伝説・架空のできごととは? わかりやすく解説

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伝説・架空のできごと

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12世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

1119年 - 1125年 - 北宋徽宗皇帝宣和年間様々な事情世間からはじき出され宋江好漢英雄108人が義侠心で結びついて梁山泊集結。やがて官吏の不正がはびこる世情義憤覚え官吏打倒し国を救うことを目指すうになる原典は『大宋宣和遺事』だが、やがて講談小説の『水滸伝』に発展)。 1120年 - 1170年 - ホワイトシップの遭難からトマス・ベケット暗殺までのイングランドのキングズブリッジで、トム・ビルダーとその仲間たち大聖堂建築するケン・フォレット大聖堂』)。 1135年 - 1154年 - イングランド王スティーブン時代サフォーク州のウールピットのオオカミ穴から見知らぬ少年少女出現した二人とも全身緑色で、見たともない素材でできた衣服を身にまとい、言葉は全く通じなかった(ニューバーグウィリアム英語版修道士年代記英国事件史(Historia rerum Anglicarum)』の「グリーン・チルドレン(英語版伝説」)。 1135年以降 - ヘンリー1世亡き後イングランド舞台に、第1回十字軍参加した後に修道士となった経歴をもつカドフェル東方より学んだ薬草学知識洞察力駆使して難事件解決していく(エリス・ピーターズ歴史ミステリー修道士カドフェル』)。 1151年 - 1154年 - 近衛天皇仁平年間御所清涼殿出現し源頼政がこれを退治する『平家物語』第四巻「鵺」)。 1154年 - 鳥羽上皇のもとへ絶世の美女玉藻前現れ上皇寵愛されるも、九尾の狐であることが露見し討伐されるが、那須殺生石となってなおも人々苦しめる(史書神明鏡』・能『殺生石』・御伽草子玉藻草紙』ほか「九尾の狐伝説)。 1165年 - 保元の乱敗れ伊豆大島流され鎮西八郎源為朝は、後に琉球渡って大里按司の妹と結ばれ琉球王国始祖舜天の父となる(琉球王国正史中山世鑑』では事実として記載されているが真偽不明この伝説をもとに書かれたのが曲亭馬琴の『椿説弓張月』)。 1168年 - 歌人の僧西行讃岐国下り白峰にて崇徳上皇怨霊遭遇する上田秋成雨月物語』「白峰」)。 1177年 - アヴィニョンのベネゼが神の啓示を受け巨岩持ち上げるなどの奇跡起こしつつサン・ベネゼ橋建設着手( - 1185年唱歌アヴィニョンの橋で』のもととなった伝説)。 1180年以前 - 平家追討以前若き御曹子源義経は、庇護者である藤原秀衡より、北の国都にかねひら大王」が住み、「大日の法」と称する兵法書があることを聞かされ、旅に出る。裸の者ばかりの「裸島」、女ばかりが住む「女護の島」、背丈が扇ほどの者が住む「小さ子の島」などを経めぐった後、目的地である蝦夷が島に向かう(室町時代御伽草子御曹子島渡』、後に成立する義経北行伝説」にも影響与える)。 1180年 - 福原京遷都されたこの年いつものように平清盛がその邸宅で庭を眺めていると、折からいくつも骸骨出現しさらには一つ大髑髏合体し清盛睨みつけた。清盛目を見開いて睨みつけると、大髑髏不意に姿を消してしまった(原典『平家物語』物怪之沙汰」、後に鳥山石燕により「目競」という妖怪の名をつけられる)。 1185年 - 兄である源頼朝からの追討避けるために、摂津国大物浦から海路落ち延びようとした源義経とその部下たち。しかし港を出てから暴風雨巻き込まれ義経によって西海滅んだ平家一門怨霊こぞって出現する謡曲船弁慶」)。 1189年 - 衣川の戦い藤原泰衡殺害され源義経であったが、義経に従っていた常陸坊海尊その場居合わせず死を免れた以来義経一行のことを語り継ぐ者として不老不死の命を得たという(林羅山本朝神社考』では残夢と言う僧侶その人物だと記載され、『清悦物語』などに発展する)。 1190年以降 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世死んだではなくテューリンゲン地方のキュフホイザー山中眠り続けている。帝国危機襲われ時には再び蘇り苦境から救い出すという(グリム兄弟ドイツ伝説集』)。 1193年 - saku saku出てくるアパートエスポワ〜ル横浜第2」が数々の名宮大工の手によって完成12世紀末 - 第三回十字軍遠征終わったエルサレムで、富と知恵兼備しユダヤ商人ナータンは、イスラム教名君サラディンによる難問ユダヤ教キリスト教イスラム教のいずれが真の宗教か?」に対し真偽識別がまったく不可能な三つの指輪たとえ話用いて、この問い無意味さ説くゴットホルト・エフライム・レッシング劇詩賢者ナータン』)。

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伝説・架空のできごと

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17世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

17世紀 - スペイン名家息子ドン・ファン・テノーリオ好色漢放蕩三昧日々送っていた。そしてウジョエの娘を奪うだけでなく、ウジョエをも殺害する至った。ウジョエの遺体埋葬され、その墓の上建てられ石像ドン・ファンの上倒れ、彼はその下敷きになって死んだが、これは天罰だと人々噂しあった(原本は『セビーリャ年代記』、ティルソ・デ・モリーナモリエールにより舞台化され、モーツァルトのオペラや、バイロンの詩にも翻案された)。 1605年以後 - 1615年以前 - 狂気の発作癒えしばし故郷ラ・マンチャ静養していたドン・キホーテのもとに学士サンソン・カラスコ登場ドン・キホーテ伝記小説ドン・キホーテ前編)が出版されたことを報告し新たなる遍歴の旅に出ることを勧めるミゲル・デ・セルバンテス小説ドン・キホーテ後編)。 1611年以前 - 天皇の賀輿丁である八瀬童子一人岩介は朝鮮渡り呪術の才を身につけてきた人物である。疾駆する荒馬巻き込まれ後陽成天皇三宮政仁親王後水尾天皇)を助けたことから岩介は「天皇隠密」として近侍することになり、幕府との確執深める天皇のために陰で奔走することになる(隆慶一郎『花と火の帝』)。 1616年 - 南ネーデルラントフランドル)の小さな町現在のベルギーブーム都市)(英語版))は、年に一度謝肉祭支度忙しい。そこへスペインオリバーレス伯一行軍隊がまもなく到着しこの地に逗留するとの知らせが届く。さあ一大事血気に走る暴れ者スペイン兵の目を欺くために、町長急死したことにしてやり過ごそうとするが、町長肝っ玉夫人コルネリア女性たち集めて一計を案じるジャック・フェデー監督映画女だけの都」)。 1623年 - スペインレオン地方出身ディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオイギリスから来た二人連れ暗殺依頼されるその様子を見て思い止まる。この二人連れこそはチャールズ皇太子(後の国王チャールズ1世)とバッキンガム公爵であったスペイン小説アラトリステ』・映画化もされている)。 1625年 - ガスコーニュ出身青年貴族ダルタニャンがカルム・デショー修道院の裏庭での決闘きっかけ銃士隊加わり、アトス・アラミス・ポルトスの三銃士との友情深めていく(アレクサンドル・デュマ小説三銃士』(『ダルタニャン物語』の第一部))。 1620年代末 - スペイン支配下にあった北イタリアコモ湖近くで、青年レンツォと娘ルチアいいなずけ同士結婚しようとしたところ、ルチアに目をつけた横暴な領主ドン・ロドリゴ横槍を入れ司祭脅迫して式を挙げさせず、二人訴え弁護士に取り上げさせないこれから波乱万丈物語が始まる(アレッサンドロ・マンゾーニ小説いいなづけ』)。 1638年以降 - 島原の乱生き延びたキリシタン森宗意軒忍法天草四郎宮本武蔵らせ、由比正雪とともに幕府転覆目論む山田風太郎おぼろ忍法帖』・この小説をもとにした深作欣二監督映画魔界転生』も有名)。 1638年 - 1640年頃 - この時期描かれフランス画家ニコラ・プッサン代表作アルカディアの牧人たち』では、墓石ラテン語で "Et In Arcadia Ego"(我はアルカディアにもある)と書かれているのを牧人たちが覗き込んでいる。この章句アナグラムで、並び替えると"I Tego Arcana Dai"(立ち去れ!私は神の秘密隠した!)となり、イエス・キリスト血脈キリストの墓に関する秘密がこの画には隠されていたのであるヘンリー・リンカーンほか『レンヌ=ル=シャトーの謎』からダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』発展)。 1640年 - この年師走会津藩支配する猪苗代城城代堀部主膳のもとに禿頭童子現れ堀部にこの城の主である「亀姫」に挨拶せよと催促をする。堀部怒ってそれを断ると笑って童子姿を消した翌年間もなく堀部は厠で倒れ死んだ(『老媼茶話』)。 1645年 - 清軍は揚州の街に向け住民皆殺し命令下し市街地獄変貌した意地悪なくせに小鳥にはひどく優しい不思議な遊女の緑は、彼女の纏足された足を世話する少女・雀を連れ美貌知性武器生き抜こうとする(ケン・リュウ劉宇昆)の小説を結びて環を銜えん』)。 1653年 - 佐倉藩堀田正信重税取り立て領民困窮していた。このため名主惣五郎1人上野寛永寺参詣する四代将軍徳川家綱直訴した。その結果訴え聞き届けられ、藩の領民救われたが惣五郎夫妻は磔となった(『地蔵堂通夜物語』ほか「義民佐倉惣五郎伝説」。怨霊となって仇をなしたという話もある)。 1657年以降 - 1695年以前 - 肥前国佐賀藩2代藩主鍋島光茂機嫌損ねた家臣龍造寺七郎斬殺され、又七郎の母も悲憤のため自害する。その母が飼っていた化け猫となり、城内入り込んで光茂を苦しめる(『鍋島化け猫騒動』)。 1659年 - 9月1日ブラジルサルヴァドールから西アフリカ向けて出港したロビンソン・クルーソーが、大西洋上で難破し無人島漂着するここから1683年までの24年間のロビンソン・クルーソー孤島暮らし物語が始まる(ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー』)。 1660年 - 1685年 - イングランド国王チャールズ2世の命によりオーランドーイスタンブールコンスタンティノープル)の大使として派遣されるが、その赴任中に昏睡状態に陥り、目が覚める男性から女性へと性が変化していた、彼女はこの後もなお長大な人生生き続ける(ヴァージニア・ウルフオーランドー』)。 1661年以降 - フランス財務官ニコラ・フーケ国王ルイ14世不興買って投獄される。彼を救おう三銃士一人アラミス奔走するがその途上鉄仮面をかぶる謎の囚人出会い一世一代賭け挑むことになる(アレクサンドル・デュマ小説ブラジュロンヌ子爵』「鉄仮面」(『ダルタニャン物語』の第三部))。 1664年 - イングランド国王チャールズ2世愛犬病気治した縁により、医学生だったロバート・メリヴェルが医師として招かれ波乱含み宮廷悲喜交々日々巻き込まれていく(ローズ・トレメイン道化と王』)。 1672年 - 鬼怒川沿いにある下総国岡田郡羽生村殺害された累(かさね)という女性怨霊長年にわたり凶事引き起こしていたが、弘経寺(ぐぎょうじ)の祐天上人により行われた浄霊供養によりその因縁解かれ怨霊成仏した(「累ヶ淵伝説」)。 1682年 - 名うて好色漢である世之介60歳になって財産整理し仲間7人とともに好色丸なる船をあつらえ神無月の末に伊豆国から女護島めざして船出し消息不明となった井原西鶴好色一代男』)。 1690年以降 - 水戸藩主退いた徳川光圀佐々木助三郎渥美格之進二人を共にして諸国漫遊の旅に出る。その途上一行各地庶民親しく交わり悪政行なう大名代官などがいればそれを糾すべく世直し挙に出る講談水戸黄門漫遊録」ほか映画テレビドラマ)。

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19世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

1803年 - 享和3年常陸国鹿島郡のとある旗本知行地の浜に虚舟うつろぶね)が現れた。虚舟でできていて、その壁面は文字書かれており、窓があって、球状であった中には異国風の女性乗っており、箱を持っていたという(曲亭馬琴随筆兎園小説』に「虚舟の蛮女」との題で図版とともに収録されている。その他に屋代弘賢『弘賢随筆』にも記録図版あり)。 1820年 - 七歳の時に神隠し遭い行方不明だった江戸下谷七軒町寅吉この年文政3年帰宅する寅吉が語るところでは空を飛ぶ杉山僧正に連れられ常陸国岩間山で天狗修行をしていたという(平田篤胤仙境異聞』)。 1846年 - 弘化3年4月肥後国海中に光る物体出現役人見聞する記録では、それは半人半魚風体で「アマビエ」と名乗り豊作疫病の流行予言疫病を防ぐため自らの姿を描いた絵を人々見せよ告げたと言う京都大学附属図書館所蔵瓦版)。

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紀元前21世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

紀元前21世紀 - 夏の創始者禹が洪水治めたとき、洛水から神亀出現しその背中には「洛書」と呼ばれる文様刻まれていた。禹はこれにもとづいて洪範九疇作ったといわれる(『易経』「繋辞伝」をもとに『漢書』五行志」の劉歆注釈など伝説化される)。 紀元前2063年 - アトランティス人クロノスクリスタル用い時間捕食する怪物クロノヴォーレのコントロール成功するドラマ『ドクター・フー』)。

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18世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

18世紀 - イギリスのある海岸さびれた宿屋ベンボー提督亭に顔面に傷を負った大男ビリー・ボーンズ現れるひょんなことから急死した彼の遺品整理をしていた宿屋息子ジム・ホーキンズは、ビリーフリント船長率い海賊団船員であったことを知り密かに宝を隠した地図があることを発見これから宝探し冒険の旅が始まる(ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』)。 1709年 - 5月21日ガリヴァー日本東端の港ザモスキに到着し日本の皇帝江戸で拝謁許されるその後ナンガサク(長崎)まで護送され6月9日オランダ船で出港しイギリスに帰国する(ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』)。 1716年 - トルコオーストリア戦争テッラルバのメダルド子爵は、砲弾を受け体が左右まっぷたつになってしまった。病院で右半分だけは無事に命をとりとめたが、領地テッラルバ戻ってきた右半分だけの子爵は人間らしい心を失った人間になっていた(イタロ・カルヴィーノまっぷたつの子爵』)。 1735年 - 享保20年この年老中松平信祝陰謀により陸奥国磐城湯長谷藩藩主内藤政醇通常よりも過酷な参勤交代申し付けられる。小藩ではあるが藩主盛り立て湯長谷藩主従知恵と策を用いてこの難局乗り越えていく(土橋章宏脚本小説超高速!参勤交代』。映画化もされている)。 1749年 - 備後国三次現在の広島県三次市)で、16歳となる稲生武太夫7月1日から30日まで連日妖怪仕業思われる奇怪な現象悩まされる。しかし豪胆な太夫はものともしなかったため、気丈さを称賛した妖怪首魁山本五郎左衛門眷属伴って退去することになった正甫稲生物怪録』)。 1750年 - ジョージ2世王配下のイギリス軍フェルナンド6世王配下のスペイン軍海賊黒髭一団との「生命の泉争奪戦に、海賊ジャック・スパロウ加わり波乱万丈航海展開していく(映画パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」)。 1751年 - ケープタウン向かいテーブル湾に入る直前一隻アムステルダム船が向かい風煽られた。腹を立てた船長ヘンドリック・ファン・デル・デッケンがその風を罵ったため、風の呪いを受け湾内に入ることもできず幽霊船となって永遠に彷徨い続けることになった(「フライング・ダッチマン伝説リヒャルト・ワーグナー作曲オペラさまよえるオランダ人」の原型でもある)。 1756年以降 - 決闘事件故郷アイルランド逃亡した青年バリー七年戦争での志願兵として大陸に渡る。この後各地遍歴続け出世欲からリンドン家の乗っ取り画策するウィリアム・メイクピース・サッカレー小説バリー・リンドン』・この小説を基にしたスタンリー・キューブリック監督映画バリー・リンドン」も有名)。 1761年 - 旗本飯島平左衛門の娘お露は、一目惚れした相手萩原新三郎恋い焦がれて死ぬが、以来新三郎はその思いを断つように念仏三昧明け暮れる。その年の盆の十三夜新三郎の家を死んだはずのお露訪れたその手には牡丹燈籠下げられていた(三遊亭圓朝怪談牡丹灯籠』)。 1767年 - 香水名産グラースにて有力者令嬢ロール・リシを殺害し特殊な香水力を借りて死刑判決から逃亡したグルヌイユパリ出現するパトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』。映画パフューム ある人殺しの物語」の原作)。 1772年 - リベルタン奔放な貴族アルフォンスサド侯爵)の無罪放免勝ち取るため、夫人ルネとその母モントルイユ夫人思案する一方で、シミアーヌ男爵夫人やサン・フォン伯爵夫人らが、それぞれの立場から助言を行う(三島由紀夫サド侯爵夫人』)。 1773年 - フランス王太子ルイ王太子妃マリー・アントワネットの初の正式なパリ訪問の際、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ近衛連隊付近衛兵として警備務め、この邂逅から運命歯車動き始める(池田理代子漫画ベルサイユのばら』。映画舞台にもされている)。 1774年以前 - ルイ15世治世下のパリ不吉な天文現象暗示続き飢饉の波が押し寄せ財務総監無策怒った民衆による反乱勃発する。そして突如巨大なの姿をした怪物が姿を現し瞬時のうちに反乱軍正規軍呑み込んでしまう。暴徒を操る怪物対し、エレアザールは超自然的存在助け借り超能力駆使して怪物戦い挑む(ルイ・クロード・サン・マルタン『クロコディル 18世紀パリ襲った怪物』)。 1775年以降 - アメリカ独立戦争の頃、ニューヨーク州に住む呑気木こりリップ・ヴァン・ウィンクルは、猟に出掛け深山足を踏み入れた。そこで九戯を楽しむ見知らぬ男たちの一群酒盛りをしていたのに加わる。酔い覚めて山を下ると、ふもとでは20数年歳月流れており、既にアメリカ独立国になっていた(ワシントン・アーヴィング短編小説リップ・ヴァン・ウィンクル』)。 1775年以降 - ダーニーとカートンという2人青年と、無罪牢人の娘であるルーシーとの恋愛関係が、フランス革命巻き込まれ悲劇的な運命辿っていく(チャールズ・ディケンズ二都物語』)。 1780年代 - 江戸天明年間老中田沼意次金権政治対し汚れた世の中正さんと悪人たち成敗する「紫頭巾」が大活躍。紫頭巾浮世絵師狩田秀麿と人気二分することとなったが、その秀麿こそ紫頭巾正体だった(寿々喜多呂九平原作による時代劇映画紫頭巾」)。 1791年 - 天真爛漫だ節度弁えぬ若きモーツァルトには天賦音楽才能があり、これを見いだした宮廷音楽家のサリエリ自分凡庸さに苦悩する。やがてサリエリモーツァルト殺意抱いていく(作家ピーター・シェーファー戯曲アマデウス』・この戯曲を基にしたミロス・フォアマン監督映画アマデウス」も有名)。 1792年 - 秘密裏貴族救出する謎の組織紅はこべスカーレット・ピンパーネル)」の暗躍業を煮やしたフランス革命政府は、組織壊滅のため全権大使ショーヴラン派遣しブレイクニー准男爵夫妻接近させる(バロネス・オルツィ小説紅はこべ』)。 1793年 - 前年国王グスタフ3世仮面舞踏会暗殺され以来社会不安高まっているスウェーデン首都ストックホルムの湖で、四肢切断され金髪の男性の痛ましい死体発見された。インテリ法律家荒くれ風紀取締官がその謎を追う(ニクラス・ナット・オ・ダーグ『1793』)。 1793年 - 1794年 - 駆け出し画家エヴァリスト・ガムランがフランス革命の中で共和主義傾倒し、やがて革命裁判所陪審員選ばれ恐怖政治身を投じ破滅していく(アナトール・フランス神々渇く』)。

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紀元前1世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

紀元前93年以降 - 前漢武帝仕えた東方朔滑稽ありながら機知に富んだ人物であったが、崑崙山仙女西王母植えた三千年一度しかならない桃の実三つ盗んで八千歳の長寿得たという(『漢武故事』)。 紀元前50年頃 - ユリウス・カエサルによりガリアのほとんどがローマの支配下に編入され中にあってアステリックスオベリックスらの仲間たち自分たちの知恵勇気守り抜いている(ルネ・ゴシニアルベール・ユデルゾアステリックス』)。

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紀元前2世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

紀元前146年 - カルタゴ遠征途上スキピオ・アエミリアヌスは、夢の中で祖父スキピオ・アフリカヌス出会い、国を守ることの尊さ霊魂永遠を諭される。そしてその献身により九つ天球宇宙のもとで、心地よい調和音楽を耳にすると言われるキケロ国家論』の中の「スキピオの夢」)。 紀元前126年以前 - 前漢武帝の命で西域へと赴いた張騫は、大夏から黄河源流探り不思議な浮槎(いかだ)に乗って天の河を遡った。そこで牽牛・織女会ったという(西晋張華による『博物志』などから発展した張騫乗槎(じょうさ)伝説」)。 紀元前100年代 - 前漢武帝寵愛し李夫人将軍李広利の妹)は昌邑王劉髆を産むと間もなく亡くなった李夫人忘れられずにいた武帝道士霊薬整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという(白居易李夫人詩』の「反魂香」の故事)。

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1世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

26年 - ローマ人司令官メッサーラ属州ユダヤ派遣され旧友ベン・ハー邂逅するが、やがて二人反目し合う。無実の罪着せられベン・ハー家族から引き離されメッサーラへの復讐を誓うルー・ウォーレス小説ベン・ハー』及びこれを基にした映画作品)。 30年頃 - 刑吏鞭打たれつつゴルゴダの丘向かい十字架担いでいたイエス休息求めていたにも関わらず靴屋アハシェロスはそれを手荒くあしらい罵ったため主の呪いを受け、死ぬこともできない身の上となって永遠にさまよい続けることになった「さまよえるユダヤ人」伝説)。 54年 - 68年 - 享楽頽廃ローマ帝国皇帝ネロ悪政続いていく中、キリスト教の信仰徐々に広がり見せていた。スラブ系キリスト教徒の娘リギアと、ローマ軍人マルクス・ウィニキウスの二人の恋もこの時代の波に翻弄されていく(ヘンリク・シェンキェヴィチによる小説クォ・ヴァディス』)。

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紀元前12世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

紀元前12世紀 - 周の祖古公亶父には太伯虞仲季歴三兄弟がいた。末子季歴優れた才を持っていたので、父の意を汲んだ太伯虞仲季歴跡目継がせるため出奔蛮の地へと赴き断髪文身習俗合わせ呉国の祖となった断髪文身習俗を持つ倭人日本人)はこの太伯末裔だという(『翰苑』巻30記録された『魏略逸文や、『晋書』東夷伝『梁書』東夷伝)。 アガメムノンオデュッセウストロイ陥落させる方法考えるように言われ初代ドクタートロイアの木馬作戦考案

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伝説・架空のできごと

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6世紀」の記事における「伝説・架空のできごと」の解説

502年 - 514年 - 武帝風狂の僧宝誌尊崇し、その肖像画を描かせるべく三人画家遣わした宝誌画家たちの前で自らの顔に裂け目入れ、顔の皮を左右に拡げると、中から十一面観音菩薩の顔が現れた。かくして画家たち描いた肖像画見て武帝再度宝誌を追うが、その姿を二度と見ることはなかった(原型南朝梁慧皎高僧伝巻10『宇治拾遺物語』他の記述発展京都市西住寺の宝誌和尚像も有名)。 502年 - 549年 - 武帝治世活躍した画家張僧繇金陵安楽寺壁画に龍を描きややあって目を書き入れたところ龍が画中から動き出し瞬く間天上駆け上っていった(張彦遠歴代名画記』「画竜点睛を欠く」の故事。他の出典として『衡記』)。 507年 - 越前国真野住んでいた、応神天皇の子孫である大迹部皇子男大迹皇子継体天皇)のもとに急使届き次の帝の候補として白羽の矢立てられた。皇子は都への旅路を急ぐかたわら、この地に残すことになる恋人照日の前に使者送り手紙愛用し花筐はながたみ花籠))を届けさせる(世阿弥謡曲花筐」)。 528年 - コネチカット州ハートフォード出身のハンク・モーガンは、兵器工場職長であったある日モーガン部下殴られ気絶する意識取り戻すと目の前に騎士がいて、騎士に連れて行かれた先はキャメロットだった。モーガン自分がかのアーサー王宮廷にいることを知る(マーク・トウェイン小説アーサー王宮廷のヤンキー』)。 537年 - アーサー王遠征中にモルドレッド反乱起こしカムランの戦いで王が討伐した。しかし王は激戦の末、瀕死の重傷負い治療のためアヴァロンへ赴き、この地で最期迎えることとなる。またアーサー王未来のいつかに目覚めて人々を救うために帰ってくるため、ここで眠っているだけだという(「アーサー王帰還伝説英語版)」。最古記述『カンブリア年代記』ジェフリー・オブ・モンマス『ブリタニア列王伝』などで発展)。 564年 - 洛陽北周軍に包囲された時、敵の策謀疑い門は閉じられたままだった。救援に来た北斉将軍高長恭蘭陵王)が門前で兜を脱ぎ顔を晒したところ、類いまれ美貌見て門兵が扉を開いた以後もその美貌兵卒たちの士気下げることを恐れ高長恭は常に異形仮面をつけて戦い続けた雅楽蘭陵王」)。 557年以降 - 581年頃 - 北周から隋の間に長安にいた若者杜子春財産使い果たし仙人冠子のもとで修行に励むが、ふとした過ち不老長寿の夢を絶たれてしまう(原作は唐の李復言伝奇小説『続玄怪録』の「杜子春伝」。日本芥川龍之介翻案小説杜子春』は時代・場所のほか物語大きく変更あり)。 565年 - アイルランド人アイオナ修道院長でもあったコルンバは、スコットランド北部布教する際に、人々苦しめていたネス川潜む怪物聖なる力で追い払ったローナ修道院長アダムナン(英語版)による『聖コルンバ伝(Vita Columbae)』。ネス湖未確認生物ネッシー」の最古の記録ともされる)。 581年以降 - 広東省羅浮山麓は名所で、隋の開皇年間将軍趙師雄がここである清楚な美女出会い歓談し酒を酌み交わした酔い覚めるとただ一人美女梅花精霊であった柳宗元龍城録 趙師雄酔憩梅花下」に見える「羅浮仙伝説」)。 585年以前 - 日本敏達天皇時代元興寺飛鳥寺)の童子怪死する事件相次いだ雷神により授かったとされる尾張出身怪力童子がその元興寺妖怪倒し怪異収まった。この童子こそ道場法師前身である(景戒『日本霊異記』)。

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