佐野のデート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:07 UTC 版)
1913年(大正2年)4月、当時第一高等学校文科3年の菊池寛の親しい同級生の中に同じ南寮8号部屋の佐野文夫がいた。菊池は一高に入学した当初から、同じクラスの佐野の天才ぶりに惹かれ、その自信満々な明晰な湿りのある声で先生と対等に話す姿に感銘して以来、積極的に佐野に近づいていき友人関係を深めていた。 3年生当時の佐野は、独法科の倉田百三から紹介された妹の倉田艶子と交際していた。日本女子大学校に通う艶子は18歳で、寮には佐野宛の艶子からの桃色の封筒がよく届いていた 4月のある日、佐野は艶子との戸山ヶ原でのデートに、一高のシンボルであるマントを着ていきたいと思ったが、自分のマントは質入れしていたため、同室の佐藤のマントを借りて試着した。しかしそのマントは丈が少し長すぎ、気取り屋の佐野には気に入らなかった。 佐藤にマントを返した佐野は、部屋を出てからしばらくして違うマントを着て自室に戻ってきて、そのまま艶子とのデートに出かけて行った。デートが終って、その日はそれで何ごともなく済んだが、他人のものを黙って持ち出してきたそのマントを、佐野はそのまま返さずにいた。
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