天然痘 天然痘の概要

天然痘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 06:44 UTC 版)

天然痘

臨床像

天然痘ウイルス

天然痘ウイルス (Variola virus) は、ポックスウイルス科オルソポックスウイルス属に属するDNAウイルスである。直径200ナノメートルほどで、数あるウイルス中でも最も大型の部類に入る。天然痘の原型となるウイルスはラクダから人類へと入り、そこで変化を起こして天然痘ウイルスが成立した可能性が高いと考えられている[5]ヒトのみに感染、発病させるが、膿疱内容をウサギ角膜に移植するとパッシェン小体と呼ばれる封入体が形成される。これは天然痘ウイルス本体と考えられる。また、牛痘サル痘ラクダ痘といった近縁種の病気が存在する。サル痘はしばしば重篤化して人の命を奪うことがあるが、牛痘やラクダ痘などほかの近縁種の病気は人類に感染しても軽い発熱や水疱が出る程度で、非常に軽い症状で済むうえ、できた免疫は天然痘と共通する。この性質を利用して、牛痘をあらかじめ人類に接種する種痘法が確立され、天然痘の撲滅が達成されることとなった。

天然痘は独特の症状と経過をたどり、古い時代の文献からもある程度その存在を確認し得る。

大まかな症状と経過は次のとおりである。

  • 飛沫感染接触感染により感染し、7 - 16日の潜伏期間を経て発症する。
  • 40℃前後の高熱頭痛腰痛などの初期症状がある。
  • 発熱後3 - 4日目に一旦解熱して以降、頭部、顔面を中心に皮膚色と同じまたはやや白色の豆粒状の丘疹が生じ、全身に広がっていく。
  • 7 - 9日目に再度40℃以上の高熱になる。これは発疹が化膿して膿疱となる事によるが、天然痘による病変は体表面だけでなく、呼吸器消化器などの内臓にも同じように現われ、それによる肺の損傷に伴って呼吸困難等を併発、重篤な呼吸不全によって、最悪の場合は死に至る。
  • 2 - 3週目には膿疱は瘢痕を残して治癒に向かう。
  • 治癒後は免疫抗体ができるため、二度とかかることはないとされる。

天然痘ウイルスの感染力は非常に強く、患者のかさぶたが落下したものでも1年以上も感染させる力を持続する。天然痘の予防は種痘が唯一の方法であるが、種痘の有効期間は5年から10年程度である。何度も種痘を受けた者が天然痘に罹患した場合、仮痘(仮性天然痘)と言って、症状がごく軽く瘢痕も残らないものになるが、その場合でも他者に感染させることはある。

前述のとおり、「種痘」というワクチン接種による予防が極めて有効。感染後でも3日以内であればワクチン接種は、発症あるいは重症化の予防に有効であるとされている[6]。また化学療法を中心とする対症治療が確立されている。

歴史

前史

天然痘の正確な起源は不明であるが、最も古い天然痘の記録は紀元前1350年のヒッタイトエジプトの戦争の頃であり、また天然痘で死亡したと確認されている最古の例は紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世である。彼のミイラには天然痘の痘痕が認められた[7]

イスラム

イスラームの聖典『クルアーン』の「象の章」では、570年頃にエチオピア軍がメッカを襲撃する様子が記述されている。エチオピア軍はメッカの守備隊より軍事力で勝っていたが、アッラーフが鳥の群れ(アバビール)を遣わし、エチオピア兵の頭上に石を落とすと当たった者には疱瘡ができて疫病が蔓延し、撤退したという記述がある。これはエチオピア軍の間で天然痘が蔓延したことが神の奇跡として描かれているという説がある[8]

アル・ラーズィーが著書『天然痘と麻疹の書』(Kitab fi al-judari wa-al-hasbah) において麻疹と天然痘の違いについて言明した[9]

ヨーロッパ

古代ギリシアにおける紀元前430年の「アテナイの疫病」は「アテナイのペスト」とも呼ばれたが、記録に残された症状から天然痘であったと考えられる(他に、麻疹発疹チフス、あるいはこれらの同時流行とする説もある)。

165年から15年間にわたりローマ帝国を襲った「アントニヌスの疫病(アントニヌスのペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡した。

その後、12世紀十字軍の遠征によって持ち込まれて以来、流行を繰り返しながら次第に定着し、ほとんどの人が罹患するようになる。

ルネサンス期以降に肖像画が盛んに描かれるようになったが、天然痘の瘢痕を描かないのは暗黙の了解事項であった。

マリー・アントワネットの配偶者として知られているルイ16世の祖父フランスブルボン朝ルイ15世1774年64歳の時に天然痘で亡くなった。

アメリカ

天然痘の被害を伝えるアステカの絵(1585年)。パイプによる治療を試みている。

コロンブスの上陸以降、白人植民とともに天然痘もアメリカ州に侵入し、免疫のなかったアメリカ州の先住民族に激甚な被害をもたらした。白人だけでなく、奴隷としてアフリカ大陸から移入された黒人も感染源となった。「コロンブス交換」も参照。

旧大陸では久しく流行状態が続いており、住民にある程度抵抗力ができて、症状や死亡率は軽減していたが、牛馬の家畜を持たなかったアメリカ・インディアンは天然痘の免疫を持たなかったため全く抵抗力がなく、所によっては死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあった。他にも麻疹や流行性耳下腺炎おたふく風邪)などがヨーロッパからアメリカに入ったが、ことに天然痘の被害は最大のものであり、白人の北アメリカ大陸征服を助ける結果となった。新大陸の二大帝国であったアステカインカ帝国の滅亡の大きな原因の一つは天然痘であった。アステカに天然痘が持ち込まれたのは1520年頃、エルナン・コルテスの侵攻軍によってであると考えられているが、天然痘は瞬く間に大流行を起こし、モクテスマ2世に代わって即位した新王クィトラワクを病死させるなどしてアステカの滅亡の原因の一つとなった。さらにスペインの占領後も天然痘は猛威を振るい、圧政や強制労働、麻疹やチフスなど他の疫病も相まって、征服前の人口が推定2500万人だったのに対し、16世紀末の人口はおよそ100万人にまで減少し、中央アメリカの先住民社会は壊滅的な打撃を受けた[10]。また、インカ帝国においては侵攻を受ける前に、既にスペイン人の到達していたカリブ海沿岸地域から天然痘が侵入し、現在のコロンビア南部において1527年頃に大流行を起こした。この大流行によって当時のインカ皇帝であるワイナ・カパックと皇太子であるニナン・クヨチがともに死去し、空位となった王位をめぐってワスカルアタワルパの二人の王子が帝国を二分する内戦を起こした。この内戦はアタワルパの勝利に終わったものの、インカの国力は疲弊し、スペインのフランシスコ・ピサロによる征服を許す結果となった。さらにインカ帝国においても征服後は同様に天然痘をはじめとする疫病が大流行し、先住民人口の激減を招いた。

北アメリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もあると言われている。フレンチ・インディアン戦争ポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとしたとされ、19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。モンタナ州ブラックフット族などは、部族の公式ウェブサイトでこの歴史を伝えている。ただし、肝心の英国側にはそのような作戦を行った証拠となる記録は無い。

中国大陸・朝鮮半島

中国大陸では、南北朝時代495年北魏と交戦して流入し、流行したとするのが最初の記録である。頭や顔に発疹ができて全身に広がり、多くの者が死亡し、生き残った者は瘢痕を残すというもので、明らかに天然痘である。その後短期間に中国大陸全土で流行し、6世紀前半には朝鮮半島でも流行を見た。

日本

天然痘によるあばた。塩田三郎。1864年撮影

渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたと考えられている。折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来のをないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。『日本書紀』には「かさでてみまかる者――身焼かれ、打たれ、くだかるるが如し」とあり、を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。585年敏達天皇の死去も、天然痘の可能性が指摘されている。

735年から738年にかけては、西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した(天平の疫病大流行)。四兄弟以外の高位貴族も相次いで死去した。政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った。

この時の天然痘について『続古事談』の記述から、当時新羅に派遣されていた遣新羅使の往来などによって、同国から流入したとするのが通説であるが、遣新羅使の新羅到着前に最初の死亡者が出ていることから、反対に日本から新羅に流入した可能性も指摘されている[11]奈良大仏造営のきっかけの一つが、この天然痘流行である。

「独眼竜」の異名で知られる奥州の戦国大名伊達政宗が幼少期に右目を失明したのも、天然痘によるものであった。

16世紀キリスト教布教のため来日した、カトリック教会イエズス会宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパに比して日本では全盲者が多いことを指摘しているが、後天的な失明者の大部分は、天然痘によるものと考えられる[12]

ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。儒学者安井息軒、「米百俵」のエピソードで知られる小林虎三郎も天然痘による片目失明者であった。上田秋成は両手の一部の指が大きくならず、結果的に小指より短くなるという障害を負った。天皇も例外ではなく、東山天皇は天然痘によって死去している[注 2]他、孝明天皇の死因も天然痘との記録が残る[注 3]

源実朝豊臣秀頼吉田松陰夏目漱石は顔にあばたを残した。

疱瘡神

さるぼぼ。色が赤いのはもともとは天然痘除けのためである

天然痘を擬神化した疱瘡神悪神の一つとして恐れられ、日本各地には疱瘡神除けの神事や行事が今も数多く残っている。疱瘡神は色を苦手とすると考えられたため、赤いものや犬の張子、猿の面などをお守りとして備える地域も存在した。福島県会津地方の郷土玩具赤べこ」や岐阜県飛騨地方の「さるぼぼ」など、子供向けの郷土玩具に赤いものが多いのは天然痘除けを目的としていることが多い[13]吉村昭の時代小説『破船』には、天然痘患者が赤い衣装を身にまとう描写がある。岐阜市にある延算寺(岩井山かさ神)や神奈川県上行寺、日本各地に存在する瘡守稲荷神社などのように、疱瘡除けに霊験があると考えられた神社仏閣は各地に点在しており、現代でも信仰を集めている。

江戸時代にあっては疱瘡神として源為朝の肖像が描かれ、「疱瘡絵」(赤絵)と呼ばれた。これは、八丈島に疱瘡(天然痘)が流行しなかったのは、この島に流された為朝が疱瘡神を押さえ込む力があったためと信じられていたためであった[14]

アイヌへの種痘による免疫付与

北海道には江戸時代、本州からの船乗りや商人たちの往来にともない、肺結核梅毒などとともに伝播した。伝染病に対する抵抗力の無かったアイヌは次々にこれらの病に感染したが、そのなかでも特に恐れられたのが天然痘だった。アイヌは、水玉模様の着物を着た疱瘡神「パヨカカムイ(パコロカムイ)」が村々を廻ることにより天然痘が振りまかれると信じ、患者の発生が伝えられるや、村の入り口に臭いの強いギョウジャニンニクやとげのあるタラノキの枝を魔除けとしてかかげて病魔の退散を願った。そして自身は顔にを塗って変装し、数里も離れた神聖とされる山に逃げ込んで感染の終息を待ち続けた。江戸期を通じて天然痘の流行が繰り返され、アイヌ人口が減少する一因となった。ミントゥチはこれらに関連する伝承とされる。幕末1857年にアイヌを対象に大規模な種痘を行い、免疫を獲得させたため[15][16]、流行にようやく歯止めがかかった(後述)。


注釈

  1. ^ それまで流行していなかった地域においてはさらに致死率が跳ね上がるため、時に民族が滅ぶ原因となった事すらある。
  2. ^ 東山天皇寵愛の典侍中御門天皇の生母であった櫛笥賀子(没後、新崇賢門院の女院号を追贈)も天然痘によって天皇の死去から11日後に逝去している。
  3. ^ これについては、孝明天皇の病状の記録が天然痘とするには不審な点があるとして、毒殺説が唱えられていたが、原口清が従来説を否定し、近年では孝明天皇の死因が天然痘である事が通説となっている。
  4. ^ インドには天然痘流行の時、女神シータラーが祀られ、天然痘治癒や天然痘予防を祈願する信仰があったほどである。
  5. ^ 2002年廃止。

出典

  1. ^ a b c 国立感染症研究所感染症情報センター 岡部信彦 (2001年). “天然痘(痘そう)とは”. niid.go.jp. NIID 国立感染症研究所. 2022年10月15日閲覧。(IDWR 2001年第40号掲載)
  2. ^ 浜部貴司 (2020年5月14日). “大坂救った発信力 洪庵、感染症と闘った不屈の医師”. 日経新聞. 日本経済新聞社. 2022年1月26日閲覧。
  3. ^ 山内 2015, p. 11.
  4. ^ 国立感染症研究所感染症情報センター 岡部信彦 (2001年10月). “IDWR: 感染症の話 天然痘”. idsc.nih.go.jp. 国立感染症研究所. 2016年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月21日閲覧。(2001年第40週(10月1日〜7日)掲載)
  5. ^ 加藤 2013, p. 29.
  6. ^ Vaccine Overview” (PDF). Smallpox Fact Sheet. 2008年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月2日閲覧。
  7. ^ 天然痘の歴史[1]
  8. ^ 小杉泰『『クルアーン』語りかけるイスラーム』岩波書店 2009年 ISBN 978-4-00-028297-0 p118
  9. ^ Abū Bakr Muḥammad ibn Zakarīyā Rāzī (1848) (英語). A Treatise on the Small-pox and Measles. ウィリアム・アレクサンダー・グリーンヒル英語版 英訳. Printed for the Sydenham Society [by C and J. Adlrd]. p. 252 , A Treatise on the small-pox and measles - Google ブックス
  10. ^ 『物語メキシコの歴史』p40 中公新書 大垣貴志郎 2008年2月25日発行
  11. ^ 栄原永遠男「遣新羅使と疫瘡」 笠原編『日本古代の王権と社会』塙書房、2010年、ISBN 4827312370
  12. ^ 加藤茂孝人類と感染症との戦い -「得体の知れないものへの怯え」から知れて安心」へ- 第2回「天然痘の根絶-人類初の勝利」-ラムセス5世からアリ・マオ・マーランまで」(PDF)『モダンメディア』第55巻第11号、栄研化学、2009年、7-18頁、2022年10月16日閲覧 
  13. ^ 加藤 2013, p. 16.
  14. ^ 「流行病の恐怖 - 麻疹・疱瘡・コロリ退治の錦絵」 『ビジュアル・ワイド 江戸時代館』竹内誠 監修、小学館、2002年11月、330-331頁。ISBN 978-4-0962-3021-3 
  15. ^ 松木明知新出の平沢屏山のアイヌ種痘図に関する一考察 : オムスク造形美術館所蔵の「種痘図」を巡って」(PDF)『日本醫史學雜誌』第56巻第3号、日本医史学会、2010年9月、427-436頁、ISSN 05493323NAID 10026700614 
  16. ^ 諸澄邦彦 医療史跡 五郎治と久蔵 Isotope News 2014 年7 月号 No.723
  17. ^ 天然痘の予防[2]
  18. ^ 『ジェンナーは本当に自分の子どもで実験したのか』サイエンスネット 第11号(2001年5月) pp.8-9 森田保久 数研出版
  19. ^ 梶田 2003, p. 221.
  20. ^ Damaso, C.: Revisiting Jenner’s mysteries, the role of the Beaugency lumph in the evolutionary path of ancient smallpox vaccines. Lancet Infect. Dis., August 18, 2017.
  21. ^ 山内 2015, pp. 117–122.
  22. ^ キャロル・バラード 『ワクチンと薬の発見 牛痘から抗生物質へ』西川美樹 訳、文渓堂〈人がつなげる科学の歴史〉、2010年3月、10-13頁。ISBN 978-4-89423-660-8 
  23. ^ Harry Wain, A History of Preventive Medicine, Springfield, Illinois, 1970, pp.177, 185, 195.
  24. ^ 山内 2015, pp. 130–132.
  25. ^ 梶田 2003, p. 297.
  26. ^ a b 梶田 2003, p. 301.
  27. ^ 山内 2015, pp. 164–165.
  28. ^ 130年前のワクチン接種証明書を調べてみたら…”. NHKニュース. 日本放送協会 (2021年10月11日). 2021年10月16日閲覧。
  29. ^ Fenner, Frank (1988). “Development of the Global Smallpox Eradication Programme”. Smallpox and Its Eradication (History of International Public Health, No. 6). Geneva: World Health Organization. pp. 366–418. ISBN 92-4-156110-6. http://whqlibdoc.who.int/smallpox/9241561106_chp9.pdf 
  30. ^ a b 加藤 2013, p. 24.
  31. ^ 『世界地理大百科事典1 国際連合』p330 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
  32. ^ 加藤 2013, p. 25.
  33. ^ 死亡二、隔離二百人 西独に天然痘侵入『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月2日朝刊 12版 15面
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  42. ^ 天然痘のリスク(1) | 一般社団法人 予防衛生協会 国立感染症研究所
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  45. ^ ケン・アリベック『バイオハザード』二見書房 1999年
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  47. ^ 生物兵器テロ想定、米韓が図上演習 5月、北朝鮮意識か朝日新聞』2011年7月7日
  48. ^ 北朝鮮の「生物兵器」は、どれほどの脅威なのか ITMediaビジネスオンライン、2017年10月25日
  49. ^ 在韓米軍、炭疽菌と天然痘の予防接種東亜日報』2004年7月1日
  50. ^ 平成29年版防衛白書。 韓国の『2016国防白書』は、「(北朝鮮は)1980年代から化学兵器を生産し始め、約2,500 - 5,000トンの様々な化学兵器を貯蔵していると推定される。また、炭疽菌(たんそきん)、天然痘(てんねんとう)、ペストなど様々な種類の生物兵器を独自に培養し、生産しうる能力を保有していると推定される」と指摘している。
  51. ^ U.S. government stockpiles new, safer smallpox vaccine USA Today、2010年5月25日
  52. ^ a b ゲノム科学が明らかにしたジェンナーの天然痘ワクチンの由来 2017年11月7日、一般社団法人 予防衛生協会
  53. ^ Kupferschmidt, Kai. "How Canadian researchers reconstituted an extinct poxvirus for $100,000 using mail-order DNA." Science July 6 (2017).
  54. ^ 天然痘近縁種の合成発表に疑問の声 悪用への懸念も毎日新聞』2018年2月6日
  55. ^ a b 「バイオテロから国民を守る」 初の天然痘治療薬、米当局が認可 NewSphere、2018年7月18日
  56. ^ 天然痘 - バイオテロ対応ホームページ
  57. ^ CBRNテロ対策の各論
  58. ^ 感染症法に基づく特定病原体等の管理規制について|厚生労働省
  59. ^ 病原体等の名称と疾患名称の対照表
  60. ^ 病原体等の適正管理について
  61. ^ 天然痘:類似ウイルス、今もアフリカ毒ヘビに寄生の可能性”. 毎日新聞. 毎日新聞社. 2007年7月10日閲覧。[リンク切れ]
  62. ^ 天然痘に似た症状の「サル痘」が欧米などで拡大 厚労省、国内流入を警戒


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