松本清張 記念碑

松本清張

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記念碑

その他

ドキュメンタリー

  • 新日本風土記「松本清張 昭和の旅」(2021年5月21日、NHK BSP[219]
  • 新日本風土記「松本清張 出会いの旅路」(2022年8月5日、NHK BSP)[220]

松本清張を演じた俳優

注釈

  1. ^ a b c 公式記録とされるものの誕生日。実際の誕生日は異なると考えられる。後述
  2. ^ 松本清張自身は広島で生まれたと話しているが、公式記録とされるものでは福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)生まれ。後述
  3. ^ 清張の作品分野は多岐にわたるが、ここでは図録『松本清張記念館』(1998年、北九州市立松本清張記念館)の分類を参照して記述した。
  4. ^ 江上波夫、直木孝次郎、森浩一らによる。後述
  5. ^ 峯太郎の松本家への養子入りは、田中雄三郎・とよ夫妻の離別が契機。しかし雄三郎ととよはのちに復縁し(のち峯太郎の弟に当たる嘉三郎を生む)、峯太郎を田中家に返してくれるよう松本米吉に交渉したが、米吉夫妻には子供がなく、峯太郎を離さなかった。[29]
  6. ^ 「正式に出生届を出す前は、キヨハルは清張でなく、この字(清治)をあてていたらしい[31]
  7. ^ 清張の家族が下関から小倉に転居したのは小学校5年生の時とする説が有力[36]
  8. ^ 当時の地番表示では小倉市黒原営団374。現在の地番表示では北九州市小倉北区黒住町16番地14号。当時の住居は清張の上京後、朝日新聞西部本社の社員が入居しその親族が引き継いでいたが、2013年に解体された。
  9. ^ 『西郷札』に関わるエピソードを自ら語った文章を以下に挙げる。
    • 「『西郷札』のころ」:『実感的人生論』(2004年、中公文庫)などに収録。
    • 「運不運 わが小説」:エッセイ集『名札のない荷物』(1992年、新潮社)、『松本清張全集 第65巻』(1996年、文藝春秋)に収録。
  10. ^ この時の選考委員の「選評」と清張の「感想」は、『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊/2003年、文春文庫)に収録されている。
  11. ^ 朝日新聞東京本社広告部長の矢野伊三見宛て手紙では、文学で成長するためにも早く東京に出たいと述べている[42]
  12. ^ 清張の父方の叔父・田中嘉三郎の家。嘉三郎は既に死去していたが、その家族が住んでいた。
  13. ^ 当時の地番表示では関町1丁目131番地。現在の地番表示では関町南2丁目であり、関町南二丁目バス停付近。当時の住居は残っていない。
  14. ^ 当時の地番表示では上石神井1丁目682番地。現在の地番表示では関町東1丁目の1番地と2番地の境界付近に相当。当時の住居は残っていない。
  15. ^ 筑摩書房「世界ノンフィクション全集」は1960年4月の刊行開始であるが、探検記や旅行記、戦記などが中心の内容であった。吉村昭のノンフィクション小説『戦艦大和』が刊行されたのは1966年であるが、ドキュメンタリーあるいはルポルタージュ的内容を持ったノンフィクションが広い支持を得て、専門のノンフィクションライターが職業として成立するのはさらに後の時代である[47]
  16. ^ 転居当時の地番表示では上高井戸4丁目1762番地。現在の地番表示では高井戸東1丁目22番地3号。
  17. ^ それまでの探偵作家クラブが「社団法人・日本推理作家協会」に改組された際、清張は100万円を出資した。これは江戸川乱歩の信託預金と共に、個人としては最高額であった[55]
  18. ^ 2月25日 - 3月22日分の記録として「日記メモ」(エッセイ集『名札のない荷物』、『松本清張全集 第65巻』)がある。
  19. ^ この前にキューバ政府主催の「世界文化会議」に出席し、国家元首のフィデル・カストロと会見しようとしたが実現しなかった[62]
  20. ^ 邪馬台国論争では(清張に近い)九州説論者として知られていた。
  21. ^ 対談は『古代史の謎-松本清張対談』などに収録。
  22. ^ 「論争」については、『小説推理』1974年7・10月号(清張の指摘)、9・11月号(高木の反論)参照。経緯に関しては、佐野洋『ミステリーとの半世紀』277-281頁、郷原宏『物語 日本推理小説論争史』(2013年、双葉社)第三章も参照。
  23. ^ 清張から見た創共協定の記録として、
    • 『「仲介」者の立場について-創価学会・共産党協定』(『東京新聞』1975年8月9日付掲載、『松本清張社会評論集』に収録)
    • 『「創共協定」経過メモ』(『文藝春秋』1980年1月号掲載、『作家の手帖』(1981年、文藝春秋)に収録)
    がある。
  24. ^ アガサ・クリスティ研究家の数藤康雄に拠れば、クイーンとの対談に先立つ1973年、ロンドン・タイムズと朝日新聞社の共同企画として、イギリスの世界的な推理作家であるクリスティと清張の対談が企画されたが、クリスティが自身の高齢(当時82歳)を理由に辞退したため実現しなかったとされている[67]
  25. ^ 新聞『ル・マタンフランス語版英語版』紙では「Matsumoto, l'intellectuel fasciné par la laideur」の見出しで紹介された。既に『砂の器』などがフランス語に翻訳され、『ル・モンド』『リベラシオン』などの各紙で紹介されていた。仏語版『砂の器』(Le Vase de Sable)の初版には、「LE SIMENON JAPONAIS」(日本のシムノン)と書かれた帯が付されていた。
  26. ^ 自身、短編の執筆を好んでいたことを明言していた。
    • 「短篇小説ほど作者の考えをはっきりとさせるものはない。(中略)エドガー・アラン・ポーや、アントン・チェーホフギ・ド・モーパッサンサマセット・モーム上田秋成の諸短篇が、他の長篇小説に比べていささかも遜色がないばかりか、かえって、そのテーマの明快さのために力強い感銘を与えている。短篇小説はたった一つだけ焦点を設定し、それに向かって可能な限り直截な方法で効果を集中させてゆく。これは短篇の形式でなければ得られない妙味である」[87]
    • 「わたしは、どちらかというと長篇よりも短篇が好きで、短篇の数が多い。短篇は、焦点が一つに絞られて、それへの集中が端的だからである。短篇小説が長篇小説ほどに迎えられないというのはふしぎだし、書き手が長篇を多く指向するのもわからない」[88]
  27. ^ 例えば、文芸評論家の平野謙は、「『或る「小倉日記」伝』から『菊枕』『断碑』などにいたる一連の作品群のなかに、松本清張の作家的真面目があるのではないか」[89]と評し、推理小説評論家の権田萬治は「むしろ短編のほうが上だという気がしてならない」と述べている[90]
  28. ^ 平野謙に拠る表現。平野は作者がこれらの作品の主人公へ共感を寄せると共に、その限界を客観的に洞察しているとして評価し、「私小説のように見えるが私小説ではない」「世のつねの被害者意識いっぱいの私小説をつきぬけたところがある変形私小説」などと評している[91]。また、あわせてこれらの作品に後の作品の萌芽を見出し、「犯罪者への傾斜と、人間的社会的条件をひとつひとつ追求する名探偵の眼」と付け加えている。なお、芥川賞受賞時の選評において坂口安吾が、「この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり」と評したことはよく知られている。
  29. ^ 「むだのない殺しの美学」とも訳される。
  30. ^ 中島河太郎によれば、用語としての「社会派推理小説」の起源は荒正人によるものとされている[100]
  31. ^ 清張の推理小説を「社会派」の文脈ではなく、横溝正史などの古典的探偵小説と連続した系譜に位置付ける論考として、笠井潔「壊れた人間と平和な現在 - 松本清張論」(『探偵小説論I 氾濫の形式』(1998年、東京創元社)収録)など。
  32. ^ 晩年の清張に同行していた藤井康栄がノンフィクションは無理と判断した[78]
  33. ^ 「かのように」「魔唾」「佐橋甚五郎」など鷗外の作品を清張が推理小説と関連づけた文章として、「鷗外の暗示」(『森鷗外・松本清張集<文芸推理小説集I>』(1957年、文芸評論社)掲載、のちに『松本清張推理評論集』(2022年、中央公論新社)収録))がある。
  34. ^ オール讀物』1979年12月号掲載、エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録。
  35. ^ 歴史学者の成瀬治を指す[135]
  36. ^ 「『純』文学は存在しうるか」において、「プロレタリア文学理論やその党派的行きがかりに全く煩わされなかった松本清張」により「資本主義の社会悪をえぐって描き出す大きな作品」が実現されたと書き、清張を一時高く持ち上げた文芸評論家。
  37. ^ 清張や水上勉を高く評価し、純文学論争の中心となった文芸評論家。
  38. ^ 『日本の黒い霧』を歴史学的視点から検証したものとして、藤井忠俊「「日本の黒い霧」の時代認識と評価―「黒地の絵」と帝銀・下山・松川事件諸作品の資料検証」(『松本清張研究』第5号(2004年、北九州市立松本清張記念館)収録)がある。
  39. ^ 清張が自らの歴史観を述べた一例として、以下のものがある。
    ぼくの史観? それはイデオロギーとか、政治学ではなくて、やはり人間を、あるいは組織をですね、見下ろすんじゃなくて、底辺のところで見まわす、あるいは上を見上げるというか、そういうことだろうと思うんだ。ぼくは上から人間を描いたことがないと思いますけどね。 — [139]
    他方、司馬は以下のように書いている。
    俯瞰、上から見下ろす。そういう角度が、私という作家には適している — [140]
  40. ^ 三島側の視点からこの件を論じたものとして、橋本治『三島由紀夫とはなにものだったのか』(2005年、新潮文庫)中の「松本清張を拒絶する三島由紀夫-あるいは、私有される現実」など。
  41. ^ 日本近代文学研究者の久保田裕子は、『日本の文学』第1回の編集会議で「日本文学の代表権が井上靖と松本清張に移ったことは、好悪を越えて、ちょうど日本の政治の代表権が保守党にあるのと同じ程度において、総括的真実である」と桑原武夫が断言し、三島が刺激されたと述べている[144]
  42. ^ 『探偵小説四十年』中の「涙香祭と還暦祝い-昭和二十八・九年度」の「翻訳ブームの曙光」などにそうした記述があるが、清張との対談『これからの探偵小説』中でも、清張に対して同様の見解を述べている。
  43. ^ 木々はのちにこの時のことを以下のように回顧している。
    この作家(清張)はね、もしも養成すれば、たいへんにいいものが出るのではなかろうか、と思って返事を出しましてね。これ(『西郷札』)一つじゃ困る、これくらいのものを二・三編送ってくれ、そうすれば自分も『三田文学』に紹介するつもりでいる、という返事を出した。 — [154]
  44. ^ 木々の死去を受けて、清張は日本推理作家協会の機関誌『推理小説研究』第7号(1969年)巻頭に追悼文を掲載している[156]
  45. ^ この論争の詳細は、荒正人・中島河太郎編『推理小説への招待』(1959年、南北社)を参照。
  46. ^ 宮部みゆき参加の座談会の一例として、
    • 「清張流「旅はひとりがいい」」『松本清張研究』第3号(2002年、北九州市立松本清張記念館)収録
    • 「清張さんの魅力」『文藝春秋』(2010年4月号)掲載
    • 「拝啓、清張先生-清張作品の魅力再発見」『松本清張研究』第14号収録
    など。
  47. ^ 岡崎満義は「社会で機能する具体的な権力の1つとして(共産党の)効用を認めていたが、観念論の網にからめとられることはなかった」と回顧している。
  48. ^ 場所は虎ノ門の中華料理店「晩翠軒」であった。この時も、他の推理作家に先んじ、ガードナーと直接英語で推理小説に関する議論を行っていた[172]。山村正夫によれば、ガードナーは清張に「日本の推理作家はなぜ国内だけで作品を消化せず、海外マーケットへの進出にもっと積極的にならないのか?」と反問したという[173]
  49. ^ 英語力に関しては、文藝春秋関係者、海外取材同行者、エラリー・クィーンとの対談時の同席編集者など、証言多数[174]
  50. ^ 「無念無想でパチンコに集中していると、ふっとアイデアが浮かんでくる」とも述べている[183]
     半藤一利は「(清張は)とにかくパチンコが好き」で「趣味は仕事とパチンコだったといっていい」と述べている[186]
  51. ^ 清張が来店したとわかると、パチンコ店の店員が玉を持ってきたり、コーヒーを用意したりする店もあったが、本人はそのように気を遣われるのを嫌がっていた[183]。周囲に無関心な人の多い場所を求めて、渋谷の店舗まで足を運んでいたとの証言もある[188]。朝日新聞社勤務時代に職場の同僚としていた麻雀や将棋に関しては下手で、家族にもコロコロ負けるほどであったという[183]
  52. ^ 半藤一利によれば、「相当手荒く扱われたという思い出だけを語る人もいるようです。が、それは清張さんの眼から見て、編集者として一種落第であったため、としか考えられないのです。とくに約束にたいしてズボラな者には厳しかった。清張さんの優しさにふれられなかった人は、自分で自分の胸に手をあてて考えてみたらよろしいのではないか」[203]
  53. ^ 映画『砂の器』のラストに関して清張は「小説じゃ書けないよ。映画でなけりゃできない、すごい」と褒めたという。また「映画化でいちばんいいのは『張込み』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』だ。両方とも短編小説の映画化で、映画化っていうのは、短編を提供して、作る側がそこから得た発想で自由にやってくれるといいのができる。この2本は原作を超えてる。あれが映画だよ」と述べたという[209]

出典

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  93. ^ 尾崎秀樹「『新青年』と松本清張」『松本清張研究』第2号(1997年、砂書房)収録
  94. ^ 山村正夫『続・推理文壇戦後史』(1978年、双葉社)43頁
  95. ^ 江戸川乱歩自伝『探偵小説四十年』(1961年、桃源社/2006年、光文社文庫版など)中、「甲賀・木々論争-昭和十一・二年度」を参照
  96. ^ 江戸川乱歩『幻影城』(1951年、岩谷書店/2003年、光文社文庫版など)中の「探偵小説純文学論を評す」。清張『随筆 黒い手帖』、特に「推理小説の魅力」
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  102. ^ エッセイ「グルノーブルの吹奏」(『小説現代』1988年1月号掲載、『松本清張全集 第65巻』に収録)
  103. ^ 「調べ推理する楽しみ」(エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録))。他に佐野洋との対談「清張ミステリーの奥義を探る」(『発想の原点-松本清張対談集』に収録))
  104. ^ 権田萬治『松本清張 時代の闇を見つめた作家』(2009年、文藝春秋)
  105. ^ 「推理小説の周辺」『随筆 黒い手帖』収録
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  110. ^ 「私を語る-思考と提出」『國文學 松本清張と司馬遼太郎』(1973年第18巻7号、學燈社)収録
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  114. ^ 森浩一「清張古代史を語る」『松本清張研究』第5号(1998年、砂書房)収録。『火の路』(2009年、文春文庫)巻末の森による解説。
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  132. ^ 石川巧「『小説研究十六講』から『小説研究十六講』へ - 菊池寛・木村毅・松本清張」『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)収録
  133. ^ 水上勉・井上ひさし「清張さん、ちょっといい話」『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊/2003年、文春文庫)収録
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  137. ^
    • 『日本の文化と日本人』(『別冊小説新潮』1973年1月号掲載、『文学と社会-松本清張対談集』(1977年、新日本出版社)収録)
    • 「天下を分けた大激戦の明暗」『司馬遼太郎の日本史探訪』(1999年、角川文庫)収録
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  140. ^ 司馬遼太郎『歴史小説と私』『歴史と小説』(1969年、集英社文庫など)収録
  141. ^ 「小倉をめぐる清張と鷗外」『松本清張研究』創刊号第1号。 
  142. ^ 半藤一利「『文藝春秋』執筆者番付の研究」(『文藝春秋』1994年4月特別号掲載)
  143. ^ 宮田毬栄『追憶の作家たち』(2004年、文春新書)および「松本清張の仮想敵-全集「日本の文学」をめぐって」『松本清張研究』第2号(2001年、北九州市立松本清張記念館)収録。
  144. ^ 久保田裕子「松本清張と一九六〇年代の文学全集の時代-中央公論社刊『日本の文学』問題をめぐる考察」(『敍説Ⅲ-04』(2009年、花書院)
  145. ^ 文藝』1963年5月号掲載。清張、三島以外に川端康成丹羽文雄円地文子井上靖が参加。このメンバーは河出書房新社で企画された文学全集「現代の文学」の責任編集者であり、清張が第1回の配本であった。
  146. ^ 「小説ほど面白いものはない」(『小説新潮』1984年3月号掲載、山崎豊子『小説ほど面白いものはない 山崎豊子 自作を語る3』(2009年、新潮社)に収録)
  147. ^ 「松本清張と三島由紀夫」『松本清張研究』第4号(1998年、砂書房)収録
  148. ^ 『過ぎゆく日暦(カレンダー)』「昭和五十六年十一月十五日(日)」の項
  149. ^ 「これからの探偵小説」(『宝石』1958年7月号掲載、『松本清張推理評論集 1957-1988』(2022年、中央公論新社)等に収録
  150. ^ 『随筆 黒い手帖』、特に「推理小説の魅力」
  151. ^ 「江戸川乱歩論」(雑誌『幻影城』1975年7月増刊号掲載、エッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録)
  152. ^ 乱歩の自伝『探偵小説四十年』中、特に「『幻影城』出版と文士劇-昭和二十五・六・七年度」の「抜打座談会」、「英訳短篇集の出版-昭和三十一年度」の「探偵小説論争」など
  153. ^ 鮎川哲也と島田荘司の対談「黄金時代の遺産を継ぐ」『都市の迷宮 (ミステリーの愉しみ4)』(1992年、立風書房)収録
  154. ^ 座談会「松本清張を語る」(『宝石』1963年6月号収録)
  155. ^ 『随筆 黒い手帖』(特に「推理小説の魅力」)、エッセイ「木々作品のロマン性」(日本推理作家協会編『マイ・ベスト・ミステリー(4)』(2007年、文春文庫)などに収録)など。
  156. ^ 山村正夫『推理文壇戦後史・4』(1989年、双葉社)88頁
  157. ^ 「ポーの原書と北九州CIE図書館」(北九州市立松本清張記念館企画展図録『E・A・ポーと松本清張』、2019年、15頁)
  158. ^ 笠井潔「「アッシャー家の崩壊」と松本清張」(『E・A・ポーと松本清張』32-35頁)
  159. ^
  160. ^
    • 真山仁が語る横溝正史 私のこだわり人物伝』(2010年、角川文庫)中に収録された対談での角川春樹による発言
    • 真山仁『火神被殺』(2012年、文春文庫新装版)解説
  161. ^ 森村誠一『作家の条件』(2010年、講談社文庫)、座談会「松本清張の時代に生きて」『松本清張研究』第4号(2003年、北九州市立松本清張記念館)収録。
  162. ^ 島田荘司『本格ミステリー宣言』(1993年、講談社文庫)など
  163. ^ Global Mystery Fusion Watch 山村教室特別講演 前半その7、「やはり救済者、清張」『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録など。
  164. ^ 『松本清張短編全集01 西郷札』(2008年、光文社文庫)の島田による解説
  165. ^ 森雅裕『推理小説常習犯 - ミステリー作家への13階段+おまけ』(1996年、KKベストセラーズ/2003年、講談社+α文庫
  166. ^ a b 林悦子 2001中の「巨匠スケッチ」
  167. ^ 和田勉「テレビドラマと清張さん」(『状況曲線』下巻(1992年、新潮文庫)巻末に掲載)
  168. ^ 藤井康栄 2002の巻末年譜、適宜補注。
  169. ^ 岡崎満義「ジャーナリスト松本清張さんの一面」
  170. ^ 岡田春夫『国会爆弾男 オカッパル一代記―反戦平和に賭けた議員生活40年』行研出版局、1987年2月刊行 ISBN 978-4905786610
  171. ^ 防衛庁「三矢作戦」の追求ー松本清張氏から資料」『朝日新聞』朝刊1987年1月28日
  172. ^ 『顔』(1995年、双葉文庫、日本推理作家協会賞受賞作全集第9巻)巻末の山村正夫による解説、または山村正夫『続・推理文壇戦後史』(1978年、双葉社)48頁
  173. ^ 山村正夫『続々・推理文壇戦後史』(1980年、双葉社)200頁
  174. ^ 藤井康栄 2002, pp. 71–77.
  175. ^ 清張作品の中国での受容動向、中国人の清張観を知る資料の一例として、王成・林濤・王志松・李菁・王中忱「日本の探偵小説・推理小説と中国 その中国における受容と意味」(2006年、北九州市立松本清張記念館)、映像化作品の受容を含めて論じたものに、王成「清張ミステリーと中国-映像メディアの力」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)、尹芷汐「二〇〇〇年以降の中国における松本清張の受容」(『松本清張研究』第23号(2022年、北九州市立松本清張記念館)収録)、特に香港での受容に焦点をあてたものとして関詩珮「メディア、流行文学とテレビ・受容-香港一九八〇年代における松本清張翻訳ブーム」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)。
  176. ^ 1961年から2009年までの清張作品の韓国語への翻訳・翻案作品一覧は、「松本清張韓国語翻訳・翻案作品目録」(『松本清張研究』第12号(2011年、北九州市立松本清張記念館)収録)参照。韓国での清張作品の受容に関して論じたものに、安慧娟「韓国での松本清張小説の受容」(『松本清張研究』第23号(2022年、北九州市立松本清張記念館)収録)。
  177. ^ 1980年代を中心に台湾での清張作品の受容に関して論じたものに、陳國偉「「歪んだ複写」:一九八〇年代台湾における松本清張の翻訳と受容」(『松本清張研究』第14号(2013年、北九州市立松本清張記念館)収録)。
  178. ^ 『松本清張(新潮日本文学アルバム)』(1994年、新潮社)88頁、『松本清張全集』第66巻(1996年、文藝春秋)巻末の翻訳出版目録、および『Japanese Literature in Foreign Languages 1945-1995』(1997年、the Japan P.E.N. Club)
  179. ^ 松本清張原作のテレビドラマ一覧を参照。
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  189. ^ 十万分の一の偶然』(1981年、文春文庫2009年)巻末の、藤井康栄による解題。
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  191. ^ 『全集 57巻』月報
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  196. ^ 「いまだ見ぬ花 - ぼくのマドンナ -」『日本経済新聞』夕刊1979年5月21・22日掲載、のちにエッセイ集『グルノーブルの吹奏』に収録。
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  200. ^ 講演「小説と取材」(『オール讀物』1971年7月号掲載、『松本清張の世界』(1992年、文藝春秋臨時増刊、2003年、文春文庫)収録)
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  204. ^ 福岡隆 1968, p. 110.
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  206. ^ 「憂鬱な二週間」『サンデー毎日』1964年9月15日臨時増刊号掲載
  207. ^ 森本哲郎 「清張さんの秘密」『松本清張全集 第34巻』(1974年、文藝春秋)付属の月報に掲載
  208. ^ 重金敦之 『作家の食と酒と』(2010年、左右社)
  209. ^ 白井佳夫と川又昴による対談「松本清張の小説映画化の秘密」『松本清張研究』第1号(1996年、砂書房)収録
    白井佳夫・堀川弘通・西村雄一郎による座談「証言・映画『黒い画集・あるサラリーマンの証言』」『松本清張研究』第3号(1997年、砂書房)収録 など
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  215. ^ 小倉の老舗中国料理店「耕治」が68周年 記念割引セットメニュー販売”. 小倉経済新聞 (2022年6月21日). 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月5日閲覧。
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  220. ^ 松本清張 出会いの旅路”. NHK (2022年8月5日). 2023年12月3日閲覧。







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