楽焼白片身変茶碗とは? わかりやすく解説

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楽焼白片身変茶碗〈銘不二山/光悦作〉

主名称: 楽焼白片身変茶碗〈銘不二山光悦作〉
指定番号 74
枝番 00
指定年月日 1952.11.22(昭和27.11.22)
国宝重文区分 国宝
部門種別 工芸品
ト書
員数 1口
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 江戸時代作品
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工芸品:  梵鐘  梵鐘  梵鐘  楽焼白片身変茶碗  横被  沃懸地獅子文毛抜形太刀  沃懸地螺鈿金銅装神輿

楽焼白片身変茶碗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 02:10 UTC 版)

楽焼白片身変茶碗
銘「不二山」
不二山[1]
材質陶器[2]
寸法高さ 8.9 cm口径 11.6 cm、高台 5.5 cm[2][3]
製作17世紀江戸時代[2]
所蔵サンリツ服部美術館長野県諏訪市[4]
高台[1]
の掛かった富士山
楽焼白片身変茶碗を収蔵するサンリツ服部美術館

楽焼白片身変茶碗(らくやきしろかたみがわりちゃわん)は、日本国宝楽焼茶碗で、銘は不二山(ふじさん)。17世紀江戸時代)、本阿弥光悦の作。別名に振袖茶碗(ふりそでちゃわん)がある。

作品

本作は楽焼の中でも白釉を用いた白楽(しろらく)と呼ばれるもので、年代は17世紀(江戸時代)、大きさは高さが8.9センチメートル口径が11.6センチメートル、高台が5.5センチメートルである[2][3][5][6]。素地は荒いが混じった白土で[4]、始めに「手捏ね」(てづくね)で成形し、へらを使って側面を縦に削って整形[2]。その後、透明性低火度の白釉を厚く掛けて焼成を行ったが、偶然にもの中で茶碗の下半分が内側・外側ともに炭化し、色(暗灰色)に変色した[4][2]。内側の一部には鉛釉が変化を起こしたことによる銀化も見られる[2]

本作の制作者である本阿弥光悦は、刀剣鑑定を本業とする傍ら陶芸にも秀で[2]、彼の作る茶碗を欲しがる者も多くいたが、容易に作ることはしなかった[6]。彼の作品は10点ほどが現存し、その中でも本作は一番の作と言われ名高い[2]。光悦が娘を大阪に嫁がせた際、支度の代わりにと本作を精魂込めて制作した[2]。持参する際、振袖に包んだことから振袖茶碗とも呼ばれており、その切れ端も現存している[2]

箱には「不二山 大虚菴」と記されている[2]。大虚菴とは光悦の号で[2]、『原色陶器大辞典』のように大虚と表記している文献もある[6]。この箱書は光悦の自筆によるものであり、光悦の(角黒印)が押されてある[6]。制作者が自ら箱書をしたものを共箱(ともばこ)というが、これは日本の陶芸史上初の試みである[2]。「不二山」という銘の由来については、その風情の掛かった富士山に見立てたとする説(金森得水)、あるいはこれ以上ない出来映えを自慢したかったとする説(草間和楽)がある[6]

天保9年(1838年)の日付の譲り状が箱に貼付されており、比喜多権兵衛により高原治兵衛・井上源三郎を経て、姫路藩藩主・酒井忠学の手に渡り、以後近年まで酒井家に伝わった[4][2]1952年昭和27年)11月22日付けで国宝に指定[4]。和物の茶碗で国宝の指定を受けたものは他に志野茶碗 銘卯花墻があるのみである[2]。現在は長野県諏訪市にあるサンリツ服部美術館に収蔵されている[4]。同館では本作を白楽茶碗(しろらくちゃわん)とも称し[2]、常設展示はせず[7]、企画展にて展示を行っている[8]

脚注

  1. ^ a b 画像は『大正名器鑑』(国立国会図書館蔵)より。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『サンリツ服部美術館所蔵 名品聚』10 - 12ページ。
  3. ^ a b 本作の寸法について、「国指定文化財等データベース」には「高8.5 口径11.5 (㎝)」(引用)とある(2014年5月4日閲覧)。
  4. ^ a b c d e f 国指定文化財等データベース」より(2014年5月4日閲覧)。
  5. ^ 『原色陶器大辞典』487ページ。
  6. ^ a b c d e 『原色陶器大辞典』843ページ。
  7. ^ サンリツ服部美術館「収蔵品のご紹介」より(2014年5月4日閲覧)。
  8. ^ サンリツ服部美術館「2014年度の企画展スケジュール」も参照。

参考文献

関連項目

外部リンク


楽焼白片身変茶碗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 03:14 UTC 版)

サンリツ服部美術館」の記事における「楽焼白片身変茶碗」の解説

「楽焼白片身変茶碗 銘不二山 光悦作」として国宝指定されている。 内箱表に「不二山 大虚(印)」と本阿弥光悦自身書付けているが、伝世光悦茶碗の中光悦共箱といわれるのはこれ一つである。 光悦茶碗第一名作称され桃山時代以来に焼造された茶の湯茶碗の中でも最も品格の高い作振り茶碗といわれている。 「不二山」の銘は、いうまでもなく白雪を頂く富士の山連想したのと、窯中で偶発した片身替の出来が、二つ出来ぬ不二茶碗であるということから、光悦自身銘して書付けたと思われる。 また光悦の娘の振袖残片作った小さな袋に入れ娘が婿家先に持参して行ったものと伝えられ俗に振袖茶碗とも呼ばれている。 伝来判然としないが、天保頃に比喜多権兵衛所持し、後に姫路酒井雅楽頭忠学のとなって同家伝来した前述共箱と袖裂は国宝の附(つけたり指定となっている。

※この「楽焼白片身変茶碗」の解説は、「サンリツ服部美術館」の解説の一部です。
「楽焼白片身変茶碗」を含む「サンリツ服部美術館」の記事については、「サンリツ服部美術館」の概要を参照ください。

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