児童図書館員として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/01 01:10 UTC 版)
「アイリーン・コルウェル」の記事における「児童図書館員として」の解説
図書館学校を卒業後、1924年からランカシャー州のボルトン図書館で働き始める。1年半後に希望していた児童室の担当になり、子どもへのサービスに取り組んだが、館長からの評価は高くなく、また薄給であった。ロンドン郊外のヘンドンで児童図書館準備のための求人があったので、コルウェルはこの職に応募し、1926年10月からヘンドンでパートタイムの司書として働き始めた。 ヘンドンの児童図書館は学校に付随しており、学校図書館としてのサービスも推進することができた。学校図書館の運営・管理を公共図書館が行い、公共図書館には初等学校・中等学校をそれぞれ受け持つ担当図書館員がいて、学習活動用の資料を貸出したり、図書リストを作成したり、専門家としてのアドバイスも行っていた。1928年にヘンドン図書館が建設され、コルウェルは常勤の児童図書館員となった。以降、40年間、コルウェルはヘンドン図書館の児童図書館員としてサービスを発展させ、退職間際には市内の図書館の児童室と50の学校図書館を統括するまでになった。 コルウェルは子どもへのサービスの黎明期に、今日では日本でも一般的になった読書週間を初めて企画し、多彩なプログラムを展開した。読書週間では、作家の講演会やおはなし会、本の展示、ブックリストの発行などを行った。コルウェルは子どもの本の選択や質の向上を重要視し、児童書の書評誌の編集にも携わった。また、コルウェルはストーリーテリング(お話)を子どもへのサービスに取り入れた。図書館内だけでなく、英国放送協会のラジオ番組でストーリーテリングの放送をした。 コルウェルは語り手として昔話や創作などたくさんのお話を語ったが、エリナー・ファージョンの『エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする』を語ったエピソードがある。コルウェルはエリナー・ファージョンと個人的な交流もあり、ファージョンについての作家研究書は友人としての立場から書かれている。1993年に発足したイギリスのストーリーテリング協会は、コルウェルを顧問に迎えた。 1937年、コルウェルは児童図書館協会の設立に尽力し、初代会長になった。児童図書館協会はのちに英国図書館協会(現在は図書館・情報専門家協会:CILIP)の青少年図書館グループとなる。この協会で、コルウェルはイギリスの児童文学賞であるカーネギー賞の創設にも尽力した。1955年にはイラストレーションの賞であるケイト・グリーナウェイ賞が設立され、イギリスの児童書の質向上に一役を買っている。 コルウェルは国際児童図書評議会(IBBY)の設立に協力し、議長も務めた。また、1957年には国際アンデルセン賞の選考委員にもなった。 1976年、コルウェルはヘンドン図書館を退職した。ラフバラ大学で図書館学を教えた。1974年にはマンチェスター工科大学の名誉研究員になった。
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