佐野と近代公共図書館の確立とは? わかりやすく解説

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佐野と近代公共図書館の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 06:22 UTC 版)

佐野友三郎」の記事における「佐野と近代公共図書館の確立」の解説

日本に帰国した翌・明治33年1900年)、東京大学時代に同じボート部にいた秋田県知事武田千代三郎佐野新設秋田県立秋田図書館館長就任要請しこれを受諾する図書館に関して十分な知識持っていなかった佐野であったが、すぐに帝国図書館館長田中稲城指導仰ぎながら、無料開館月曜日休館などの原則定めた規則作成するなどした。 明治35年1902年)、佐野は「巡回文庫構想発表する(『秋田県教育会雑誌』「米国巡回文庫起源及び発達」)。これはアメリカメルヴィル・デューイ始めた巡回文庫仕組み取り入れたものであった。後に佐野直接デューイ手紙遣り取りするなど、彼の図書館思想の影響大きいとされている。散逸しかけていた佐藤信淵著作蒐集事業各地に郡立図書館設置する事にも力を注いだ。ところが、「巡回文庫」の準備中武田山口県知事転任佐野にも同行して新設山口県立山口図書館館長就任するように求められた。佐野武田要望に抗いがたくこれを受諾明治36年1903年)に山口県立山口図書館館長として赴任した山口においても、「巡回文庫」を導入した他、夜間開館実施日本最初児童図書館にあたる「児童閲覧室」を開設した明治40年1907年)には、公開開架導入して通俗書を中心とした3,000冊の館内での自由な閲覧そして館外貸出許可し、同42年1909年)には、デューイ十進分類法日本既存の「八門分類表」を参考にした新し図書分類法である「十門分類表」(山口県立図書館分類表)を作成するなどした。

※この「佐野と近代公共図書館の確立」の解説は、「佐野友三郎」の解説の一部です。
「佐野と近代公共図書館の確立」を含む「佐野友三郎」の記事については、「佐野友三郎」の概要を参照ください。

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