王昌齢とは? わかりやすく解説

おう‐しょうれい〔ワウシヤウレイ〕【王昌齢】

読み方:おうしょうれい

698757中国盛唐詩人京兆陝西(せんせい)省)の人。字(あざな)は少伯。五言絶句にすぐれ、雄渾(ゆうこん)な詩風生前から高く評価された。辺塞(へんさい)詩人一人


王昌齢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/07 03:58 UTC 版)

王昌齢

王 昌齢(おう しょうれい、698年 - 755年)は、中国詩人は少伯。就任した官職の地名から、王江寧・王竜標とも称せられる。

略歴

京兆府に生まれた[1]開元15年(727年)に進士となり、秘書省の校書郎から開元22年(734年)に博学宏詞科に及第して汜水県尉となったが、奔放な生活ぶりで江寧(現在の江蘇省南京市江寧区)県丞・竜標(現在の湖南省懐化市芷江トン族自治県)県尉に落とされた。その後、天宝14載(755年)、安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、亳州刺史閭丘暁中国語版に憎まれて殺された。

後に閭丘暁は、安禄山軍の侵攻に対し、唐側の張巡を救援しなかった罪で、唐の張鎬に杖殺された。この時、閭丘暁は「親がいるので、命を助けて欲しい」と言ったが、張鎬は、「王昌齢の親は誰に養ってもらえばいいのか?」と反論し、閭丘暁は押し黙ったと伝えられる。

『西宮夜静百花香 欲捲珠簾春恨長 斜抱雲和深見月 朧々樹色隠照陽』(月岡芳年『月百姿』)王昌齢の詩をもとにした浮世絵

当時は「詩家天子」とも呼ばれ、高適王之渙と交遊があった。七言絶句に特に優れ、辺塞詩に佳作が多いとされる。閨怨詩・送別詩にも詩才を発揮した。「詩緒密にして思い清し」という評がある。詩集5巻。詩論家としても『詩格』『詩中密旨』、『郗昂楽府古今題解』、『続楽府古解題』がある。

西宮春怨
西宮夜静百花香  西宮夜静かにして百花香り
欲捲珠簾春恨長  珠簾(しゅれん)を捲かんと欲すれば春恨(しゅんこん)長し
斜抱雲和深見月  斜めに雲和(うんか、)を抱いて深く月を見れば
朦朧樹色隠昭陽  朦朧(もうろう)たる樹色に昭陽宮を隠す


西宮秋怨
芙蓉不及美人粧  芙蓉(ふよう)は美人の装いに及ばず
水殿風来珠翠香  水殿に風来たりて珠翠(じゅすい)香し
却恨含情掩秋扇  却って恨む 情を含んで秋扇(しゅうせん)を掩(おお)い
空懸明月待君王  空しく明月を懸けて君王を待つ

脚注

  1. ^ 太原郡晋陽県の本貫とする説、琅邪郡臨沂県の本貫とする説がある。

伝記資料

  • 旧唐書』巻百九十 列伝第百四十下 文苑下「王昌齢伝」
  • 新唐書』巻二百二 列伝第百二十八 文芸下「王昌齢伝」

参考文献




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