児童図書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 13:47 UTC 版)
コワード・マッキャン(英語版)の児童図書部門で責任者であるアーニスティン・エヴァンス(英語版)はガアグの作品に興味を抱いていた。日々発行される児童図書に不満を示し、より現実的であまり理想化されていない本を製作するために新たな作家や芸術家を探していた。そして、ガアグに古い作品の改訂版のイラストを依頼したが、ガアグは「I am simply not interested in illustration as such... It has to be a story that takes hold of me way down deep(→絵を描くだけの仕事には興味がなく、深く掘り下げた物語を自身で書きたい。)」と断った。そこでエヴァンスはガアグが文筆と挿絵を手がけた本を出すことを容認し1928年に「100まんびきのねこ」を出版、絵本で権威のある賞であるニューベリー賞を受賞することになる。 1935年、原始的なフェミニズムに基づく「すんだことは すんだこと」(Gone is Gone; or, the Story of a Man Who Wanted to Do Housework)を出版した。この時の一部の教育者はお伽話を嫌い、より現実的な内容の児童文学を好んでいたが、ガアグは「I know I should feel bitterly cheated if, as a child, I had been deprived of all fairy lore...(→私がもし子供として妖精のお話が全て奪われたら激しく騙されたと感じることを知っている。)」と反論している。これらのお話を活用するようになり、1936年に「ヘンゼルとグレーテル」(Tales from Grimm)を出版、2年後にディズニー映画版の「つまらなさ、不毛さ、感傷的さ」に対抗する形で「しらゆきひめと七人の小人たち」(Snow White and the Seven Dwarfs)を翻訳し挿絵を描いた。 『ホーン・ブック・マガジン』の1939年3月号にはエッセイである「I Like Fairy Tales」が掲載、1942年には「Nothing at All」がコールデコット賞を受賞した。死後の1947年、マーゴット・タイムズがガアグによって翻訳された4つのお伽話と話ごとに新たな挿絵を掲載した「More Tales from Grimm」が出版された。
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