佐野の舟橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 14:17 UTC 版)
光悦蒔絵の意匠は古典の物語や和歌に題材を採ったものが多いが、本作品もその例に漏れず、中世の文芸思潮が色濃く反映されていると言える。 蓋にある源等の歌は、『後撰和歌集』のみならず『定家八代抄』『時代不同歌合』などの秀歌選的な作品集にも収められ、当時よく知られた歌だった。 「佐野の舟橋」は中古中世において最も愛好された歌枕のひとつであり、『万葉集』巻十四、相問「上毛野佐野の舟橋取り放し親は離くれど吾は離るがへ」(万葉集3429)が本歌である。その場所は栃木県の佐野あるいは群馬県高崎の上佐野の両説あり明確でないが、平安時代には佐野の舟橋の存在や名称は歌人の広く知るところとなり、『枕草子』など多くで言及が見られる。「佐野の舟橋」ははかない恋、頼りない恋路の比喩として恋歌でたびたび使われ、また佐野の舟橋にまつわる舟橋説話も登場し、その説話を下敷きとして世阿弥により成立したのが謡曲『舟橋』である。光悦は若い頃より謡曲を好み、時には他人へ指南するほど造詣が深く、本作品の意匠も謡曲との関連が示唆される。
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