自由画教育運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 05:47 UTC 版)
児童画の教育を改革しなければならないと考えた鼎は1918年(大正7年)、日本創作版画協会を設立、会長となり、自由画教育運動を展開した。この運動は全国的に教育現場で迎えられた。長野県では当時盛り上がっていた自由教育・個性教育思潮もあり、自由画教育運動は急速に普及した。1919年(大正8年)4月、長野県小県郡神川小学校で開かれた第1回児童自由画展覧会には長野県下から1万点弱の作品が寄せられ、7千人を超える児童が鑑賞した。1920年(大正9年)、「自由画教育の要点」を中央公論8月号に発表。同年12月26日、北原白秋らと日本自由教育協会を結成。児童の自由な感性を重視する芸術教育は、現在まで影響を及ぼしている。
※この「自由画教育運動」の解説は、「山本鼎」の解説の一部です。
「自由画教育運動」を含む「山本鼎」の記事については、「山本鼎」の概要を参照ください。
- 自由画教育運動のページへのリンク