総評
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日本代表キャップ3。ポジションはスクラムハーフ(SH)。歴代屈指のSHとの評価が高い。卒業後は住友銀行(現・三井住友銀行)に入行。同行はラグビー部がないため、1975年の英国遠征を最後に現役を引退した。
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総評
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『ソードアート・オンライン』は、各編ごとにそれぞれ異なるヒロインが登場するが、アスナはアインクラッド編のヒロインであると同時に、シリーズ全体を通してのメインヒロインでもある。同作には『このライトノベルがすごい!』の作品部門で女性からも票が集まるという特徴があるが、ライトノベル・フェスティバルの実行委員会代表を務める勝木弘喜は、キリトが浮気ばかりしているにも関わらず同作に女性票が入る理由は、「アスナという本命の彼女を大切にしているからだと思う」と推測している。 また、ポップカルチャーの批評を手掛ける飯田一史によれば、主人公が複数の異性から求愛されるハーレム状態でも本命が固定されている設定は女性向け恋愛小説とも共通する特徴であり、アスナというメインヒロインが存在する『ソードアート・オンライン』は女性的な恋愛観とも齟齬が少ないと考えられる。さらに、2000年代にはいわゆるツンデレのヒロインが人気だったが、アスナを従来のテンプレだったツンデレではなく「凛とした芯のある女性」にしたことも、既存作品との棲み分けに繋がり、同作の女性人気の一因になったと飯田は分析している。 アスナの容姿については、文芸評論家の町口哲生がその特徴を述べたうえで、「一言でいえば美貌の持ち主であり、カップルとして申し分ないため二人とも人気が高い」とキリトとともに評価している。日本文学研究者の大橋崇行は、『ソードアート・オンライン』のアスナの登場シーンには「キャラクターについての非常に視覚的な描写が多く見られる」という特徴があることについて触れ、一般文芸であれば視覚的にキャラクターの容姿を書くことを避け、読者の想像にゆだねるものだとしたうえで、これに反する容姿の固定化は「ライトノベルでの表現上の特性」であると分析している。 また、『コミック・ブック・リソーシズ』で執筆を行っているライターのBrianna Albertはアスナの戦闘スタイルについて「スピードとレイピアを駆使した高速でエレガントな戦い方をする」と評価している。
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総評
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「第8回全国同時地方選挙 (韓国)」の記事における「総評」の解説
政権与党である国民の力が第7回地方選挙での大敗を雪辱し、共に民主党を相手に全国的に楽勝する結果を得た。広域地域の自治体首長選挙の結果を見ると、既存の強勢地域だった慶尚道地域を死守したのに続き、国民の力党の絶対的劣勢地域である全羅道地域から出馬した公認候補者全員が公職選挙法上寄託金全額を返還してもらえる15%以上の得票を得ることに成功し、李明博政権以来、国民の力所属候補者が当選しなかった忠清道地域全てを席巻し、決定的に首都圏地域の広域議会選挙で12年間少数党だった国民の力は、今回の地方選挙で過半数以上、3分の2に近い議席を獲得することに成功した。また、基礎地域団体長選挙でも、上の政党は全羅道地域だけが当選者を輩出できなかっただけで、全国的に選出定数の60%以上に当たる145人の当選者を輩出し、自党所属広域地域団体長と共に保守派与党の力を与える役割を果たすことができるようになった。 国会の多数党で第1野党である共に民主党は今回の地方選挙で完敗した。共に民主党は広域地域の団体長から5人の当選者を輩出したが、強勢地域と評価されていた全羅道地域3ヶ所に済州特別自治道、そして極右性向候補者の票分散の効果で次点者である金恩慧候補とわずか0.15%差で当選した京畿道だけだった。このうち全羅道地域3ヵ所と済州特別自治道地域は、相手側の国民の力党が力を発揮できない地域と評価され、無難に勝利できると評価される地域だったとしても、直前の大統領選挙で民主党所属の大統領候補として出馬した李が道知事職を歴任した京畿道と仁川市地域で敗北したり少数点差で勝利したことと、李在明が仁川市桂陽区乙選挙区の国会議員補欠選挙に出馬し、自党所属候補の得票上昇効果を目標にしていた点を勘案しても、共に民主党に決定的な打撃となったという評価がある。そして首都圏の基礎地域団体長の選挙と広域地域議会の選挙で共に民主党は2010年第5回地方選挙以来、国民の力を相手に圧勝する結果を見せたが、今回の選挙では少数党に転落した。非首都圏地域を見ても、共に民主党は忠清道地域で最近10年間勝利した広域自治体長の選挙で全敗し、特に公務員都市と称する世宗市で発足して以来、引き続き当選者を輩出してきたが、今回の地方選挙では史上初めて国民の力党に勝利の記録を与えた。共に民主党は盧武鉉政府以来、別名「地域主義打破」というスローガンの下で釜山・蔚山・慶南に該当する慶尚道の南東部で基礎地域単位の選挙を中心に当選者を着実に輩出し、第7回地方選挙で史上初めて全勝の記録を立てたが、今回の地方選挙で広域地域団体長全員がダブルスコアの差で相手候補に敗北し、広域地域議会でも当選者がほとんど出なかった。また、基礎地域団体長でも全羅道地域と隣接する南海郡の1ヶ所以外に全敗した。共に民主党の政治的基盤となる全羅道地域で当選者を多く輩出したことが共に民主党の慰めだが、それにもかかわらず国民の力が広域地域団体長の選挙で該当地域出馬者の全員が公職選挙法上の寄託金全額返還基準である15%以上の得票を得ることを許した。それ以外にも基礎地域団体長の選挙で無所属候補の大挙当選を許したのに続き、広域地域議会の選挙で院外政党である進歩党などが地方区域議員の選挙で共に民主党候補を破り、議席1〜2個獲得することになった。今回の地方選挙の完敗結果により、大統領選挙敗北で構成された共に民主党の非常対策委員会の委員長は総退陣し、共に民主党内部の手続きにより新しい指導部が構成される予定である。 正義党をはじめとする院内野党とその他政党は有意な結果を得ることができず、国会の第2野党である正義党は前回の地方選挙に比べて当選者数が3分の1に減り、「正義党の危機」という評価が出始め、同じく指導部が総辞職した。 国会以外の院外政党の中で進歩党の選挙結果が特に目立つが、2014年末に韓国憲法裁判所から違憲政党の決定宣告で解散された統合進歩党の後身として壊滅的政局状況に置かれた過去を克服し、基礎地域団体長の選挙から1人の当選者を得て、広域地域議会地方区の選挙で共に民主党候補を破り自力で当選したなど、統合進歩党事態に分かれた国政野党である正義党より優秀な成績を得て、躍進したという評価を得た。 全羅道地域では民主党の大統領選挙の敗北の影響で、地方選挙開票前から民主党の全国的な敗北が予想された状況なので、投票率が特に低く、公認候補者審査過程に内紛も多かった。このため、無所属候補者は共に民主党の強勢地域である全羅道地域を中心に数人の候補者が当選する成果を得た。 教育監選挙も同時実施されるが、地方教育自治法上、教育監の党籍保有は教育の政治化根絶という立法趣旨に合わないため、選挙実施1年前から禁止されたため、各個別候補者の政党公認がない。しかし、親民主党の全国教職員労働組合出身者であるか否かと各個別候補者ごとに教育政策の立場を調査し、保守性向の候補者と進歩性向の候補者として韓国のメディアで区分している。朴槿恵政権以後、進歩性向の教育監候補が大挙当選という記録が今回の地方選挙で崩れ、進歩性向候補者9人当選、保守性向8人当選の結果が出た。歴代地方選挙で保守性向の教育監候補者が一本化に失敗した影響で、進歩性向の教育監候補者が当選した結果を招いたという世論の批評があったため、今回の地方選挙で保守性向の教育監候補者たちが相次いで地域別に候補一本化を試みた。その結果、保守性向候補者たちが今回の選挙で躍進した。にもかかわらず、首都ソウルの教育監選挙では、保守候補の一本化が失敗したため、保守性向の教育監候補者の合計得票率が50%を超えるが、現職教育監である進歩性向の教育監候補者が38.1%の得票で3選に成功した。 国会議員の補欠選挙については、この地方選挙とは別に実施される選挙だが、韓国の公職選挙法203条などの但し書き条項により、全国で同時に実施される公職選挙と同時に実施するよう規定されている。今回の国会議員補欠選挙について、すべては元国会議員が今回の地方選挙に出馬する理由で辞職したため実施することになったが、上記の地方選挙のように前回の大統領選挙の延長線上で行われる国会議員補欠選挙であるため、新与党の国民の力の善戦が予想された。選挙実施前には国民の力で4席、共に民主党が3席を占めていたが、今回の補欠選挙を通じて江原道原州市甲選挙区で国民の力が議席を奪還し、国民の力所属候補が5人、共に民主党所属候補が2人当選した。特に江原道では江原道の強者と評価されていた共に民主党の李光宰元江原道知事の知事選の落選と、原州市甲選挙区で李光宰の議席を引き継ごうとする共に民主党候補の国会議員補欠選挙での落選が目立つ。共に民主党の全国的な敗北と相まって、江原道はもちろん全国的に保守勢が強くなるという評価が出た。
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総評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/18 06:59 UTC 版)
ヒゼキヤは、ソロモン王やアハブ王の示したような(バアル神などの)他国・他民族宗教への寛容性・コスモポリタン性では強く劣っていたが、必要に応じ宗教の違うエジプトとも手を結んで、アッシリアに対抗し、ユダ王国の独立を守った。世俗的な独立と、精神的な独立の双方を追求し、一定程度成功をおさめたといえる。[要出典]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:39 UTC 版)
一つは、メゾン・ミリテール・デュ・ロワにおける外国人隊の多さである。外国人は宮廷で起きる陰謀に無関心であるとみなされ、フランス軍よりも効率が良く信頼された。しかし、メゾン・ミリテール・デュ・ロワ内では、フランス人衛兵がスイス人衛兵よりも優先されており、スイス人が優先されることはなかった。民兵武装組織は王国で創設されたものと同じ特権を享受しており、衛兵は所得税が免除され、もし衛兵が万が一死んだ時にはその家族も所得税を免除された。スイス衛兵はブルーをアクセントに用いた赤い軍服であった。スイス衛兵の編成単位は通常のスイス人連隊とは異なった。 これらの精鋭集団の募集は、権力に近づけるため、特別な選抜制であった。兵士たちは、全てのカントンとヘルヴェティア連邦の同盟国全てから徴集された。スイス人たちは二倍の俸給を受け取っていた。兵士たちは独自の軍旗を持ち、入隊初期は同国人の将校だけに囲まれていた。さらに、スイス人は信仰の自由を謳歌し、特別な裁判権を持っていた。スイス人隊内では、フランス正規軍の内部規律よりはるかに厳しい、スイスの法典に従った内部規律を維持し、それが必須とされていた。ソルールにおける一般的な降伏協定は、スイス人を海に連れて行くことを禁止していたが、数年後、スイス人カステーリャの連隊がコルス島へと送られた。 スイス衛兵連隊の公文書は、8月9日の晩に密かに曹長によってテュイルリーに埋められた。その公文書は戦いの結果を予測していた。新しい共和制の当局者によって、公文書は庭師に命じて掘り出され、厳正に燃やされた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/03 01:08 UTC 版)
「スーパーブラックジャック」の記事における「総評」の解説
以上のようなゲーム性はもとより、設定1でもヒキ次第ではプラスになるどころか1万枚越えも可能というスペックもありプレイヤーから支持を得るもののホール側にとって設定が扱い難いという欠点があったことや『北斗の拳』や『吉宗』と販売時期が重なったこともあり、設置台数を伸ばすことはできなかった。 ところが本機のメインキャラであるリオに人気が集中し、本機の設置が落ち着いた後であってもリオ関連グッズが多数発売された。後継機種として2005年には『リオデカーニバル』、2007年には『リオパラダイス』が発売されるなど、5号機時代においてもパチスロにおける萌えキャラとしての人気を不動のものにしている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:43 UTC 版)
上述の通り稀代の癖馬・ムラ馬として有名で、「気まぐれジョージ」と呼ばれたエリモジョージに勝るとも劣らぬ気性面の悪さが災いし、好走する時は殆ど一気の逃げ切りか一気の追い込みだけであった。騎手にも厩務員にも実際にレースがスタートするまでその日の調子が良いのか悪いのかすら判らず、特に初騎乗の騎手にとっては結果を残しづらかった。 他に、あまり知られていない特徴として、道悪が上手かったことがある。それも単なる重上手ではなく、荒れた芝や凸凹になった馬場をも苦にしないという珍しいタイプであった。これを利用して、道悪で他馬がコース内側を避けて走っている時に、一頭内ピッタリを走って3コーナーから4コーナーで一気に他馬を抜き去ることがあった。5歳時の有馬記念でそれをやって2着に食い込み、6歳秋の天皇賞では優勝の原動力となっているが、同時にフロック扱いされる要因ともなっている。更に、斤量を背負って勝ち切るのが強者の証の時代に、背負うとさっぱりという弱点もあった。 ただし、泣き所が露呈せず持ち味が発揮し易い条件では、本格化を果たしてからは着外ゼロで且つ重賞勝ちはその条件下での戦果であり、『泣き言を言い過ぎる』という一面がカブトシローの評価を下げる要因になったと言えなくもない。
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アジア通貨危機は、関連諸国の経済に大きなダメージを与えただけでなく、インドネシアやタイでは政権失脚の原因ともなった。特に注目されたのは、世界からの借り入れが、国家的な危機を引き起こした点である。公的債務か民間の債務かを問わず、海外の短期的な資金に頼るリスクが浮き彫りになった。そのため、海外資本のヘッジファンドや IMF に対して反感を抱く者もあらわれた。 アジア経済に対する不安感からユーロダラーは「質への逃避」を起こし、ことごとくアメリカへ回帰。新興市場への不信感からロシア財政危機、ブラジル危機をも招いた。一方、同通貨危機の影響をさほど受けなかった中国が、アジア地域の魅力的な投資対象として台頭する流れも生んだ。 この通貨危機の教訓から、関連諸国は民間の対外借り入れにも慎重になり、成長に必要な資金を国内貯蓄でまかなう姿勢を強めた。結果としてアジア各国は、この通貨危機を経て外からの経済ショックに対する抵抗力を高めた。 アジア諸国では外国からの資本導入にあたり、IMF の推進してきた資本移動の自由化の下で、比較的短期の物を導入していたことも、問題拡大に繋がったと指摘されている。経済的に不安が生じた場合に流動性の高い資本が急速に流出し、傷口を広げたとされる。アジアの途上国では高成長を背景に高金利政策を採用していた一方で、90年バブルの崩壊以降米日の政策金利は極めて低利水準にあり、国際金融資本市場から短期資金を融通し、それを国内向けの資金にスワップ(長短金利スワップ)することは、為替変動リスクを考慮した上でも自国の民族資本による投資よりも有利であったところ、アジア通貨危機の発生により為替リスクの急騰と途上国向け短期金利が高騰したことが、長期資金の急速な枯渇と資金逃避をもたらした。加えて IMF が融資の条件として景気後退期に緊縮財政や高金利政策を課したことが危機をより深刻なものとしたとの評価もある。 東南アジア諸国の経済成長システムが、1990年代のアメリカ経済成長システムと著しく似通っていたのが、根本的な危機の要因であるとの評価もある。同じ投資過熱を起こす国であるなら、より信用のあるアメリカへと資本が逃避することになるため、東南アジア諸国の成長システムは経済のバランシング(見えざる手)により破壊されることになったとの見解もある。 金融政策面ではアジア各国が事実上の固定相場制を採用していながら、各国独自の経済状況に合わせた金融政策と自由な資本移動を追求した結果としての国際金融のトリレンマの破綻が、典型的に大規模で非対称の通貨投機を招いたと分析されている。中国が通貨攻撃の直接的影響を免れたのはトリレンマの理論上整合的であり、資本の自由移動を厳しく制限していたためである。
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Perfumeは日本のアイドルシーンを大きく変えた女性グループである。Perfumeは最初はメンバーも憧れたSPEEDが広げたマーケットを意識した少人数のダンス&ボーカルの形態を持つアイドルグループの一つとして結成された。当時アイドルの売り出しを狙った各音楽事務所やレコード会社は、単なるダンス&ボーカル形態ではなく、そこに何かしらの変化を加えたグループを作ろうとした。Perfumeが選んだのがテクノだった。テクノポップは1980年代にはアイドルの楽曲にも盛んに取り入れられ、「テクノ歌謡」などと呼ばれたが、ブームも下火になり、1990年代には廃れていた。2000年代前半としてはテクノポップは、ナツメロのような忘れられた音楽、一部のマニアが支持するジャンル。一般的な音楽ファンからは「テクノはピコピコ鳴ってる音楽」ぐらいの認識であったため、かなりリスキーな選択だった。一人のプロデューサーにサウンドプロデュースを全て任せて、一貫してテクノをやり続けるというのも前例がなかった。Perfumeは当時の日本では馴染みの薄かった新たなジャンルで音楽界に風穴を開け、旋風を巻き起こした。 また結成から7年半、ようやくブレイクを果たしたPerfumeは、従来のメディア発信型ではなく、ライブアイドルとしての地道な活動の積み重ねによるボトムアップ方式で売れたアイドルである。安室奈美恵やSPEED、モーニング娘。らは売れたが、1990年代から2000年代初めにかけて、女性アイドルシーンは全体でいえば"冬の時代"といわれていた。Perfumeもその内の一つだった2000年代前半の第一次地方アイドルブームは、モーニング娘。人気にあやかったものだったが、2005年前後にモー娘が勢いを失うとメジャーシーンからアイドルが消えた。火をつけたのはPerfumeだった。Perfumeがアイドル再評価の流れを作り出し、AKB48のブレークで決定的になり、再び、アイドル市場は活性化した。ファンによる熱心な布教活動の後押しがブレイクに繋がったことは、後のアイドルシーンに多大な影響を与えた。2008年にPerfumeとAKB48の躍進と共に広がったアイドル市場を見た数多くの芸能事務所がシーンへの進出を始めた。 社内の反対を押し切って2007年10月10日発売の『Quick Japan』74号でPerfumeを表紙と特集に取り上げた同紙編集部は、「当時の状況を考えたらPerfumeの表紙は、かなりあり得ないというか、無茶でした。そもそも『ポリリズム』をちゃんと聴けてない状態で始まった企画でしたから。でもPerfumeは2006年頃から明らかに波は来ていたんです。所属事務所も一部では確かに支持されているのは分かっていて『じゃあこれをさらに広げるには何をすればいいのか』を探っている状態だったと思う。ライブにしろネットにしろすごく盛り上がってるにも関わらず、なかなかマスメディアだとか一般の人たちにまでは届いていかなかった。メディアとファンの温度差がすごかった。だからどうすればライブやネットでの盛り上がりが一般の人たちに届くのか、そのことばっかり考えていました。当時のPerfumeの位置付けは『どうせアイドルオタクが聴いて喜んでる音楽だろう』のようなもので、オタクの人も『自分たちは気持ち悪いオタクだし、アイドルソングなんて世の中に認められない馬鹿な音楽なんだ』みたいに変な開き直り方をしていて、アイドルの価値っていうのを誰もが同じフィールドで語りようがなかった。そういう状況で、どうやってPerfumeを見せていったらいいんだろう、世の中に向けてどういう言葉を作ればいいのかなあと、音がいいのは分かるが活字メディアとして打ち出し方が分からなかった。それで『アイドルっていうのは本来はジャンルじゃなくて、好きなら好きって言える存在のことだと思う』『その存在に今なれるのはPerfumeなんじゃないか』と編集部でコンセプトが打ち出され、アイドルという言葉をもう一回本来の意味で使える存在として"アイドルの意味を回復する3人"というリード文ができた。音がカッコイイとか言っても届かないのは十分に分かってるから、それを受容する側の状況を打ち出しすごくマッチした。あの時はそう打ち出して正解でした」などと話している。 宇多丸と掟ポルシェは2007年10月の読売新聞の対談で、宇多丸「『ポリリズム』がオリコンデイリーチャートで4位を記録したとき、言い方は悪いけど、ちょっと前までだれも知らないB級アイドルだったわけですよ、事実上。それがオリコンの4位に入るというこの振り幅は、多分僕の一生で、もう二度と経験できないと思う。アイドル史上の奇跡です」 掟「数年間のあいだでトークの技術にしろ、歌の技量にしろ、かなり上がってると思います」 宇多丸「そこが意外と大きい。フォロワーとかと比べると『あ、Perfumeって踊りもすげえなあ』みたいな」 掟「似たようなものが出てきたときに、追随させないための要素をけっこう持っている」 宇多丸「確かに。むしろ一番模倣しやすいのはサウンドかもしれないというぐらいで」などと述べている。 ENTAME nextは「従来のブレイクルートからは完全にこぼれ落ちていたはずのPerfumeがインターネットの口コミを起点としてスター街道を駆け上がった2007年は、奇しくも"テレビ離れ"という言葉が叫ばれるようになった最初のタイミングと重なっている。ネット利用によってテレビの視聴時間が減り、ネットの高速化と娯楽コンテンツのさらなる充実によって選択肢が増えた結果、それまで圧倒的だったテレビ視聴は、自然と優先順位が下がり始めていく。コンテンツがテレビに頼らずとも、ブレイクの種をまけるようになっていく時代の潮目。Perfumeの飛躍はアイドル界はもちろん、音楽業界全体においても、テレビ主導の時代が静かに幕を下ろそうとしていることを意味していた」などと論じている。 いしたにまさきは「PerfumeのブレイクはIT関連のサービスの成長と同期するという最高の関係があった。それと同じことをやることは今後はほぼ不可能」と述べている。 BARKSは2007年に「ある種の衝撃と麻薬的なサウンドで我々を虜にした」とPerfumeを評した。 オリコンは2008年4月、『GAME』のオリコンアルバム週間チャート1位を受け、「地元でデビューし、上京後もすぐには芽が出ず、コツコツとキャリアを積み重ね、少しずつファンを増やしていき、アーティスト達からも評価され、各方面から注目を集める。そしてブレイク――というなんとも美しい流れが存在する。無理がない、のである。だから惹かれる。3人のキャラクターは、3人とも天然!?というか独特の世界観を持っている。ライブでのMCも意外と毒舌だったり、インタビューでの発言も時々『ここまで言って大丈夫?』と心配になるところもあるが、そこも彼女たちの良さ、とマネージメントサイドが判断してか、そんな部分も無理に抑えることもなく、素の彼女たちの、そのままのキャラクター、資質を尊重しているところも好感が持てる。またいつの時代も、アイドルは求められているものだが、今また新しいアイドル、新鮮なアイドルが求められている時期なのかもしれない。そんな“時代の気分”を感じずにはいられない。そこに現れたのがPerfumeだ。下積みで培った実力、素晴しい作品、作られていないキャラ、そして“時代の気分”――最強のアイドル。 時代がようやく彼女たちに追いついた瞬間、それが今だ」などと評した。 掟ポルシェは「アイドル文化って'90年代頃に一度(応援していることを公言することが)恥ずかしいものみたいな存在になっちゃったんですよ(中略)Perfumeを初めて見た時に、『音楽がいいから俺たちは聴いているんだ』と主張しても世間を納得させられるものだと思ったんです」等と話し、2008年の近田春夫との対談では「Perfumeがブレイクしたのは、アイドルと重低音のフロアトラック的なテクノの組み合わせに意外な正解があったからと、Perfumeの3人の声自体が、アイドル以外の何者でもない素質と才能を感じさせるから。あれだけのアイドルを感じさせるいい声はなかなかいない」などと評した。近田春夫は2008年のインタビューで「PerfumeとそのチームはJ-POPの歴史に残ることは確か」と断言し、「中田ヤスタカ以降は音楽を作る人はDJもできないとダメになった。彼のようなサウンドクリエーターの要求に応えるフィジカルな能力のある演じ手じゃないと仕事を一緒にやっていけないようになった。それはたぶん安室奈美恵から始まっているんだろうけど、トライアスロン的に一つハードルをPerfumeと中田ヤスタカが確実に上げたと思う」などと述べている。 Perfumeを有名になる前から聴いていたというマーティ・フリードマンは、「初めて「ポリリズム」を聴いた時はダンスミュージックじゃねえぞ。変拍子ばかりでと面白くてたまらなかった。ライブを見たら、パワフルなビートに面白い振り付け。もうロックンロールは死んじゃった、と思った」と話している。また2008年の近田春夫との対談では 「『ポリリズム』はホントに最高。声にエフェクターをかけるのは何かジョークっぽいけど、音楽がちゃんとしてるから、ジョークにならない。大人っぽいコード進行、ちょっとジャズみたいなヴォイシング、メロディのキレイなメリハリ。J-POPの新しいテイストだと思う。オタク方向に行きそうな声なんだけど、そうならないっていうのがすごい。Perfumeはおしゃれ。サウンドを作るまでに、かなりプロセスがあったと思う。『ポリリズム』の間奏なんて、ものすごい変拍子。僕の友達で信じられないほどマニアックなプログレファンがいるんだけど、その人に聴かせたら『こんな曲がポップ・ソングになってるの? 日本っていい国だね!』って喜んでた(笑)」、近田は 「おしゃれなヤツってパワーがなかったりするんだけど、Perfumeの曲にはパワーもちゃんとある。ベース、キックの音色、バランスがすごくいいし、コンプのかけ方も上手い。声にエフェクトをかけるのだって、すごく難しい。しかも、普通に聴いてると、そこに変拍子があるなんて気付かない作りになってるんだよ。もう一つすごいなって思うのは、サウンド・プロデュースの才能がある一方で、作詞家としても優れてる。ただ言葉を当てはめてるだけじゃなくて、一つ一つにちゃんと意味があるし、耳に残るフレーズも多い。『ポリリズム』に関していえば、言葉と音楽を合わせたときに、初めて意味が出てくるように作られてる。それ自体がポリリズムになってる。あと、彼女たち自身のことでいえば、声が暗いっていうのもポイントかなと思う。妙にキャピキャピしてなくて、落ち着いた声。曲のゴージャスさと、ちょっと暗い声のバランス。それがいまの東京の空気に合ってるのかもしれない。SFっぽいというか。そういう声質っていうのもね、じつは中田さんは考えてると思うよ。声質のいい部分をうまくチューニングしてるというか。この声があるからこそ、このトラックだったのかもしれない」などと評した。 中森明夫は2006年頃、Perfumeにハマり、仕事場のBGMに「リニアモーターガール」や「コンピュータードライビング」「Perfume」などを一日中エンドレスで流していたという。2007年春に刊行した自身25年分のアイドル評論をまとめた『アイドルにっぽん』の終章〈3001年、「アイドルにっぽん」の旅〉という未来小説に〈BGMはPerfumeの「コンピュータシティ」〉と記載したのは、「未来のアイドル世界の可能性の調べを、Perfumeの歌声に聴いたから」と述べている。 サエキけんぞうは「2000年代前半、アイドル・オタクが集結していた秋葉原に於いて、秋葉原オタク層まで取り込んだPerfumeの登場で、アイドルはマーケット、ターゲット共に時代性を反映して進化した。Perfumeはデジタルなイメージと中田ヤスタカプロデュースによるオートチェーンというロボット的音声を駆使した楽曲で、未来的でオリジナルな個性的なアイドルとしてブレイクした。彼女たちはコンピュータやネット化された社会像を歌い、世界に類を見ない新しいアイドル像を作り出した」などと論じている。 つんく♂は2008年のインタビューで、Perfumeについて「上手にレトロ感を残しつつ、成り立ちを上手にオマージュしながら仕上げていますよね。代表曲というものはあると思うんですけど、一曲だけ取り上げるとサウンド的にはそんなに目新しいわけではないんですよ。たぶん彼女たちの面白さっていうのは、一曲一曲がどうかっていうのではなくて、それを徹底してやっていることなんだと思います。後はコスチュームとかも含めた企画と、当人たちが何となく力を入れていない感じや『アイドルじゃないんですよ感』と言いますかね。その辺のすべてがマッチして、かつてのWinkのように膨れ上がっているような感じはしています」と論じている。 渋谷陽一は、2008年11月6日のPerfume日本武道館公演を観戦し、「これほど自我が相対化され、ナルシズムが無化されたアイドルはかつて存在した事がない。革命的なアイドルである事を再確認した。桑田佳祐が30年トップを走り続けて到達した境地に、何故19才の女の子が立てたのか分からない。小学生時代から、売れないアイドルとして積み重ねたキャリアが強くしたのだろうか。しかし、普通なら人を歪めてしまうキャリアの中で、健全でいられた事こそが謎である。僕は、彼女達の知性が、こうした奇跡を起こしたのだと思っている」などと論じた。 嶺脇育夫は「アイドル戦国時代の前にPerfumeの日本武道館公演(2008年11月6日・7日)が1つの到達点というか、秋葉原の地下からメジャーに行くまでの物語を目の当たりにできたんです。当時、僕はハロー!プロジェクトの現場に通いつつ、Perfumeに熱量を感じていた時期でした。それと並行しながら、Perfumeのおかげで地方アイドルにも目が向いたんです」などと述べている。 ブレイク当時のPerfumeは「彼女たちはアイドルなのか? アーティストなのか?」という議論が起こった。藤田琢己は「当時、アイドルはアーティストとは別の存在みたいなところがあって、そこの垣根があったんですかね。アイドルっぽいからなかなか音楽を聴かないかも、みたいな。けれどロックバンドたちもPerfumeを絶賛しており、彼女たちがアーティストとアイドルの垣根を突破した、草分け的なところがあると思う。そういう意味で、音楽的なテイストや、アイドルなのか、楽曲がどうなのかみたいなところの歴史が変わっていく瞬間。振り返ってみると分かれるポイントがこのへんにあったんじゃないかと思います」などと論じている。 『MARQUEE』編集長・松本昌幸は2008年に「Perfumeが大ブレイクを果たしたのは、アイドルなのにアイドルらしくない音楽やダンスや喋りをするというギャップに起因すると思う。アイドルであることをキープした"らしくない"マナー違反。まずここで引っ掛かり(注目され)、いざ蓋を開ければ、音楽・ダンス・喋りともに、本物志向だったことから一般層にファンが広がったという流れだ。しかもネット世代を象徴するPerfumeらしく、今やネットを開ければ、アクターズ叩き上げのあの独っ特のダンスを、いかに習得するかが競われている、なんて現象が起きている。それはかつてのカラオケ時代を更新する。今やPerfumeが動画という時代に即した形で、新しい刺激を提供する発信源ともなっている。音楽にしても同じく、例えば『ポリリズム』は制作現場でも可なのか不可なのかが問われた間奏部分の声を切り刻んだサウンド・ループ。あの部分はベース音のリズムで聴けば、程よく刺激的な上に滑らかなのを、歌でしか聴かない大多数を想定したから議論になったのだろう。けれども今となってはこの曲の旨味がそのループ部にあることは、聴けば聴くほど分かってきたのではないか。『あの部分に来るのが待ち遠しい』、そのように曲中の興味が移行してきたリスナーも今は多いはず。音楽というものが歌だけじゃない事を、一般レベルに説明でなく感覚的に(ここが大事!)伝える中田ヤスタカの功績は本当に大きい。今やPerfumeは、新しい事を媒介していくメディアとなっている。その意味では既存のアイドルとは違う。意思が見えるから、それが一般層を巻き込んだ理由でもある。もちろん実際は、いろいろな所でいろいろな大人達が知恵も力も貸している。それでも彼女達はやり抜く。注目すべきはその勘の良さ、つまりセンスや知性があるということだ。そこが違う。これまでのアイドル達の何がうざかったと言えば、後ろで大人達が糸を引いて、顔とスタイルがいいだけの操り人形が踊らされる。その結果、カネのにおいだけがプンプン残るという構図だ。いい加減、あんまり安っぽい構図に誰もが辟易していた、という以上に、カッコ悪いと思い始めていたからこそ、Perfumeは時代に受け入れられたんだと思う」などと論じている。 2008年当時のPerfumeを"一発屋"扱いするマスメディアも少なくなかったが、Perfume自身は「『一発屋、ラッキー!一発屋になれた!』っていう感覚でやっていた」と話している。 掟ポルシェは2012年のインタビューで「Perfumeは純然たるアイドルから、アイドル以上の何かへ進化・変容することで生き残り、誰も到達し得なかった独自の地位を築いた。03年の東京進出を機に音楽性は一変。楽曲の全てを中田ヤスタカがプロデュースすることになり、中田氏の持ち味であるテクノトラックにオートチューンをかけて抑揚を制した機械的なボーカルが乗る独特のPerfumeサウンドが出来上がった。当初は生声で、まだまだアイドル成分多めの可愛らしいテクノポップだったが、徐々に従来のアイドル歌謡ではあり得ないほどベースやドラムが強調される低音域が分厚い音作りになっていき、アイドル歌謡の常識から外れた。セールスが上がらない等の理由で解散されそうになりながら、7年というアイドルの活動歴にしては長過ぎる助走期間を経てブレイクした。この苦節は後に語り草になり、逆にドラマになってファンになった者たちの熱狂を煽る。Perfumeのブレイク期間はYouTube等の動画サイトの出現・繁栄と重なり、その恩恵を受けた最初のアイドルであるが、過去の映像やファンが作ったPerfumeの歴史をまとめた動画を確認することで誰でも追体験できるのが強みとなり、急激にハマっていく者が後を絶たなかった。09年以降、歌詞を同世代の女性の共感を呼ぶものに切り替えて、主な観客層をアイドルファン以外に設定したことや、ロックフェス等対外的な場へ積極的に出演したことが功を奏し、Perfumeはアイドルでありながらアイドル以上の独自の地位へとシフトチェンジしていく。結果、より幅広い層の支持を得て、ドームクラスの全国ツアーを全会場なんなく埋めるという偉業を達成、昔を知る者として感慨深い。音楽といい、売り方の戦略と言い、アイドルの規格から常に逸脱・突出し続けて来たPerfumeだが、未だ人々の目にアイドルとして映るには、3人に清涼感溢れる素朴なキャラクターによるところが大きい。コンサートMCでは未だババリバリの広島弁でトーク、他愛もない話を広げてこれでもかと楽しそうに話す様子は、観る者全てを親戚の子供に会っているかのような微笑ましい錯覚に陥らせる」などと評している。 掟ポルシェは吉田豪と2012年の対談で、2002年から2012年までのアイドル10年史の大きな流れとして 掟「ハロプロが出てきて、Perfumeが売れて、AKBが出てきて、ももクロのブレイク。この流れを見ると、真逆の魅力を持つものに、時計の針が振り子のように動いている気がします」、Perfumeが一般層に支持された理由については、掟「「客層の入れ替えを意図的に行ったこと。かつては男の子ファンの目線であるかのような『僕』という一人称で歌っていた。けれどある時期から『ワンルームディスコ』のように同世代の女子の気持ちを代弁する歌詞に変わっていった。『Perfumeも恋する女の子でいい』という層に向けての売り出し方になったのが大きい」 吉田「事務所側が覚悟を決めたんでしょうね。このままアイドルでいくとスキャンダルとかも乗り越えられないと」 掟「アイドル的なキラキラ感は希薄になるけど、中田さんの作る曲の質感に魅力を感じる人は必ずついて行きますから。アイドルという切り方を止めたおかげで、アーティストとアイドルの中間というPerfumeの生きる道が出来上がったんじゃないかと思います」などと論じている。 ピエール中野は「アイドル細分化、棲み分け、ジャンルの縦割りの始まりはPerfumeの存在がでかい。圧倒的な楽曲のクオリティの高さを見せつけてきて、パフォーマンスもそうですけど、かっこいいテクノ系のアイドルを成立させた」などと論じている。 『NHK紅白歌合戦』のプロデューサーを務め、『MUSIC JAPAN』でPerfumeをMCに起用した石原真は、2012年のインタビューで「00年代の中盤にバンドやシンガーソングライターの勢いが弱まってきた。そこへPerfumeのような"配信の歌姫"と呼ばれる人が出てきた。Perfumeはアイドルとアーティストの中間を進んでいます。Perfumeはロックフェスにも出ていることが象徴的です。プロデューサーがCAPSULEの中田ヤスタカさんですから、クラブシーンと非常にマッチングもよくて、アイドルファン以外の層でも盛り上がり、東京ドームライブも成功させました」などと評した。 リアルサウンドは「"アイドルとアーティストの違い"という不毛な問いを無効化させながら道なき道を進むPerfumeは、年齢に応じて表現のマイナーチェンジを図っている」等と評している。 亀田誠治は「FLASH」を2016年上半期1位に選び、「中田ヤスタカさんプロデュースの最先端のダンスミュージックで、日本中を楽しませることができるのがPerfumeの最大の魅力だと思います。海外での活躍も目覚ましいです。最もクールなJ-POPではないでしょうか」と評している。 アーバンギャルド・松永天馬は2018年のインタビューで、「00年代は"テクノポップ"っていう言葉は、言ってしまえば完全に死語だったんですよね。80年代の前半に流行ったYMOを筆頭とする当時のシンセサウンドの歌謡曲、ナツメロだよね。っていう認識を世の中のひとが持ってる中で、Perfumeは"テクノポップ"っていう言葉を打ち出して、"テクノポップ"っていう言葉の纏ってる意味合いを完全に更新したんですよ。それはやっぱり新しいサウンドにボーカルの捉え方を変えるっていうことを発明したからだと思うんですね。今(2018年)聴いても新しく感じるし、当時聴いた時、だれも聴いた事がない音楽を聴いてるなっていう印象がありましたね」などと評している。 マーティ・フリードマンと松永天馬は、2018年に「新鮮さを更新していける存在。『無限未来』『GAME』『ポリリズム』、今聴いても懐かしさを感じない。サウンドが未だに新鮮なままだから。この新鮮さとか新しさをどんどん更新していける存在、古臭くならない。未来的なレトロっていうか、なんかレトロって凄くダサくなる可能性が高い、なのにどこもダサいところがない」などと評価している。 太田省一は「アイドルのプロデューサーは、アイドルファンの気持ちをなくしてはならないが、一方でアイドルへの醒めた感覚、ひいては理想のアイドルを創造して世に問うてみたいという野心も必要だ。中田ヤスタカプロデュースによるPerfumeには、そうした面がより濃く感じられる。一躍ブレークした2007年の『ポリリズム』を始めとしてPerfumeの楽曲には、MVによるビジュアル面なども含めて極めて精巧に構築された作品の趣がある。複雑なリズムを盛り込んだテクノポップに乗って流れるエフェクト処理の施された3人のボーカル。またスタイリッシュな映像とフィットした一糸乱れぬ3人のダンス。それはひとつの『世界』と言うにふさわしい。そこには、プロデューサーである中田ヤスタカの意思が隅々まで浸透し、細心の注意のもと歌やダンスなどのパーツが配置されているのが感じられる。『アイドルとはひとつの世界観を表現するためのメディアである』という中田ヤスタカの声がどこからか聞こえてくるようだ。但しPerfumeは単なる操り人形ではない。アクターズスクール広島時代から鍛えられた3人のダンスの上手さは折り紙付きだし、生の歌唱力にも定評がある。つまり、確かな技術と表現力がある。また番組のMCもそつなくこなし、キャラクターやトークの面白さもある。その意味では、彼女たちのアイドル力は水準を超えている。だがだからこそ、中田ヤスタカの提示しようとする世界観の表現手段になりきる彼女たちの潔さが際立つ。その一周回った感じが平成的だ」などと評価している。 読売新聞2018年の元旦特集「J-POP 平成の名盤30」で『GAME』が、宇多田ヒカル『First Love』や、globe『globe』などを抑えて実質1位に選ばれた(選者・マーティ・フリードマン、柴那典、石黒大貴の3人が30枚を選び、全員一致で挙げた唯一のアルバム) 。 竹中夏海は2019年のインタビューで「ダンスに関しては『Perfumeのムーブ』を確立させたと言ってもいいでしょう。同じようにブレイクしたほかのアイドルと異なるのは、フォロワーになったグループが少ないという点です。それはもうシンプルに、MIKIKO先生の生み出す変則的なリズムを取り入れるのは難易度が高いからではないかと推察します。それまでエレクトロポップに対する振り付けといえばいわゆるロボットダンス一辺倒だったんですけど、そこに女性的な曲線美やおどけたニュアンスなど振りに奥行きを持たせ、さらにそれをメンバーが忠実に表現し、何段階も上のパフォーマンスに底上げしたのがPerfumeだと思います」などと評している。 BiSHの衣装デザイナー・外林健太は、大学在学中の2006年10月28日の「武蔵野美術大学芸術祭」にPerfumeを呼んだ人で、Perfumeの追っかけだったという。「あのPerfumeをブレイク前に呼んだすごい奴がいる」という話が拡がり、共通の知り合いを介して渡辺淳之介に会い、以後、渡辺と活動を共にするようになった。外林は「僕がPerfumeを好きになったのは、衣裳を含めて完成度が高かったからなんです。衣裳と3人の顔のバランスと曲、どれかが飛び抜けてるわけじゃなくて、すべてがひとつにまとまっているっていうのがよくて。モーニング娘。等の王道のアイドルっぽいものより、Perfumeのスタイリッシュな方が好きだったので、BiSHの衣裳制作はそういう方向で作っています」などと話している。 『Forbes』は2018年に「PerfumeはYouTubeを国際的に活用した初めての日本人アーティストグループの一つで、そのキャリアは多くの女性グループを超え、若者主導のJ-Popシーンすら越えて、ごく少数の日本人アーティストだけが可能な世界ツアーをこなすまでになった」等と評している。2019年にイギリスのメディアからの「あなたたちはJ-POPの"kawaii"からなぜ距離を置くのか?」という質問に対して、メンバーは「たぶんアメリカだと、日本のアイドルグループはぜんぶカワイイと思われてるかも知れませんが、私たちは日本のいわゆるカワイイ系ではないし、今まで一度も自分たちがそれに合うと感じたこともありません。なになに系とかジャンルに一度もぴったり合ったことがなくて、自分たちで一からジャンルを創れたからブレイク出来て、結果として自分たちのジャンルが出来上がって、今ここにいるんだと思う」などと話し、他の海外メディアのインタビューでも、「私たちのやっている事はとても独特で、他のアーティストさんとも被らないですし。誰かを目指したり真似しようともしません。私たちにできることには限界もないし、どこまでも行けますよ!」などと答えている。
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