舟橋蒔絵硯箱とは? わかりやすく解説

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舟橋蒔絵硯箱

読み方:フナハシマキエスズリバコ(funahashimakiesuzuribako)

江戸時代漆工品の名称。本阿弥光悦作。


舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作/〉

主名称: 舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作/〉
指定番号 250
枝番 00
指定年月日 1967.06.15(昭和42.06.15)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1合
時代区分 桃山
年代
検索年代
解説文: 山形高く盛り上がったをもつ硯箱である。箱の内外は金沃懸【いかけ】地とし、表面薄肉に舟と波とを金蒔絵し、さらに中央斜めに鉛板をかけ、甲面【こうめん】の全面に「東路のさのゝ舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人ぞなき」の後選集の歌を銀文字で散らす。その器形並びに意匠大胆かつ斬新で、本阿弥光悦一五五八一六三七)の作品としてすぐれた芸術性をよく伝えている。

舟橋蒔絵硯箱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 02:34 UTC 版)

舟橋蒔絵硯箱(ふなばし まきえ すずりばこ)は、本阿弥光悦の作と伝わる江戸時代初期の蒔絵硯箱。光悦蒔絵の代表作と目されるだけでなく[1][2]、優れた意匠と技法により日本の古典工芸における特筆すべき傑作と広く認められ[3]1967年国宝に指定された[4]


注釈

  1. ^ かぶせぶたづくり。蓋が身の全体を覆うような構造のこと[6]
  2. ^ いかけじ。地蒔き技法のひとつで、漆の上に金や銀の鑢粉(やすりふん)を蒔き詰め、上から漆を重ねて磨き出す手法。粉の粒子が細かくなった中世以降は金地とも称する[15]
  3. ^ つけがき。粘性の高い絵漆で細かく筆書きし、上から金銀粉を蒔きつけることで細部をはっきり表現する手法[16][17]
  4. ^ ひらめふん。蒔絵粉を扁平に延ばして大小にふるい分けたもの[19]
  5. ^ さびしたじ。漆の下地として塗られる材料で、水で練った砥の粉(とのこ、土の粉)と生漆を混ぜて作る[22]
  6. ^ 橋本治は歌意を次のように示している。「東国の佐野には有名な舟橋がある。橋がかけてあるだけで、人が渡るのを誰も見ていない――それとおんなじで、私があなたを思っていることを誰も知らない[26]。」
  7. ^ かながい。漆面の加飾に使えるよう金属板を文様に切り出したもの[27]
  8. ^ かけご。容器の縁にかけてはめる、底の浅い内容器[33]
  9. ^ 八寸四方の盆に料理を盛る会席料理の形式「八寸」は別名「硯蓋」と言い、また平安時代に「硯の蓋を出す」といった場合それは「客に菓子を出す」を意味した[42]
  10. ^ てりむくり。いわゆる「唐破風」の屋根の軒端に見られる様式で、中央部分が丸く山形に盛り上がり、軒先へゆくに従い緩やかに逆へ反る形。典型例として日光東照宮の四方唐門の屋根などが挙げられる[47]
  11. ^ 左下の岩に「賀」、右下の岩に「君」の文字をさりげなく隠し、意匠とした『古今和歌集』巻七の賀歌「しおのやま さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば八千代とぞなく」を暗示している[52]
  12. ^ かみつけぬ さののふなはし とりはなし おやはさくれど わはさかるがへ。「佐野の舟橋を取り外すように、親が恋人との間を裂こうとしても、私は決して離れない」といった歌意[57]
  13. ^ 説話の内容はおおまかに次の通り。むかし上野国に佐野の舟橋という場所があり、近くの男が夜な夜なそれを渡って女のもとへ通っていた。女の親はこれを快く思わず、ひそかに舟橋の橋板を数枚外しておいた。その夜、男は月に見惚れながら歩いていたため、橋板を踏み外し、溺れ死んだ。この話を聞いた、想う女の親から嫌われて女に会えず悩んでいた男は、自分の心境を「東路のさのゝ舟橋取はなし親しさけすは妹にあはんかも」と歌にした[58]
  14. ^ 京の小川今出川にあった当時の本阿弥家の本宅は能の観世家と隣同士だった[60]
  15. ^ 幸阿弥家の高台寺蒔絵と同じく、近世初期に現われた蒔絵の一派。図柄は平面的・絵画的であり、多彩な材料を巧みにこなしながら精緻に仕上げているのが特徴[66]

出典

  1. ^ a b c d e f 森田 (1918) p.61
  2. ^ a b c d 『美術カード』 12巻、美術出版社、1956年、0257頁。 
  3. ^ 岡田 (1964) p.127
  4. ^ a b c d e f g h i 舟橋蒔絵硯箱〈本阿弥光悦作/〉”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2022年3月1日閲覧。
  5. ^ a b c 藤本 (1995) p.96
  6. ^ 小松 & 加藤 1997, p. 7.
  7. ^ a b 森田 (1918) p.65
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 文化庁 編『国宝事典』(第4版)便利堂、2019年、169頁。ISBN 978-4892731082 
  9. ^ a b c d e 溝口三郎『国宝と史跡』石川茂作(監修)、誠文堂新光社、1953年、34頁。 
  10. ^ a b c d e f g h i j k l 永田 (2013) p.248
  11. ^ a b c d e 高橋(2018), p. 31.
  12. ^ a b c d e 黒川浩和『安土桃山/江戸初期』平凡社〈書の日本史〉、1975年、63頁。 
  13. ^ 高橋(2018), p. 24.
  14. ^ a b c d e f 内田(2011), p. 316.
  15. ^ 小松 & 加藤 1997, p. 12.
  16. ^ 小松 & 加藤 1997, p. 28.
  17. ^ 小松 & 加藤 1997, p. 86.
  18. ^ a b c d 溝口三郎 著「舟橋蒔絵硯箱」、国立博物館 編『宗達光琳派図録』便利堂、1952年、8頁。 
  19. ^ "平目粉". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2024年3月2日閲覧
  20. ^ a b 森田 (1918) p.63
  21. ^ a b c d e f g 内田(2011), p. 265.
  22. ^ 小松 & 加藤 1997, p. 168.
  23. ^ 内田(2011), p. 268.
  24. ^ a b c d e f g h 岡田 (1964) p.138
  25. ^ a b c 高橋(2018), p. 26.
  26. ^ a b c 橋本 (2000) p.142
  27. ^ "平文". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2024年3月2日閲覧
  28. ^ a b c 内田(2011), p. 266.
  29. ^ 高橋(2018), p. 25.
  30. ^ a b 「「舟橋蒔絵硯箱」に散らされた銀の文字は、キラーンと日本刀のごとし!」『和樂』、小学館、2020年12月、86-87頁。 
  31. ^ a b 森田 (1918) p.62
  32. ^ a b c 内田(2011), p. 53.
  33. ^ 小松 & 加藤 1997, p. 71.
  34. ^ 内田(2011), p. 178.
  35. ^ a b c d 内田(2011), p. 260.
  36. ^ 溝口三郎「舟橋蒔絵硯箱」『MUSEUM 東京国立博物館美術誌』第50巻、美術出版社、1955年5月、24頁。 
  37. ^ a b 小林忠『もういちど尋ねる日本の美』 下、山川出版社、2018年、71頁。ISBN 978-4634591066 
  38. ^ a b 小松大秀 著、小笠原信夫 編『国所蔵/東京国立博物館 5 〈工芸〉』朝日新聞社〈週刊朝日百科 日本の国宝〉、1997年、133頁。 
  39. ^ 岡本謙次郎『美の美』 第2集、日本経済新聞社、1958年、75頁。 
  40. ^ 中部義隆「本阿弥光悦作 舟橋蒔絵硯箱」『なごみ』、淡交社、2002年9月、71頁。 
  41. ^ a b c d e 岡田譲, 近藤市太郎, 田中作太郎, 千沢楨治, 野間清六, 林屋晴三, 松下隆章, 溝口三郎, 山根有三『琳派秀作集』日本経済新聞社、1959年、3頁。 
  42. ^ a b c d 橋本 (2000) p.143
  43. ^ a b 高橋(2018), p. 28.
  44. ^ 水尾 (1978) p.44
  45. ^ 水尾 (1962) p.120
  46. ^ a b 内田(2011), p. 179.
  47. ^ 内田(2011), p. 178-179.
  48. ^ 立岩 (2000) p.160
  49. ^ 立岩 (2000) p.158
  50. ^ 内田(2011), p. 54.
  51. ^ 橋本 (2000) p.143
  52. ^ 塩山蒔絵硯箱”. Colbase (国立文化財機構所蔵品統合検索システム). 国立文化財機構. 2022年3月1日閲覧。
  53. ^ 葦手絵」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパンhttps://kotobank.jp/word/%E8%91%A6%E6%89%8B%E7%B5%B5-252912022年3月1日閲覧 
  54. ^ a b c d e f 岡田 (1964) p.131
  55. ^ a b c d e f 内田(2011), p. 137.
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  57. ^ a b 白洲正子「日本の橋」『芸術新潮』、新潮社、1976年5月、91頁。 
  58. ^ a b c 内田(2011), p. 138.
  59. ^ 増田孝『本阿弥光悦 人と芸術』東京堂出版、2010年、111頁。ISBN 978-4490207057 
  60. ^ a b 水尾 (1978) p.36
  61. ^ a b 永田 (2013) p.249
  62. ^ a b 岡田 (1964) p.128
  63. ^ 水尾 (1962) p.116
  64. ^ a b c 岡田 (1964) p.140
  65. ^ 高橋(2018), p. 23.
  66. ^ 岡田 (1964) p.130
  67. ^ 岡田 (1964) pp.132-134
  68. ^ 山邊知行, 岡田譲『日本美術全集』 5巻、東都文化交易、1953年、81頁。 
  69. ^ 岡田 (1964) p.135
  70. ^ a b 佐藤良『光琳』アトリエ社〈東洋美術文庫〉、1938年、31頁。 
  71. ^ 水尾 (1962) p.111
  72. ^ 尾形光琳作 住之江蒔絵硯箱”. 所蔵品紹介. 静嘉堂文庫美術館. 2022年3月1日閲覧。
  73. ^ 小松大秀「松楓蒔絵文台硯箱と戸嶌光孚」『学習院大学史料館紀要』第18巻、学習院大学史料館、2012年3月、81頁。 
  74. ^ 森田 (1918) p.66
  75. ^ 内田(2011), p. 253.
  76. ^ 灰野昭郎「本法寺「宝相華螺鈿法華経経箱」 : 光悦・光琳蒔絵研究の諸問題(I)」(PDF)『学叢』、京都国立博物館、1989年、116頁、2022年3月1日閲覧 
  77. ^ 舟橋蒔絵硯箱”. e国宝. 国立文化財機構. 2022年3月1日閲覧。
  78. ^ a b 林進「光琳を検証する : 光琳は、なぜ宗達画、宗達関係資料の模写をおこなったのか (中部義隆先生追悼号)」『美術史論集』第17巻、神戸大学美術史研究会、2017年、29頁、doi:10.24546/81010481hdl:20.500.14094/81010481CRID 13900092249306570242023年6月21日閲覧 


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