児童図書館としての開館(1951-1954)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 07:00 UTC 版)
「広島県立図書館」の記事における「児童図書館としての開館(1951-1954)」の解説
多くの都道府県では第二次世界大戦前に都道府県立図書館が設置されたが、広島県では県立図書館を設立する機運が醸成されることなく終戦を迎えた。1950年(昭和25年)4月の図書館法公布と前後して、地元紙の中国新聞は県立図書館の設置を訴える社説を2度打った。これが功を奏したのか、県民の間で県立図書館を求める声が高まっていった。一方、同年3月から6月に兵庫県の西宮球場ではアメリカ博覧会が開かれており、広島図書株式会社は児童図書館をテーマとした出展を行い、児童用に特注した書架・机・椅子を並べ、本物の図書館を会場内に作り上げた。会期終了後、同社は博覧会で使った書架など一式を県に寄付することを申し出、県では県立図書館設置の機運が高まっていることと広島CIE図書館のカードウェル館長の助言を受けて、申し出を受けることに決定した。 こうして広島市下中町1番地の広島CIE図書館の敷地内に、1951年(昭和26年)11月3日に広島県立児童図書館が開館した。木造モルタル平屋建て72坪(≒238 m2)の建物で、建築費は180万円であった。室内は図書閲覧室、書庫、幻灯室、ホール、事務室からなり、名称通り児童中心の蔵書・運営を行ったため、利用者は小中学生が大半だった。原爆投下で焦土と化した広島に現れたCIE図書館と児童図書館は、文化復興の象徴として受容され、阿部知二ら文化人も来館し、当時まだ珍しかったクリスマス会をCIE図書館の協力を得て開催するなど新しい活動を展開した。 児童図書館として運営する一方で、広島県議会文教委員会では1951年(昭和26年)7月に県立図書館設置を決議し、多額の資金が必要であるから年次計画で進めるように要望していた。これを受けて1953年(昭和28年)、初めて図書館建設に向けた調査研究費38万円が予算計上され、同年11月に貸出文庫を企画し、12月に安芸郡、翌1954年(昭和29年)1月に安佐郡・佐伯郡西部の小学校を本を積んで小型自動車で巡回するという活動を行った。まずは広島市近郊から移動図書館として「県民の図書館」となるべく活動実績を作り、本館建設を後から進めるという作戦であった。
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