中森明夫
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中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら やすとも[1]〉、1960年〈昭和35年〉1月1日 - )は、日本のコラムニストで編集者、アイドル評論家[2]。
注釈
- ^ 明菜の実父(明男)と同音異字なのは意図したものかどうか不明。
- ^ 同校に嘗てあった定時制課程は、堀越高等学校トレイトコースと共に、タレントが多数在籍していたことで知られる。
- ^ この「おたく」とは、少年たちが第三者に声をかける際に使用した「お宅(おたく)は……」という呼びかけが始まりで、以前より一部業界関係者が少年らを指して「オタクくん」などと呼んでいたものである。
- ^ ただし、マスコミの、オタク=犯罪者という図式の恣意的な偏向報道・特撮やアニメ、スプラッターやスナッフビデオは一部であったにも関わらず、それらのみをクローズアップして映す等を批判しただけで、宮崎の犯罪行為そのものを擁護したわけではない。
出典
- ^ 宝泉薫、ファッシネイション編『歌謡曲という快楽 雑誌『よい子の歌謡曲』とその時代』彩流社、2002年、p.54
- ^ ニコニコニュース ORIGINAL (2017年4月20日). “「握手会」はアイドルを疲弊させる? 現役アイドル×プロデューサー×評論家「人間の邪気のようなものを吸ってしまう」”. ドワンゴ. 2017年11月5日閲覧。
- ^ 中森明夫 『アイドルになりたい!』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2017年、168頁。
- ^ a b “2023年は #中森明夫復活祭”. 中森明夫note (2023年1月1日). 2024年2月4日閲覧。
- ^ 中森明夫 『アイドルになりたい!』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2017年、166-167頁。
- ^ 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、2009年、pp.175
- ^ 大塚英志『「おたく」の精神史 1980年代論』講談社現代新書、2004年、pp.27-28
- ^ 中森明夫「僕が『おたく』の名付け親になった事情」『別冊宝島104 おたくの本』JICC出版局、1989年、pp.89-100
- ^ 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、2009年、pp.122-124
- ^ 「my subculture Akio Nakamori interview」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、p.16
- ^ a b 「my subculture Akio Nakamori interview」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、p.16,20
- ^ a b c 中森明夫「アタシジャーナル48 ブレイク寸前の48歳です。」『週刊朝日』2008年2月22日号、p.105
- ^ オシャレ泥棒、TBSチャンネル公式サイト内
- ^ 長薗安浩「『週刊誌』コラムで構築した日本の九〇年代論 『女の読み方』中森明夫」『週刊朝日』2007年12月21日号、p.86
- ^ a b 中森明夫「アタシジャーナル151 沢尻エリカを心配する」『週刊朝日』2009年11月6日号、p.105
- ^ 中森明夫Twitter 2010年12月21日
- ^ 中森明夫「『大逆事件』から百年 元祖・肉食系男子、大杉栄の『恋』と『革命』」『新潮45』2010年11月号、pp.126-133
- ^ 第24回 三島由紀夫賞受賞作品発表 新潮社公式サイト内 2011年5月17日
- ^ 「my subculture Akio Nakamori interview」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、p.15
- ^ 「サブカル『真』論」(宮台真司、他)、ウェイツ、2005年、p.134-137
- ^ 没後30年 永遠のアイドル岡田有希子を中森明夫氏振り返る1/2 2/2日刊ゲンダイ2016年4月8日
- ^ 中森明夫 『アイドルになりたい!』 筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2017年、75頁。
- ^ 中森明夫「アタシジャーナル119 宮沢りえの思い出」『週刊朝日』2009年3月20日号、p.109
- ^ 中森明夫「『Mの世代』の宿命」『サブカルチャー世界遺産』サブカルチャー世界遺産選定委員会、扶桑社、2001年、pp.250-251
- ^ 香山リカ「秋葉原無差別殺傷事件と宮崎勤の死刑執行」『創』2008年8月号、p.65
- ^ 林真理子「マリコのゲストコレクション 402 中森明夫」『週刊朝日』2008年2月22日号、pp.52-56
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