田中稲城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 07:52 UTC 版)
田中 稲城(たなか いなぎ、1856年2月11日(安政3年1月6日) - 1925年(大正14年)2月22日)は明治時代から大正時代にかけての日本の官僚、図書館学者。
- ^ 帝国大学 編『帝国大学一覧』帝国大学、1890年12月27日、364頁。NDLJP:813167/185。
- ^ 『官報』第4143号、明治30年4月28日、p.415.NDLJP:2947430/4
- ^ 田中とともに菊池大麓、外山正一(教育者)、辰野金吾(建築家)、久留正道(建築技師)が帝国図書館新築設計委員として選定されている。
- ^ 田中は乗杉が省内で孤立しながらも司書育成の必要性を唱えてきた事は評価していたものの、独立した施設や予算が出ない(なお、乗杉の課の予算は当時年間2,000円だった)機関では十分な育成は出来ないと考えていた。このため、1921年6月1日に[[東京美術学校 (旧制)|]]内に図書館員教習所が設置される。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)17頁
- ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『官報』第1773号「叙任及辞令」1918年7月1日。
- 田中稲城のページへのリンク