楽理分野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:36 UTC 版)
「クラウディオス・プトレマイオス」の記事における「楽理分野」の解説
音楽については、音程を二つの音の数比で表すピュタゴラス派の方法論を批判的に継承した。定性的な方法を示した古典期のアリストクセノスの『ハルモニア原論』を新ピュタゴラス派(ピュタゴラス派の伝統は紀元前4世紀の末に一度途切れている)の立場から痛烈に批判し、独自の見解を提起したハルモニア論(全三巻)を著した。 『ハルモニア論』第1巻冒頭では、ハルモニアの判別者について述べている。判別者は質料としての聴覚と形相としての理性の二者であるとして、聴覚と理性によりハルモニアが調和であることが判別可能となる。その上で調和音程をどのように定めるかというピュタゴラス以後、古代ギリシア世界で考えられてきた問題を論じる。ピュタゴラス及びその教団は、万物の根源は数であると考え、特に総和が10となる1,2,3,4の4つの数(テトラクテュス(英語版))を神聖視し、楽音の音律もこのテトラクテュスに基づく数比により設定した(ピュタゴラス音律)。これに対し、古代ギリシア思想の古典期に登場したアリストクセノスは、最初はピュタゴラス派の教説に学んだものの飽き足らず、アリストテレスの学説を学んだ人物であるが、完全四度の音程の間に設定する2つの楽音を定めるにあたって、完全四度の音程が完全五度と完全四度の音程の差を単位音程(トノス)として、単位音程二個半であるとした。つまり数比を徹底的に用いる方法によらず、聴覚に従った定性的な方法を示した。プトレマイオスの時代から見て500年前の説であるが、『ハルモニア論』によると徐々に紀元2世紀頃のアレクサンドリアの若い世代に広まっていたとされる。これに対してプトレマイオスは、アルキュタスやディデュモス(英語版)ら、ピュタゴラス派の先人の説を批判的に継承しつつ数比を用いた音律を示し、これが聴覚にも調和として判別されることを説いてアリストクセノス派に反論した。 『ハルモニア論』第2巻では主に第1巻の論証で得られた音律に基づく旋法について述べられている。続く第3巻後半で、プトレマイオスは、死すべきものども、その中でもとりわけ人間が判別するハルモニアを論じることから離れて、完全なる調和の世界である天上の世界で奏でられている調和の音楽(宇宙の諧調(英語版))を解き明かそうとする。しかしながら、現伝する筆写本は中途半端なところで切れており、これについてはテキストが散佚したと見る説と、未完成であると見る説とがある。また、そもそも第3巻後半部自体が偽作であるという説もある。当該箇所は3、4世紀には早くも一度散佚しており、14世紀にビザンチンの学者ニケフォロス・グレゴラス(英語版)が再発見して補填したとされる。真作説をとる場合、この部分の筆致の確信に満ちた様子から、『ハルモニア論』が『アルマゲスト』や『テトラビブロス』を書き上げた後の最晩年の作であるという見方もある。 『ハルモニア論』は、執筆後1500年近く経ってヨハネス・ケプラーが読んだことによって、思いがけない形で科学史に影響を及ぼすこととなった。ケプラーはプトレマイオスが宇宙の諧調(英語版)を解き明かしていると考えられる第3巻の散佚した章の復元を試みるうちに、数々の重要な発見へと至る道を見つけた。
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