた。スラブ系のキリスト教徒の娘リギアと、ローマの軍人マルクス・ウィニキウスの二人の恋もこの時代の波に翻弄されていく(ヘンリク・シェンキェヴィチによる小説『クォ・ヴァディス』)。
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伝説・架空のできごと
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「紀元前12世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説
紀元前12世紀 - 周の祖古公亶父には太伯、虞仲、季歴の三兄弟がいた。末子季歴が優れた才を持っていたので、父の意を汲んだ太伯と虞仲は季歴に跡目を継がせるため出奔、荊蛮の地へと赴き断髪文身の習俗に合わせ呉国の祖となった。断髪文身の習俗を持つ倭人(日本人)はこの太伯の末裔だという(『翰苑』巻30に記録された『魏略』逸文や、『晋書』東夷伝、『梁書』東夷伝)。 アガメムノンとオデュッセウスにトロイを陥落させる方法を考えるように言われ、初代ドクターがトロイアの木馬作戦を考案。
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伝説・架空のできごと
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502年 - 514年 - 梁の武帝は風狂の僧宝誌を尊崇し、その肖像画を描かせるべく三人の画家を遣わした。宝誌が画家たちの前で自らの顔に裂け目を入れ、顔の皮を左右に拡げると、中から十一面観音菩薩の顔が現れた。かくして画家たちが描いた肖像画を見て武帝は再度宝誌を追うが、その姿を二度と見ることはなかった(原型は南朝梁の慧皎『高僧伝』巻10。『宇治拾遺物語』他の記述に発展。京都市西住寺の宝誌和尚像も有名)。 502年 - 549年 - 梁の武帝の治世に活躍した画家の張僧繇が金陵安楽寺の壁画に龍を描き、ややあって目を書き入れたところ龍が画中から動き出し瞬く間に天上に駆け上っていった(張彦遠『歴代名画記』「画竜点睛を欠く」の故事。他の出典として『水衡記』)。 507年 - 越前国味真野に住んでいた、応神天皇の子孫である大迹部皇子(男大迹皇子・継体天皇)のもとに急使が届き、次の帝の候補として白羽の矢が立てられた。皇子は都への旅路を急ぐかたわら、この地に残すことになる恋人照日の前に使者を送り、手紙と愛用した花筐(はながたみ(花籠))を届けさせる(世阿弥の謡曲「花筐」)。 528年 - コネチカット州ハートフォード出身のハンク・モーガンは、兵器工場の職長であった。ある日モーガンは部下に殴られて気絶する。意識を取り戻すと目の前には騎士がいて、騎士に連れて行かれた先はキャメロットだった。モーガンは自分がかのアーサー王宮廷にいることを知る(マーク・トウェインの小説『アーサー王宮廷のヤンキー』)。 537年 - アーサー王の遠征中にモルドレッドが反乱を起こし、カムランの戦いで王が討伐した。しかし王は激戦の末、瀕死の重傷を負い、治療のためアヴァロンへ赴き、この地で最期を迎えることとなる。またアーサー王は未来のいつかに目覚めて人々を救うために帰ってくるため、ここで眠っているだけだという(「アーサー王帰還伝説(英語版)」。最古の記述は『カンブリア年代記』、ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王伝』などで発展)。 564年 - 洛陽が北周軍に包囲された時、敵の策謀を疑い門は閉じられたままだった。救援に来た北斉の将軍高長恭(蘭陵王)が門前で兜を脱ぎ顔を晒したところ、類いまれな美貌を見て門兵が扉を開いた。以後もその美貌が兵卒たちの士気を下げることを恐れ、高長恭は常に異形の仮面をつけて戦い続けた(雅楽「蘭陵王」)。 557年以降 - 581年頃 - 北周から隋の間に長安にいた若者杜子春が財産を使い果たし、仙人の鉄冠子のもとで修行に励むが、ふとした過ちで不老長寿の夢を絶たれてしまう(原作は唐の李復言の伝奇小説『続玄怪録』の「杜子春伝」。日本の芥川龍之介の翻案小説『杜子春』は時代・場所のほか物語に大きく変更あり)。 565年 - アイルランド人でアイオナ修道院長でもあったコルンバは、スコットランド北部を布教する際に、人々を苦しめていたネス川に潜む怪物を聖なる力で追い払った(ローナ修道院長アダムナン(英語版)による『聖コルンバ伝(Vita Columbae)』。ネス湖の未確認生物「ネッシー」の最古の記録ともされる)。 581年以降 - 広東省の羅浮山麓は梅の名所で、隋の開皇年間に将軍趙師雄がここである清楚な美女に出会い、歓談し酒を酌み交わした。酔いが覚めるとただ一人。美女は梅花の精霊であった(柳宗元「龍城録 趙師雄酔憩梅花下」に見える「羅浮仙伝説」)。 585年以前 - 日本の敏達天皇の時代、元興寺(飛鳥寺)の童子が怪死する事件が相次いだ。雷神により授かったとされる尾張出身の怪力の童子がその元興寺の妖怪を倒し、怪異は収まった。この童子こそ道場法師の前身である(景戒『日本霊異記』)。
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