井上靖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 03:21 UTC 版)
家族
- 妻の井上ふみ(1910年9月28日生まれ)は、解剖学者・足立文太郎の長女。靖との間に4人の子供(2男2女)がいる。潮出版社で回想記を数冊刊行。
- 長女の浦城幾世(1936年10月11日生まれ)は、青山学院大学文学部を卒業。一般財団井上靖記念文化財団専務理事。旭川市井上靖記念館相談役[7]。
- 長男の井上修一(1940年12月15日生まれ)は、ドイツ文学者で東京大学文学部卒業、東京大学大学院修士課程修了、一橋大学教授から筑波大学教授を経てプール学院大学学長に就任。日本独文学会やドイツ語学文学振興会の理事長などを歴任。筑波大学名誉教授。世紀末ウィーン文学の研究者。
- 二男の井上卓也(1943年10月29日生まれ)は、慶應義塾大学文学部史学科を卒業後、電通に入社。CMプランナーとして、35年で約500本のCMを作る。一方、30代から小説執筆を始め、『文學界』や『別冊文藝春秋』に中編小説を執筆、その他、雑誌、新聞等にエッセイを多数発表。電通退社後は、大学、カルチャーセンターなどで講師(コミュニケーション論)やプロデューサーを務めた[8]。
- 二女の黒田佳子(1945年5月25日生まれ)は、立教大学文学部日本文学科を卒業。詩人。著書は『父・井上靖の一期一会』。各回想記を刊行している[9]。下記参照
ノーベル文学賞候補
1981年(昭和56年)10月、井上靖がノーベル文学賞の候補との報道が流れ、世田谷の井上宅に報道陣が殺到した。井上は報道陣を自宅の応接間に招き入れ、受賞者が発表されると、集まった一同と残念の杯を上げた。以降、毎年ノーベル文学賞発表の日になると、集まった報道陣を応接間に招き入れて、残念会の酒宴「ノーメル賞」が行われるようになった。
報道は年を追うごとに過熱したが、当の井上は「天から石が降ってきて、世界の何十億人の誰かひとりに当たるというのだから、当たると考えるほうがおかしいし恥ずかしいことだ」として、自らの受賞にはまったく期待も望みもしない態度であった。家族からは、賞を期待しているように思われるから報道陣を家に入れないほうがいい、という意見もあったが、相手にとって嫌なことでも取材せざるを得なかった新聞記者時代の経験から、「仕方ないことだ」として、集まる報道陣に対しては一定の理解を示し、丁寧な応対をつづけた[10]。
当時、井上が実際に候補に挙げられているかどうかは不明であったが、2020年(令和2年)1月、井上が1969年(昭和44年)の候補に実際に挙げられていたことが判明した[11]。
また、それ以前の2012年(平成24年)3月、ノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長が、読売新聞の取材に対して「井上靖が非常に真剣に討論されていた」と回答している[12]。
受賞歴
- 1936年(昭和11年) 『流転』で第1回千葉亀雄賞
- 1950年(昭和25年) 『闘牛』で第22回芥川賞
- 1958年(昭和33年) 『天平の甍』で芸術選奨文部大臣賞
- 1959年(昭和34年) 『氷壁』で日本芸術院賞
- 1960年(昭和35年) 『敦煌』『楼蘭』で毎日芸術賞。『蒼き狼』で文藝春秋読者賞
- 1961年(昭和36年) 『淀どの日記』で第14回野間文芸賞
- 1964年(昭和39年) 『風濤』で第15回読売文学賞
- 1969年(昭和44年) 『おろしや国酔夢譚』で第1回日本文学大賞。ポルトガル・インファンテ・ヘンリッケ勲章
- 1976年(昭和51年) 文化勲章、文化功労者
- 1980年(昭和55年) 菊池寛賞
- 1981年(昭和56年) NHK放送文化賞・仏教文化賞
- 1982年(昭和57年) 『本覚坊遺文』で日本文学大賞
- 1985年(昭和60年) 朝日賞[13]
- 1986年(昭和61年) 北京大学より名誉博士号
- 1989年(平成元年) 『孔子』で第42回野間文芸賞
注釈
出典
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和11年度』京都帝国大学、1936年、468頁。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)5頁
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)38頁
- ^ “偕成社文庫100本ノック37『しろばんば』”. スタッフ通信. 偕成社. 2015年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月3日閲覧。
- ^ 「僕にはもったいない 顔紅潮の井上靖さん」『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月26日夕刊、3版、8面
- ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “浦城いくよ|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2021年10月13日閲覧。
- ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “井上卓也|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2021年10月13日閲覧。
- ^ “黒田佳子 おすすめランキング (4作品) - ブクログ”. booklog.jp. 2021年10月13日閲覧。
- ^ 『グッドバイ、マイ・ゴッドファーザー』文藝春秋、1991年、p108-116頁。
- ^ 井上靖、ノーベル賞候補だった 川端康成受賞翌年の1969年朝日新聞2020年1月21日
- ^ “安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語る”. YOMIURI ONLINE (2012年3月23日). 2012年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月5日閲覧。
- ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年9月2日閲覧。
- ^ “井上靖『星と祭』復刊プロジェクト”. 2021年3月2日閲覧。
- ^ 「「新青年」展(上) 井上靖の探偵小説」『神奈川新聞』、2021年4月19日。2021年4月19日閲覧。オリジナルの2021年4月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『井上靖全集 第1巻』新潮社、1995年4月、616頁。
- ^ 『るるぶ滋賀びわ湖'15〰'16』JTBパブリッシング〈るるぶ情報版〉、2015年、51頁。ISBN 9784533101458。
- ^ “文豪の世界への誘い 〜大作家の作品のドラマ化〜 -NHKアーカイブス”. NHK. 2020年6月13日閲覧。
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