井上赳
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井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 1965年7月20日)は、島根県出身の文部官僚。1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。
生涯
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県立松江中学校、第一高等学校(同期に近衛文麿、山本有三、土屋文明)、東京帝国大学文科大学国文学科を卒業した。1921年、鹿児島県の第七高等学校造士館教授の時、大学の先輩である高木市之助に誘われ、文部省図書監修官となる。以後20年にわたって国定教科書の編集に関わる。
1925年から教科書研究のため1年間欧米に留学する。
1931年から『小学国語読本』の編纂に着手する。従来巻一の冒頭に単語から教えていたが井上は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」に象徴されるように文から習うように改めた。また、『源氏物語』、『東海道中膝栗毛』などを教材に取り入れるなど文学教育の要素を強くした。この読本は1933年から実施された。1941年の国民学校への移行に際して『ヨミカタ』、『初等科国語』(通称アサヒ読本)を石森延男らと編集する。アサヒ読本は軍部からの圧力に屈せず児童中心主義を守り通した。1944年、図書局廃止に抗議して辞職。
戦後、1946年から1947年まで衆議院議員を務め、日本国憲法などの審議に参加する。その際、26条2項の正文中、「children」の訳語に「子女」を提言した。
1951年から1956年まで東京文科大学(現二松学舎大学)、1958年から死去まで共立薬科大学の教授を務める。
作詞した唱歌
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当時の唱歌の教科書は国語読本と密接な関係にあったので、井上は文部省唱歌の作詞も手がけた。
著書
共編著
- 『ジョージ・ワシントン』英傑伝叢書 矢代幸雄共著 実業之日本社 1917
- 『国文学類選 戯曲篇』次田潤共編 成美堂書店 1921
記念文集
- 『井上赳先生国語読本編修二十年功労志』井上赳先生国語読本編修二十年記念会編 1943
関連項目
脚注
固有名詞の分類
日本の文学研究者 |
関良一 森博達 井上赳 海保眞夫 内山美樹子 |
衆議院議員 (帝国議会) |
松田正久 大山郁夫 井上赳 竹村良貞 原敬 |
教育関係人物 |
海老名弾正 プロタゴラス 井上赳 トマス・ヘンリー・ハクスリー 滝川洋二 |
慶應義塾大学の教員 |
今野武雄 井田良 井上赳 海保眞夫 有賀喜左衛門 |
日本文学研究者 |
関良一 森博達 井上赳 小峯和明 山田有策 |
日本の教育学者 |
木村和美 坂井俊樹 井上赳 滝川洋二 星虎男 |
日本の文部官僚 |
剱木亨弘 日原昌造 井上赳 國分正明 木下広次 |
鹿児島大学の教員 |
日暮吉延 桑原司 井上赳 高田幸二 福田正臣 |
島根県選出の帝国議会議員 |
原夫次郎 菅了法 井上赳 木村小左衛門 櫻内幸雄 |
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