大正
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西暦との対照表
大正 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
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西暦 | 1912年 | 1913年 | 1914年 | 1915年 | 1916年 | 1917年 | 1918年 | 1919年 | 1920年 | 1921年 |
干支 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 | 戊午 | 己未 | 庚申 | 辛酉 |
大正 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 |
---|---|---|---|---|---|
西暦 | 1922年 | 1923年 | 1924年 | 1925年 | 1926年 |
干支 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 |
- 元年と最終年の期間
- 大正元年(1912年): 7月30日〜12月31日〈155日間〉
- 大正15年(1926年): 1月1日〜12月25日〈359日間〉
大正時代の評価
- 松尾尊兊の自著で「教育が普及していきわたり、都市に住む人が増加して、都市化で住民の都市問題が誕生して、和食や和服から洋食や洋服となり、政治に関心がある国民が増加して民本主義思想や社会運動が活発となった」としている[50]。
- 皿木喜久が自著紹介する山本夏彦のエッセー集では「大正デモクラシーをひと口で言うと『猫なで声』と答える」とした。恋愛が謳歌されて、儒教と断絶して挨拶の口上が言えなくなり、新聞の社説が文語文から口語文となった。のびのびとした大正ロマン文化が花開き、大正自由教育運動などの教育や大正期新興美術運動など芸術で自由な考え方や自由を尊重する試みが行われた。大正時代は日本史上の他の政治制度より一番ましな民本主義が誕生して、欠陥があったが戦後日本の政治思想の基本となっている。デモクラシーが、社会主義思想や平和主義思想と解釈されて、天皇制(天皇・皇室制度)など日本の伝統を否定する考え方と混同されたのが、大正時代であった[51]。
現代における大正
2019年(令和元年)10月1日の時点では、日本における明治・大正生まれの人口は114万1千人で総人口の0.9%[52]。
2020年頃より都道府県の最高齢者が大正生まれとなるケースが出てきている。男性の最高齢者は過半数の都道府県で大正生まれが最高齢で大正5年が最高齢となる県も出てきている[53]。大正元年生まれは2022年で110歳を迎えた。
注釈
出典
- ^ 世界大百科事典 第2版「大正時代」
- ^ “明治45年(1912)7月|大正と改元:日本のあゆみ”. 2020年8月30日閲覧。
- ^ 「明治」は11度目の正直=選から漏れた元号案、最多は40回、時事ドットコム、2019年02月02日15時19分。
- ^ “「昭和」を考案した男と「令和」にまで影響した森鷗外の執念”. 現代ビジネス. 講談社 (2019年5月2日). 2021年2月10日閲覧。
- ^ 第一次は1912年(大正元年)12月から翌年にかけて第3次桂内閣打倒運動が東京を中心にして各地で憲政擁護大会が開かれた。第二次は1924年(大正13年)1月清浦内閣打倒運動を起こし、政党内閣、普通選挙、貴族院改革を要求した。
- ^ 政党側の闘志であるこの二人は、中華民国に対する「21か条要求」には日本の特権を肯定していた。(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 15ページ)
- ^ デモクラシーの訳語(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 14ページ)
- ^ “明治神宮の鎮座と戦後復興”. 明治神宮崇敬会. 2020年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月29日閲覧。
- ^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年の178ページから〜181ページの明治人たり逝くの項目
- ^ a b c 『化粧文化』8号「大正モダン」ポーラ文化研究所、2015
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)190頁
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)193頁
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)196頁
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)202頁
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 16ページ
- ^ a b c d 『世界大百科事典』(平凡社)「大正」の項目
- ^ 『図説日本史通覧』253頁
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)225頁
- ^ 1925年(大正14年)の新聞は治安維持法に批判的な論評を掲載するとともに、社説でも正面から反対した。「社説」では同法は「人権蹂躙・人権抑圧」であり、国民の生活や思想まで取り締まりの対象になり、集会結社の自由はなきに至ると論じた。同法成立の背景として、第一次世界大戦とロシア革命以後の社会運動や社会主義運動の盛り上がりを抑制する政策として考えられてきたものであったが、また、アメリカの無政府主義取締法を初めとする世界的な治安立法の動きが影響したと考えられる。(成田)龍一『大正デモクラシー』シリーズ日本近代史④ 岩波書店 〈岩波新書1045〉 2007年 210-211ページ
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)200頁
- ^ a b “人的被害の9割が東京・横浜に集中 : 関東大震災を振り返る”. ニッポンドットコム (2019年8月30日). 2020年11月29日閲覧。
- ^ 大正から昭和へ少年少女日本の歴史202頁〜207頁
- ^ 日本の歴史(角川まんが学習シリーズ)大正71頁
- ^ 「明治・大正・昭和のくらし②大正のくらしと文化」14ページ、汐文社
- ^ 集英社学習漫画日本の歴史大正時代大正デモクラシー125頁
- ^ 江原絢子・石川寛子「家事教科書からみた調理教育の営的研究(その2)―大正期―」『家政学雑誌』第37巻第1号、日本家政学会、1986年、67-75頁。(72ページより)
- ^ 進藤健一"どんな揚げ物にはまってますか? 思わずパクつく「背徳のグルメ」"朝日新聞2014年8月30日付朝刊、週末be2ページ
- ^ 橋本直樹 (2016年4月14日). “変わり行く日本食 6 「洋食」物語”. 大人のための食育 食育博士の辛口レクチャー. 2017年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。
- ^ 長友麻希子. “洋食”. 京都市観光協会. 2020年8月9日閲覧。
- ^ “第5章 近代(明治から昭和の戦前)―洋食と和食”. 2013年経済学部ゼミナール大会報告論文 日本の食文化の歴史. 松山大学. 2016年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。
- ^ 木村智彦 (2011年5月24日). “本校の歴史その8 大正時代と旧制中学”. 浪速高等学校・中学校. 2016年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。
- ^ “コロッケ検定”. 日本コロッケ協会. 2016年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。
- ^ [1]
- ^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年148ページから〜151ページの大正時代の3大洋食-『明日もコロッケ』だった時代の項目
- ^ 「教科書に載っていない戦前の日本」55頁
- ^ 日本の歴史(角川まんが学習シリーズ)大正74頁
- ^ 少年少女日本の歴史大正から昭和へ224頁
- ^ 日本の歴史(角川まんが学習シリーズ)大正152頁
- ^ 大正から昭和へ少年少女日本の歴史224頁〜225頁
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)228頁
- ^ 明治・大正・昭和のくらし②大正のくらしと文化の37ページ。汐文社が出版社である
- ^ 日本の歴史(角川まんが学習シリーズ)大正153頁
- ^ 『「スペイン風邪」大流行の記録』平凡社東洋文庫、2008年、p.104。国会デジタルライブラリー『流行性感冒』
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)212頁
- ^ 世界と日本(新版 ジュニア版・日本の歴史)215頁
- ^ 松尾尊兊『日本の歴史第17巻大正時代〜大正デモクラシー』118ページ〜120ページの復興する都市と女性の進出の項目
- ^ 『一冊でわかるイラストでわかる図解仏教』成美堂発行の73頁
- ^ マンガ日本の歴史現代編大戦とデモクラシー。石ノ森章太郎執筆の200頁
- ^ 同志会153議席,政友会108議席,中正会33議席、国民党27議席、大隈伯後援会12議席,無所属48議席
- ^ 松尾尊兊『日本の歴史第17巻大正時代〜大正デモクラシー』15ページの上段の2コマ 集英社
- ^ 皿木喜久『平成日本の原景大正時代を訪ねてみた』216ページ10行目から〜17行目
- ^ https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2019np/index.html
- ^ 県男性最高齢者死亡/南日本新聞 2022.2.1 社会 1頁
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