宮澤喜一 家族・親族

宮澤喜一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/17 10:02 UTC 版)

家族・親族

宮澤家

宮澤家の人々
東京高師附属小(現・筑波大附属小)の制服を着た宮澤喜一が前列左に写っている
広島県福山市金江町、東京都渋谷区
  • 父・(山下汽船社員、政治家)
    1884年明治17年)1月生〜1963年(昭和38年)5月没
    父・宮澤裕広島県沼隈郡金江村(現・福山市金江町)の小さな農家に生まれた。宮澤によると「父は小さな百姓の長男でね、いまでもその生家が残っていますが、山の中の本当の一軒家です。とにかく私が参議院に出てから(昭和28年)はじめて電灯を引いてもらったようなところなんですよ」という[43]。祖父の宮澤鹿吉の時代は、生活は楽でなかった。
    裕は苦学して東京帝国大学政治学科を卒業、長野県庁勤めを経て、実業界に入り海運王山下亀三郎の山下汽船(現・商船三井)に入社。亀三郎の盟友だった小川平吉に見込まれ、その女婿になった[44]。昭和3年(1928年)郷里の広島3区から衆議院議員に当選して政界入り。以来連続6回当選し、鉄道政務次官、商工省参与などを歴任した[45]
  • 母・こと(長野県、弁護士・政治家小川平吉の二女、呉服商人小川金蔵の孫)
    1897年(明治30年)1月生〜没
    小川平吉は明治36年に弁護士から代議士に転じ、激烈な対露強硬論をぶち上げた“国士”タイプの政治家で、実業への足掛かりはもたなかったが、特筆ものの閨閥を残した[46]
  • 弟・内務・自治官僚、政治家・広島県知事、参議院議員、法務大臣)
    1921年大正10年)9月生〜2012年(平成24年)5月没
  • 弟・(外交官、西ドイツ大使)
    1923年大正12年)8月生〜2010年平成22年)9月没
  • 妻・庸子(英語学者・伊地知純正早稲田大学名誉教授)の二女)
  • 長女・啓子(1946年11月18日生)[52](人工石ジュエリーを販売する有限会社クラブサー代表[53]。夫はアメリカ合衆国のクリストファー・ラフルア元駐日代理大使)
  • 長男・'裕夫(1949年10月3日生)[52](建築家[注釈 7]
  • 孫・宮澤エマ(タレント 長女・啓子と娘婿・クリストファーの間の次女)
  • 孫・宮澤沙羅英語版(実業家 長女・啓子と娘婿・クリストファーの間の長女)

他家

小川家の人々
(前列左より三平、せき(平吉夫人)、平吉、悦子、平五。後列左よりせい、宮澤の母こと、てい、かつ、平二平四郎一平
  • おじ
    小川一平(実業家、政治家)
    小川平二(政治家)
    小川平四郎(外交官)
    堤平五(実業家)など
    堤平五は養子に行ったため堤姓を名乗っているが、宮沢の母方の祖父小川平吉の五男である[54]戸籍の上では叔父になるが、宮沢の母のことは祖父平吉が27歳のときの子供である[54]。平五は50歳のときの子供で、兄姉といっても20歳以上の差があり、甥の宮澤と同年齢である[54]。2人は子供のときから祖父(宮澤にとっての)平吉の家に、同年のいとこ同士に近い関係で一緒に育った[54]。平五の娘婿・鈴木俊一は、元首相の鈴木善幸の長男。俊一の姉・千賀子の夫は元首相の麻生太郎
  • いとこ
    小川元(政治家)
    斎藤正彦(数学者・東大名誉教授)
    斎藤邦彦(外務事務次官)

など

      伊地知純正━━━━━庸子
                ┃  ┏━宮澤裕夫
                ┣━━┫
                ┃  ┗━━━━啓子
            ┏━宮澤喜一      ┣━━━━━━━━━┳━━━ラフルア宮澤エマ
宮澤鹿吉━━━━宮澤裕 ┃(元首相) クリストファー・ラフルア      ┗━━宮澤沙羅
         ┃  ┃      
         ┣━━╋━宮澤弘
         ┃  ┃  ┃         
         ┃  ┃  ┣━━━━━━━━━━┳━━宮澤洋一━━━━┳━━浩一    
小川平吉━━━━━こと ┃  ┃          ┣━━あや子     ┣━━二郎
            ┃┏玲子          ┗━━直子      ┗━━賢三
            ┃┗━岸田正記━━━━岸田文雄━━━岸田翔太郎
            ┗━宮澤泰
                ┃  ┏━━━━その
                ┣━━┫
                ┃  ┗━━━━ゆり
      児島喜久雄━━━━━汪子

評価

岸田文武によると「たしかに宮沢一族には官僚が多いですね。別に意識してそうなったわけでなく、強いていえば環境でしょう。親族の冠婚葬祭などで全員が集うと、まるで官僚あるいは官僚OBの集まりといった具合です。」という[55]

作家の神一行によると、「いまや宮沢家は超名門エリートと思われているが、もとから宮澤家が名門であったわけではない[56]竹下安倍大地主で酒造業、醤油製造業を営んでいたのに対して、宮沢の場合はぐっと落ちて小農の出である[56]。宮沢は東京生まれであるが、父は広島県沼隈郡金江村(現在の福山市)に生まれた[56]。取材当時その実家を訪れてみたが、福山市とは名ばかりの山の中にそれはあった[56]。」、「宮沢一族の閨閥は、系図でもわかるように、ただただ華麗としかいいようがない。系図には約九十人の人物が登場するが、そのなかから宰相になった者が五人、国会議員となった者が二十人、はては麻生家を通じて皇室まで連なる“一大名門閨閥”を築きあげている[57]」という。麻生家を遠縁とする見解について、系図を全体観察すれば[58]遠縁が疎遠を意味しないことは明白である。


注釈

  1. ^ これらの体験の多くは、著書『東京―ワシントンの密談―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈1〉』(中公文庫)に収められている。
  2. ^ 佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書)参照。また2001年に行われたサンフランシスコ講和会議50周年の式典では、会議出席者唯一の生存者としてスピーチを行い、「個別的自衛権の論理的延長として、集団的自衛権を位置づけることを提案する」と述べ、部分的な集団的自衛権の行使を容認すべきだと主張、それを日米関係21世紀への遺言であるとした。
  3. ^ この時、誘致の「顔」を宮澤に譲るよう小沢に頭を下げに行ったのが、当時文教族の中堅だった麻生太郎だった(読売新聞、2009年2月22日、4頁)。
  4. ^ 浜田がテレビや雑誌のインタビュー、著作などでたびたび紹介しているエピソード。宮澤については批判的な浜田ではあるが、このエピソードは好意的に話すことが多い。
  5. ^ 『聞き書 宮澤喜一回顧録』(岩波書店、2005年)でも、昭和天皇への尊敬の念を語っている。
  6. ^ 田原はこの件について「結果として宮澤さんに迷惑を掛ける事になってしまった」と宮澤の死後、雑誌『リベラルタイム』で語っていた。
  7. ^ 日比谷高から早大を経て建築家になった(『文藝春秋』2010年10月号)。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 宮澤喜一 略歴
  2. ^ 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』48頁
  3. ^ 同級の小川政亮の談。佐藤むつみ「ありのままに生きる 鰥 やもお 12年記」、『法と民主主義』、2006年10月号。
  4. ^ 城山三郎著『友情力あり』
  5. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 206頁
  6. ^ 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』69頁
  7. ^ 『新・護憲宣言:21世紀の日本と世界』朝日新聞社、141頁
  8. ^ 戸川猪佐武小説吉田学校』、小坂徳三郎田中角栄への説明として記述
  9. ^ 伊藤昌哉 『自民党戦国史』中巻 朝日文庫 pp.242-248 、毎日新聞記者から著者への確認取材による(1985年、原著1982年)
  10. ^ 伊藤昌哉 『自民党戦国史』下巻 朝日文庫 p.85 (1985年)
  11. ^ 五百旗頭真伊藤元重薬師寺克行 『森喜朗 自民党と政権交代』 朝日新聞社、2007年、72-73頁。ISBN 978-4022503381
  12. ^ 朝日新聞世論調査。田中内閣は62%、宮沢は54%だった。
  13. ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P25
  14. ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P35
  15. ^ 銭其琛著濱本良一訳『銭其琛回顧録:中国外交20年の証言』3,p129、東洋書院、2006
  16. ^ a b c d 文藝春秋2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴後藤謙次、167頁
  17. ^ 宰相と新聞記者の関係 ──わが懺悔録 | 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)” (日本語). 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC). 2021年5月9日閲覧。
  18. ^ 冨森叡児『戦後保守党史』(岩波現代文庫、2006年)352頁
  19. ^ 戦後初の自衛隊海外派遣は、海上自衛隊のペルシャ湾派遣である。
  20. ^ 八幡和郎『歴代総理の通信簿』(PHP新書)宮沢の項
  21. ^ “宮沢喜一元首相が死去”. 朝日新聞. (2007年6月29日). http://www.asahi.com/special/07-08/news2/TKY200712010200.html 2020年1月21日閲覧。 
  22. ^ 6月号 「宮沢喜一と戦後日本」 - 三井物産戦略研究所 | 寺島実郎の発言[リンク切れ]
  23. ^ 田中秀征「自民党本流と保守本流」P123
  24. ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P117
  25. ^ 田中と中曽根は宮澤より1歳年上
  26. ^ 田中秀征の一筆啓上 第36回「宮沢先生の思い出 前代未聞 倒閣した細川内閣に引き継ぎ」 2007年7月2日 [リンク切れ]
  27. ^ 田中秀征「自民党本流と保守本流」P118から119
  28. ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P115~116
  29. ^ 田中秀征「判断力と決断力」まえがき
  30. ^ 伊藤昌哉『自民党戦国史・上』 朝日文庫(1985年)pp.14-17
  31. ^ 『政治とカネ 海部俊樹回顧録』(新潮新書、2010年)
  32. ^ 「宮沢さんの無愛想の魅力」『FACTA』2007年8月号
  33. ^ 岡崎守恭『自民党秘史』(2018年、講談社現代新書)
  34. ^ 佐々淳行『後藤田正晴と十二人の総理たち』(文春文庫)
  35. ^ 宮沢喜一氏(元首相)が老衰のため死去 - おくやみ : nikkansports.com 私の履歴書 川淵三郎 W杯共催と宮沢氏の思い出 - 六川亨のフットボール覚書 『新時代へのキックオフ』仮野忠男著、角川書店、2001年9月。 『サッカー批評』長沼健回顧録、32号、33号、34号、双葉社、2006年-2007年。
  36. ^ 『閨閥 特権階級の盛衰の系譜』 204頁
  37. ^ 平成12年12月21日. 武藤事務次官記者会見の概要
  38. ^ “財務省、新しい看板に 麻生氏が揮毫”. 産経新聞. (2016年6月6日). https://www.sankei.com/article/20160606-WGIFNBC3QJOUVGDQYLD4RXN75Y/ 2022年3月24日閲覧。 
  39. ^ 田勢康弘『豊かな国の貧しい政治』
  40. ^ 9月1日 宮澤大蔵大臣閣議後記者会見の概要(2011年3月2日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  41. ^ 5月16日 宮澤大蔵大臣閣議後記者会見の概要(2010年6月1日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  42. ^ (3ページ目)DAIGO×宮澤エマ「おじいちゃんは総理大臣。家族に〈政治家になれ〉と言われたことは?」|芸能|婦人公論.jp” (日本語). 婦人公論.jp. 2020年9月2日閲覧。
  43. ^ 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』49頁
  44. ^ 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 445頁
  45. ^ 福山誠之館・宮沢裕
  46. ^ 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 442頁
  47. ^ 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 446-447頁
  48. ^ 人事興信録第45版み112
  49. ^ 人事興信録第45版み112
  50. ^ 人事興信録第45版み112
  51. ^ 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』 447頁
  52. ^ a b 人事興信録42版み108
  53. ^ 特定商取引法に基づく広告表示 有限会社クラブサー
  54. ^ a b c d 清宮龍著『宮沢喜一・全人像』59頁
  55. ^ 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』』 209頁
  56. ^ a b c d 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 205頁
  57. ^ 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 209頁
  58. ^ 広瀬隆『私物国家 日本の黒幕の系図』 (光文社、2000年、362頁)






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