佐野の悲劇的な「挫折」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 06:22 UTC 版)
「佐野友三郎」の記事における「佐野の悲劇的な「挫折」」の解説
大正9年(1920年)、佐野の著書である『米国図書館事情』が文部省より刊行された。ところが、この頃、山口図書館館長である佐野と県の内務部長との確執が深刻となっていた。武田の知事退任後も、佐野は館長として図書館の充実に尽したが、元々アメリカの図書館学の影響を受けて発達してきた近代図書館そのもののあり方が、保守派から反国家的との批判がされるようになる。特に武田の退任後は図書館の予算は2,000円以内に制限され、県議たちからは図書館そのものに対して中傷が浴びせられていた。そんな中で5月13日の朝9時頃、佐野が自宅にて自殺しているのが発見された。遺書が田中稲城や岡田文次らに充てられていたものの、動機は不明である。
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