蓋の山形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 14:17 UTC 版)
そもそも硯箱の蓋は古くより平らに作るのが普通であり、硯箱の平らな蓋を裏返して料理や菓子を盛ったり、色紙を載せて差し出したりと、平安時代から「お盆」代わりに使われたほどだった。本作品のように、硯箱の蓋を山なりの姿に作るのは光悦ならではの常識を覆す発想で、当時の人々の目にはかなり型破りに映ったはずであり、明治初年より光悦蒔絵を特徴づけるポイントの一つと認識されてきている。 光悦によるこうした山形の蓋の作品は、蓋甲をゆるやかに膨らませた「橘松竹亀蒔絵硯箱」(1597年)を嚆矢とし、その後「忍蒔絵硯箱」「樵夫蒔絵硯箱」と膨らみ方はエスカレートしてゆき、本作品で最高潮に達した。 この山形の原像は、光悦が1615年(元和元年)に徳川家康から拝領し一家や町衆・工人55戸を引き連れて移り住み一種の芸術村を形成した鷹峯の山並みからとも、「樵夫蒔絵硯箱」の樵夫が祇園会の山車に現われる黒主の寓意と見られることを考え合わせると祇園会の山車の風流造り物に見られる「照り起り」からとも想像されている。立岩 (2000) は本作品の山形と鷹峯の山並み、鷹峯の山並みと照り起りの屋根の、著しい形状の相似を指摘し、こうした「起り」は内から外へ押し上げる力を象徴しているとした。 鷹峯の山並み 当時の祇園会の山車 照り起りの屋根の例
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