天然痘
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制圧の記録
種痘
天然痘が強い免疫性を持つことは、近代医学の成立以前から経験的に古くから知られ、紀元前1000年頃には、インドで人痘法が実践され[17]、天然痘患者の膿を健康人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法が行なわれていた。この場合、膿を乾燥させてある程度弱毒化させたのちに行われることが普通であった。この人痘法は18世紀前半にイギリス、次いでアメリカ合衆国にももたらされ、天然痘の予防に大いに役だった。しかし、軽度とはいえ実際に天然痘に感染させるため、時には治らずに命を落とす例もあった。統計では、予防接種を受けた者の内、2パーセントほどが死亡しており、安全性に問題があった。
18世紀半ば以降、ウシの病気である牛痘(人間も罹患するが、瘢痕も残らず軽度で済む)にかかった者は天然痘に罹患しないことがわかってきた。その事実に注目し、研究したエドワード・ジェンナー (Edward Jenner) が1796年、8歳の少年に牛痘の膿を接種させた後に天然痘の膿を接種させ、発病しないことを突き止めた(なお、ジェンナーが「我が子に接種」して効果を実証したとする逸話があるが、実際にはジェンナーの使用人の子に接種した[18])。これによって人類初のワクチンである天然痘ワクチンが開発され、この牛痘接種(種痘)によって天然痘を予防する道が開かれた。この方法をジェンナーは論文にして王立協会に送付したものの無視されたため、1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』を刊行し、種痘法を広く公表した[19]。医学界の一部からの反対は根強く残ったものの、牛痘の接種はそれまでの天然痘の直接接種に比べはるかに安全性が高いうえ効果も劣るものではなかったため、この方法はイギリスのみならずヨーロッパに瞬く間に広まり、以後この方法が主流となった。その後1930年代以降の研究で種痘に用いられているウイルスはワクチニアウイルスというウイルスであり天然痘ウイルスとも牛痘ウイルスとも違うことが判明しワクチニアウイルスの由来は一体何か様々な研究がなされてきた。この中で牛痘ウイルスが継代されていく間に変異しワクチニアウイルスとなったと考えられていた時期もあったが、2013年モンゴルで採取された馬痘ウイルスのゲノム解析をした結果、種痘に用いられているワクチニアウイルスと馬痘ウイルスが99.7%同一のゲノムであることが判明しワクチニアウイルスとは馬痘ウイルスもしくはその近縁のウイルスである事がわかった。つまりジェンナーの種痘は牛痘ウイルスではなく馬痘ウイルスがたまたま牛に感染したものを種痘として利用したものであり種痘には一度も牛痘ウイルスは使用されていなかったことになる[20]。
この伝播は急速なもので、ジェンナーの論文は発行翌年の1799年にはウィーンでラテン語に、ハノーファーでドイツ語に翻訳され、翌1800年にはフランス語とイタリア語、1801年にはオランダ語とスペイン語、1803年にはポルトガル語に翻訳された。痘苗もほぼ同時に各国に到達し、1800年にはフランスやドイツ諸邦、スペイン、そしてアメリカで、1801年にはロシア、オランダ、デンマーク、スウェーデンで種痘が開始された[21]。アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のトマス・ジェファソンがいる[22]。1805年にはナポレオンが、全軍に種痘を命じた[23]。さらにスペインは1802年に遠隔地のスペイン領に痘苗をもたらす航海計画を実施し、これによってラテンアメリカやフィリピンなど多くの地域に痘苗がもたらされた。安全性が高く確実な予防方法が確立したことで、それ以降は天然痘の流行は徐々に消失していった。また、この種痘の開発はワクチンおよび予防接種という疫病への強力な対抗手段を人類にもたらすきっかけとなった。
普及した種痘であったが、この時期の痘苗は人間の腕から腕へと接種する方式であり、痘苗が絶える危険性や、接種の際に別の伝染病に感染する危険性もあるものだった。これを避けるために、1840年にはナポリで子牛によって痘苗を生産する方式が開発され、1864年にフランスに伝えられたのをきっかけに世界各国へと広まっていったことで、種痘の安全性は大幅に改善された[24]。
日本の医学会では有名な話として日本人医師による種痘成功の記録がある。現在の福岡県にあった秋月藩の藩医である緒方春朔が、ジェンナーの牛痘法成功に遡ること6年前の寛政4年(1792年)に秋月の庄屋・天野甚左衛門の子供たちに人痘種痘法を施し成功させている。福岡県の甘木朝倉医師会病院にはその功績を讃え、緒方春朔と天野甚左衛門、そして子供たちが描かれた種痘シーンの石碑が置かれている。
日本で初めて牛痘法が行われるのは文化7年(1810年)のことで、ロシアに拉致されていた中川五郎治が帰国後に田中正右偉門の娘イクに施したのが最初である。しかし、中川五郎治は牛痘法を秘密にしたために広く普及することはなく、3年後の文化10年(1813年)にロシアから帰還した久蔵が種痘苗を持ち帰り、広島藩主浅野斉賢にその効果を進言しているが、全く信じてもらえなかった。その後、1823年に出島にやってきたシーボルトが牛痘法の知識を伝えたものの、種痘苗が手に入らず知識の伝達にとどまった[25]。
その後、日本で本格的に牛痘法が普及するのは嘉永2年(1849年)に佐賀藩の依頼によって出島のドイツ人医師であるオットー・ゴットリープ・モーニッケがワクチンを輸入し[26]、佐賀藩医の楢林宗建の息子に接種してからである。それまでも何度か種痘苗の輸入は試みられていたが、ヨーロッパから直接輸入を試みていたために輸送途中で種痘苗が効力を失ってしまっていた。しかしモーニッケは既に種痘が普及していて日本からほど近いオランダ領インドネシアのバタヴィアから種痘苗を輸入したため、移入に成功した。いったん種痘苗が移入されると、蘭学医の間で種痘苗が融通され、種痘は瞬く間に広がっていった。大阪・適塾の緒方洪庵は、治療費を取らず牛痘法の実験台になることを患者に頼み、私財を投じて牛痘法の普及活動を行った。1857年にはアイヌの間の天然痘流行を阻止するため、箱館奉行の村垣範正が幕府に種痘の出来る医師の派遣を要請し、桑田立斎らが派遣されて大規模種痘が行われた[27]。1858年には江戸において、伊東玄朴・戸塚静海・大槻俊斎らの手によって神田お玉が池に種痘所が設立された[26]。1876年(明治9年)には天然痘予防規則が施行され、幼児への種痘が義務付けられた。接種を受けた者には証明書が交付され、記録は内務省衛生局に報告された[28]。
天然痘の撲滅
種痘の実施は徐々に世界中に広まっていき、20世紀中盤には先進国においては天然痘を根絶した地域が現れ始め、日本においても1955年に天然痘は根絶された。また、天然痘は感染した場合肉眼で判別可能な症状が現れるため特定しやすく、発病および感染はヒトのみに限られ、さらに優れたワクチンが存在するといった、根絶を可能とする諸条件が揃った病気であった。こうしたことから1958年に世界保健機関(WHO)総会でソ連の生物学者ヴィクトル・ジダーノフの提案[29]によって全会一致で「世界天然痘根絶決議」が可決され、根絶計画が始まった。当初は世界全住民への種痘が方策として考えられていたが、医療組織や行政が整っていない発展途上国や人口密集地においてはこれは困難であり、南アメリカ、南アジアおよびアフリカにおいては流行が続いていた[30]。中でも最も天然痘患者が多かったインドでは、根絶が困難とされた[注 4]。こうしたことから1967年にWHOは方針を転換し、皆種痘に代わって、まず天然痘患者を発見したものに賞金を与え、患者の発見に全力を挙げることとした。天然痘患者が発見されると、その発病1か月前から患者に接触した人々全てを対象として集中的に種痘を行い、ウイルスの伝播・拡散を防いで孤立させる事で天然痘の感染拡大を防ぐ方針をとった[30]。この作戦の期限は10年間とされ、1977年までには天然痘を根絶することが目標とされた。1967年の時点で、世界には天然痘の患者が1000万から1500万人いると推定されていた[31]が、この封じ込め作戦が功を奏してインドで天然痘患者が激減していった。
この方針は他地域でも用いられ、1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年に中央アフリカと南米から根絶された。1975年、バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアとソマリアが流行地域として残った。
1977年のソマリア人青年のアリ・マオ・マーランを最後に自然感染の天然痘患者は報告されておらず[32]、3年を経過した1980年5月8日、WHOは「地球上からの天然痘根絶宣言」を発するに至った。現在自然界において天然痘ウイルス自体が存在しないとされている。天然痘は、人間に感染する感染症で人類が根絶できた唯一の例である。なお、ヒト以外を含む感染症全般ではウシなどに感染する牛疫が2011年に撲滅宣言された。
ヨーロッパでは20世紀後半には、天然痘は過去のものとなっていたが、1970年には西ドイツでパキスタンから帰国した青年を起点として14人以上の患者が発生した例がある[33][34][35]。また、1978年にイギリスのバーミンガム大学メディカル・センターにおいて、微生物学研究室からウイルスが漏洩し、研究室の上階で働いていたジャネット・パーカーが天然痘を罹患して1か月後に死亡した。彼女は天然痘により死亡した世界最後の患者である。
1984年にWHOでなされた合意に基づいて、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)とロシア国立ウイルス学・生物工学研究センター (VECTOR) のレベル4施設以外の研究所が保有していた株は全て廃棄された。この2施設における天然痘株についても破壊することがWHOの会議で一旦決定されたが、実際の作業は数度に渡り延期され、2001年にアメリカが株の廃棄に反対する姿勢を明確にしたことで中止となった。 しかし近年レベル4施設の設備を備えない不適切な場所においても生きた天然痘ウイルスが発見されており、その管理・取り扱いが非常にずさんであることが発覚している[36][37][38]。
千葉県血清研究所[注 5]が開発して1975年に日本国内で製造承認を受けた天然痘ワクチン「LC16m8」株は、1980年のWHOの撲滅宣言後に冷凍保存された。2001年のアメリカ同時多発テロ事件後に備蓄が始まり、自衛隊に投与されている[39]。
WHOによる根絶運動により、1976年以降予防接種が廃止されたが、アメリカでは2011年時点でワクチンを備蓄し続け、またその製造が可能な状態を維持し続けている[40]。
日本国内における発生は1955年の患者を最後に確認されていない[1]。国外で感染した患者は1970年代に数例報告されている[41]。
1991年に天然痘ウイルス・ラヒマ株のDNA塩基配列の解析が完了した[42]。天然痘はかつての伝染病予防法では法定伝染病に指定されていた。2012年現在、感染症法で一類感染症(全数報告対象)に指定されている[1]。
注釈
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