宮澤喜一
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家族・親族
宮澤家
- 父・裕(山下汽船社員、政治家)
- 1884年(明治17年)1月生〜1963年(昭和38年)5月没
- 父・宮澤裕は広島県沼隈郡金江村(現・福山市金江町)の小さな農家に生まれた。宮澤によると「父は小さな百姓の長男でね、いまでもその生家が残っていますが、山の中の本当の一軒家です。とにかく私が参議院に出てから(昭和28年)はじめて電灯を引いてもらったようなところなんですよ」という[43]。祖父の宮澤鹿吉の時代は、生活は楽でなかった。
- 裕は苦学して東京帝国大学政治学科を卒業、長野県庁勤めを経て、実業界に入り海運王山下亀三郎の山下汽船(現・商船三井)に入社。亀三郎の盟友だった小川平吉に見込まれ、その女婿になった[44]。昭和3年(1928年)郷里の広島3区から衆議院議員に当選して政界入り。以来連続6回当選し、鉄道政務次官、商工省参与などを歴任した[45]。
- 母・こと(長野県、弁護士・政治家小川平吉の二女、呉服商人小川金蔵の孫)
- 弟・弘(内務・自治官僚、政治家・広島県知事、参議院議員、法務大臣)
- 弟・泰(外交官、西ドイツ大使)
- 妻・庸子(英語学者・伊地知純正(早稲田大学名誉教授)の二女)
- 長女・啓子(1946年11月18日生)[52](人工石ジュエリーを販売する有限会社クラブサー代表[53]。夫はアメリカ合衆国のクリストファー・ラフルア元駐日代理大使)
- 長男・'裕夫(1949年10月3日生)[52](建築家[注釈 7])
- 孫・宮澤エマ(タレント 長女・啓子と娘婿・クリストファーの間の次女)
- 孫・宮澤沙羅(実業家 長女・啓子と娘婿・クリストファーの間の長女)
他家
- おじ
- いとこ
など
伊地知純正━━━━━庸子 ┃ ┏━宮澤裕夫 ┣━━┫ ┃ ┗━━━━啓子 ┏━宮澤喜一 ┣━━━━━━━━━┳━━━ラフルア宮澤エマ 宮澤鹿吉━━━━宮澤裕 ┃(元首相) クリストファー・ラフルア ┗━━宮澤沙羅 ┃ ┃ ┣━━╋━宮澤弘 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━┳━━宮澤洋一━━━━┳━━浩一 小川平吉━━━━━こと ┃ ┃ ┣━━あや子 ┣━━二郎 ┃┏玲子 ┗━━直子 ┗━━賢三 ┃┗━岸田正記━━━━岸田文雄━━━岸田翔太郎 ┗━宮澤泰 ┃ ┏━━━━その ┣━━┫ ┃ ┗━━━━ゆり 児島喜久雄━━━━━汪子
評価
岸田文武によると「たしかに宮沢一族には官僚が多いですね。別に意識してそうなったわけでなく、強いていえば環境でしょう。親族の冠婚葬祭などで全員が集うと、まるで官僚あるいは官僚OBの集まりといった具合です。」という[55]。
作家の神一行によると、「いまや宮沢家は超名門エリートと思われているが、もとから宮澤家が名門であったわけではない[56]。竹下、安倍が大地主で酒造業、醤油製造業を営んでいたのに対して、宮沢の場合はぐっと落ちて小農の出である[56]。宮沢は東京生まれであるが、父裕は広島県沼隈郡金江村(現在の福山市)に生まれた[56]。取材当時その実家を訪れてみたが、福山市とは名ばかりの山の中にそれはあった[56]。」、「宮沢一族の閨閥は、系図でもわかるように、ただただ華麗としかいいようがない。系図には約九十人の人物が登場するが、そのなかから宰相になった者が五人、国会議員となった者が二十人、はては麻生家を通じて皇室まで連なる“一大名門閨閥”を築きあげている[57]」という。麻生家を遠縁とする見解について、系図を全体観察すれば[58]遠縁が疎遠を意味しないことは明白である。
注釈
- ^ これらの体験の多くは、著書『東京―ワシントンの密談―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈1〉』(中公文庫)に収められている。
- ^ 佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書)参照。また2001年に行われたサンフランシスコ講和会議50周年の式典では、会議出席者唯一の生存者としてスピーチを行い、「個別的自衛権の論理的延長として、集団的自衛権を位置づけることを提案する」と述べ、部分的な集団的自衛権の行使を容認すべきだと主張、それを日米関係の21世紀への遺言であるとした。
- ^ この時、誘致の「顔」を宮澤に譲るよう小沢に頭を下げに行ったのが、当時文教族の中堅だった麻生太郎だった(読売新聞、2009年2月22日、4頁)。
- ^ 浜田がテレビや雑誌のインタビュー、著作などでたびたび紹介しているエピソード。宮澤については批判的な浜田ではあるが、このエピソードは好意的に話すことが多い。
- ^ 『聞き書 宮澤喜一回顧録』(岩波書店、2005年)でも、昭和天皇への尊敬の念を語っている。
- ^ 田原はこの件について「結果として宮澤さんに迷惑を掛ける事になってしまった」と宮澤の死後、雑誌『リベラルタイム』で語っていた。
- ^ 日比谷高から早大を経て建築家になった(『文藝春秋』2010年10月号)。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 宮澤喜一 略歴
- ^ 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』48頁
- ^ 同級の小川政亮の談。佐藤むつみ「ありのままに生きる 鰥 やもお 12年記」、『法と民主主義』、2006年10月号。
- ^ 城山三郎著『友情力あり』
- ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 206頁
- ^ 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』69頁
- ^ 『新・護憲宣言:21世紀の日本と世界』朝日新聞社、141頁
- ^ 戸川猪佐武 『小説吉田学校』、小坂徳三郎の田中角栄への説明として記述
- ^ 伊藤昌哉 『自民党戦国史』中巻 朝日文庫 pp.242-248 、毎日新聞記者から著者への確認取材による(1985年、原著1982年)
- ^ 伊藤昌哉 『自民党戦国史』下巻 朝日文庫 p.85 (1985年)
- ^ 五百旗頭真、伊藤元重、薬師寺克行 『森喜朗 自民党と政権交代』 朝日新聞社、2007年、72-73頁。ISBN 978-4022503381
- ^ 朝日新聞世論調査。田中内閣は62%、宮沢は54%だった。
- ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P25
- ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P35
- ^ 銭其琛著濱本良一訳『銭其琛回顧録:中国外交20年の証言』3,p129、東洋書院、2006
- ^ a b c d 文藝春秋2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴/後藤謙次、167頁
- ^ “宰相と新聞記者の関係 ──わが懺悔録 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)” (日本語). 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC). 2021年5月9日閲覧。
- ^ 冨森叡児『戦後保守党史』(岩波現代文庫、2006年)352頁
- ^ 戦後初の自衛隊海外派遣は、海上自衛隊のペルシャ湾派遣である。
- ^ 八幡和郎『歴代総理の通信簿』(PHP新書)宮沢の項
- ^ “宮沢喜一元首相が死去”. 朝日新聞. (2007年6月29日) 2020年1月21日閲覧。
- ^ 6月号 「宮沢喜一と戦後日本」 - 三井物産戦略研究所 | 寺島実郎の発言[リンク切れ]
- ^ 田中秀征「自民党本流と保守本流」P123
- ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P117
- ^ 田中と中曽根は宮澤より1歳年上
- ^ 田中秀征の一筆啓上 第36回「宮沢先生の思い出 前代未聞 倒閣した細川内閣に引き継ぎ」 2007年7月2日 [リンク切れ]
- ^ 田中秀征「自民党本流と保守本流」P118から119
- ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P115~116
- ^ 田中秀征「判断力と決断力」まえがき
- ^ 伊藤昌哉『自民党戦国史・上』 朝日文庫(1985年)pp.14-17
- ^ 『政治とカネ 海部俊樹回顧録』(新潮新書、2010年)
- ^ 「宮沢さんの無愛想の魅力」『FACTA』2007年8月号
- ^ 岡崎守恭『自民党秘史』(2018年、講談社現代新書)
- ^ 佐々淳行『後藤田正晴と十二人の総理たち』(文春文庫)
- ^ 宮沢喜一氏(元首相)が老衰のため死去 - おくやみ : nikkansports.com 私の履歴書 川淵三郎 W杯共催と宮沢氏の思い出 - 六川亨のフットボール覚書 『新時代へのキックオフ』仮野忠男著、角川書店、2001年9月。 『サッカー批評』長沼健回顧録、32号、33号、34号、双葉社、2006年-2007年。
- ^ 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』 204頁
- ^ 平成12年12月21日. 武藤事務次官記者会見の概要
- ^ “財務省、新しい看板に 麻生氏が揮毫”. 産経新聞. (2016年6月6日) 2022年3月24日閲覧。
- ^ 田勢康弘『豊かな国の貧しい政治』
- ^ 9月1日 宮澤大蔵大臣閣議後記者会見の概要(2011年3月2日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 5月16日 宮澤大蔵大臣閣議後記者会見の概要(2010年6月1日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “(3ページ目)DAIGO×宮澤エマ「おじいちゃんは総理大臣。家族に〈政治家になれ〉と言われたことは?」|芸能|婦人公論.jp” (日本語). 婦人公論.jp. 2020年9月2日閲覧。
- ^ 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』49頁
- ^ 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 445頁
- ^ 福山誠之館・宮沢裕
- ^ 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 442頁
- ^ 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 446-447頁
- ^ 人事興信録第45版み112
- ^ 人事興信録第45版み112
- ^ 人事興信録第45版み112
- ^ 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 447頁
- ^ a b 人事興信録42版み108
- ^ 特定商取引法に基づく広告表示 有限会社クラブサー
- ^ a b c d 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』59頁
- ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』』 209頁
- ^ a b c d 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 205頁
- ^ 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 209頁
- ^ 広瀬隆『私物国家 日本の黒幕の系図』 (光文社、2000年、362頁)
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