三省堂 大辞林 |
いとう-ひろぶみ 【伊藤博文】
防府歴史用語辞典 |
伊藤博文 (いとうひろぶみ)
日露戦争関連用語集 |
伊藤博文
天保12年(1841年)-明治42年(1909年)
幕末・明治期の政治家で、初代内閣総理大臣を始めとする要職を歴任しました。 明治28年(1895年)の下関講和会議では、日本側の全権として日清講和条約に調印しました。
歴代総理一覧 |
伊藤博文
| 総理在職期間 | ||
| [第1次] | 明18.12.22~明21. 4.30 | 861日 |
| [第2次] | 明25. 8. 8~明29. 8.31 | 1,485日 |
| [第3次] | 明31. 1.12~明31. 6.30 | 170日 |
| [第4次] | 明33.10.19~明34. 5.10 | 204日 |
| 在職通算日数 | 2,720日 | |
| 総理就任時年齢:44歳・50歳・56歳・59歳 | ||
近代日本人の肖像 |
伊藤博文 いとう ひろぶみ
山口生まれ。政治家、元老。父林十蔵は萩藩の下級藩士の養子となり、以後伊藤姓を名乗る。吉田松陰に師事し、松下村塾に学ぶ。木戸孝允、高杉晋作らと共に尊皇攘夷運動に挺身。明治4年(1871)岩倉遣外使節団に特命副使として参加。大久保利通の信頼を得る。大久保の死後内務卿を継ぎ、政府の中心的位置を確保。15年(1882)憲法調査のため渡欧。18年(1885)内閣制度を創設し初代内閣総理大臣に就任。大日本帝国憲法の制定を指導。枢密院議長、貴族院議長、首相(4度)、初代韓国統監等を歴任。42年(1909)ハルビン駅頭で韓国の独立運動家安重根により暗殺される。
- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 帝国憲法皇室典範義解 / 伊藤博文著 金港堂等, 1889 <YDM31757>
- 帝国憲法義解 / 伊藤博文著 国家学会, 明22.4 <YDM31742>
- 皇室典範義解 / 伊藤博文著 ; 国家学会編 国家学会, 明22.4 <YDM31539>
- 伊藤博文侯対清政策 / 伊藤博文述 ; 緒方常彰編 修学堂, 明31.12 <YDM29469>
- 伊藤侯演説集 / 伊藤博文述 日報社, 明32序 (日報社文庫 ; 1) <YDM27665>
- 維新風雲録 / 末松謙澄編 哲学書院, 明33.10 <YDM6418>
- 帝国憲法皇室典範義解 / 伊藤博文著 ; 平島及平漢訳 東亜同文書局, 明40.5 <YDM31758>
- 藤公詩存 / 伊藤博文著 ; 末松謙澄編 博文館, 明43.5 <YDM99853>
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
ウィキペディア |
伊藤博文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 13:34 UTC 版)
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いとう ひろぶみ
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|---|---|
| 生年月日 | 1841年10月16日 (旧暦天保12年9月2日) |
| 出生地 | |
| 没年月日 | 1909年10月26日(満68歳没) |
| 死没地 | |
| 出身校 | 松下村塾 |
| 所属政党 | 立憲政友会 |
| 称号 | 従一位 大勲位菊花章頸飾 公爵 名誉博士(イェール大学) |
| 親族 | 野村靖(岳父) 末松謙澄(娘婿) 松本十郎(義曾孫) 松本剛明(玄孫) |
| 配偶者 | 伊藤すみ子 伊藤梅子 |
| サイン | ![]() |
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| 内閣 | 第1次伊藤内閣 |
| 任期 | 1885年12月22日 - 1888年4月30日 |
| 天皇 | 明治天皇 |
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| 内閣 | 第2次伊藤内閣 |
| 任期 | 1892年8月8日 - 1896年8月31日 |
| 天皇 | 明治天皇 |
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| 内閣 | 第3次伊藤内閣 |
| 任期 | 1898年1月12日 - 1898年6月30日 |
| 天皇 | 明治天皇 |
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| 内閣 | 第4次伊藤内閣 |
| 任期 | 1900年10月19日 - 1901年5月10日 |
| 天皇 | 明治天皇 |
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| 任期 | 1890年10月24日 - 1891年7月21日 |
| 天皇 | 明治天皇 |
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その他の職歴
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(1873年 -1878年) |
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(1874年8月2日 -1874年11月28日) |
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(1878年5月15日 -1880年2月28日) |
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(1884年3月21日 -1885年12月22日) |
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(1890年7月10日 - 1891年7月) (1895年8月 - 1907年9月) (1907年9月 -1909年10月26日) |
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(1906年3月3日 -1909年6月14日) |
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(1868年5月23日 -1869年4月10日) |
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伊藤 博文(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家。諱は博文(ひろぶみ。「ハクブン」と有職読みすることもある)、幼名は利助(りすけ)、のち俊輔(春輔、舜輔)とも称した。号は「春畝(しゅんぽ)」、「滄浪閣主人(そうろうかくしゅじん)」など。「春畝公」と表記されることも多い。
周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、韓国統監府初代統監を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争に対処したことが特記できる。元老。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は公爵。学位は名誉博士(イェール大学)。
アジア最初の立憲体制[1]の生みの親であり、またその立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、現代に至るまで大変高い評価をされている。ハルビンで朝鮮独立運動家の安重根によって暗殺される。
目次 |
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- ^ 1876年発布のオスマン帝国憲法(ミドハト憲法)は大日本帝国憲法より13年早いが、2年後の1878年から1908年まで停止しており、また現在のトルコ共和国政府はトルコをヨーロッパの国であるとみなしている。
- ^ 現 山口県光市束荷字野尻
- ^ 塙次郎の子、塙忠韶は明治維新後政府から召しだされ大学少助教に任ぜられ、その後文部小助教、租税寮十二等出仕、修史局御用掛へと一旧幕臣でありながらと異例の出世を経験した。これについて司馬遼太郎は伊藤が後年自責の念から忠宝を礼遇したのではないかと推測している...「死んでも死なぬ」『幕末』収録より。
- ^ 朝日新聞 2008年6月3日付記事
- ^ 『伊藤博文と韓国併合』 青木書店
- ^ 2010年8月22日放送 7:00-7:45 NHK総合
- ^ 『実録 首相列伝』学研
- ^ 上垣外憲一『暗殺・伊藤博文』ちくま新書、2000年、大野芳『伊藤博文暗殺事件 闇に葬られた真犯人』新潮社、2003年、海野福寿『伊藤博文と韓国併合』青木書店、2004年
- ^ 私的蓄財はほとんどないとされていた伊藤だが、実は公債だけで14万円(2009年換算で約28億円)も溜め込んでいたことが明らかになっている。伊藤之雄『伊藤博文 近代日本を創った男』講談社、2009年
- ^ 以上引用『実録 首相列伝』学研より。
- ^ 大庭 みな子『津田梅子』朝日文芸文庫、朝日新聞社、ISBN 4022640130
- ^ 明治42年(1909年)松山での講演会での発言。
- ^ 『海南新聞』1909年(明治42年)3月18日号の記事によると、同年3月16日松山道後を訪れた伊藤博文は、歓迎会演説の中で自らの出自に就いて 「予ノ祖先ハ當國ヨリ出デタル者ニテ、伊予ニハ予ト同シク河野氏ノ末流多シト存スルガ、予ノ祖先ハ300年以前ニ於テ敗戰ノ結果、河野一族ノ滅亡ト共ニ中國ヘ移リタル者テ「通起(みちおき)」ト称シ慶長16年(1609年)5月26日ニ死歿シタルガ故ニ、明年ニテ恰モ300年ニ相当ス。彼ハ「林淡路守通起」ト称シ、予ハ其レヨリ第11代目ニ當レリ。「通起」ハ敗戰ノ後、毛利氏ヲ頼リタルモ、毛利氏モ當敗軍ニ属シ、頗ル艱難ヲ極メタル時ナルカ故ニ、遂ニ村落ニ埋歿シ落魄シテ、眞ニ僻遠ナルカ寒村ニ居住シ、其裔孫此処ニ存続シテ、今ヤ一族60餘軒ヲ算スルニ至レリ。予モ即チ其一人ニシテ、明年ヲ以テ齢70ニ達スルガ故ニ、恰モ周防ニ移リタル通起ノ歿後230年ニ出生シタルモノナリ。予カ父母ニ擁セラレテ萩ノ城下ニ出デタルハ僅ニ8歳ノ時ニシテ、爾来幾多ノ変遷ヲ経テ、今日ニ及ベリ。近來家系ノ事ニツイテ當國ノ諸君ガ頗ル調査ニ盡力セラレタル結果、周防移住以前ノ事蹟、大ニ明確ト成リタレハ、明年ハ周防ニオイテ親族ヲ参集シ、通起ノ為ニ300回忌ノ法要ヲ營ム心算ナリ。今次當地ニ於テハ、諸君ガ頗ル厚意ヲ以テ來遊ヲ歓迎セラレタルハ、右ノ縁故ニ基クモノトシテ、予ハ殊更ニ諸君ニ対シテ感謝ノ意ヲ表スル次第ナリ。顧フニ古來成敗ノ蹟ニ就テ考フレハ、予ガ祖先ハ當國ヨリ出デタルモノナレバ、當國ハ即チ祖先ノ故郷ナリ。今ヤ祖先ノ故郷ヘ歸リ來リテ斯クノ如ク熱誠ナル諸君ノ歓迎ヲ受ク。胸中萬感ヲ惹カザルヲ得ズ。加之、本日ハ諸君ガ我過失ヲ論ゼズシテ、唯々微功ヲ録セラレタルニ至テハ、深ク諸君ノ厚意ヲ心ニ銘シテ忘却セズ」と発言している。
- ^ 『日本の名家・名門 人物系譜総覧』 226、227頁
固有名詞の分類
| 第二次世界大戦前の日本の政治家 |
島田俊雄 青木一男 伊藤博文 近衞文麿 石井菊次郎 |
| 貴族院侯爵議員 |
東郷平八郎 伊達宗彰 伊藤博文 井上馨 前田利建 |
| 日本の内閣総理大臣 |
三木武夫 大隈重信 伊藤博文 山本権兵衛 海部俊樹 |
| 貴族院伯爵議員 |
中川久成 小笠原長幹 伊藤博文 上杉憲章 黒木三次 |
| 貴族院公爵議員 |
九条道孝 毛利元徳 伊藤博文 鷹司信輔 一条実輝 |
| 教育関係人物 |
モンテスキュー 平松隆円 伊藤博文 新島襄 グッゲンビュール |
| 将棋棋士 |
行方尚史 中座真 伊藤博文 佐藤庄平 関屋喜代作 |
| 日本の神 (人物神) |
永山武四郎 東郷平八郎 伊藤博文 児玉源太郎 藤田東湖 |
| 日本国歴代内閣 |
憲政党 大隈重信 伊藤博文 近衞文麿 第1次西園寺内閣 |
- 没後100年“狙ってた”小惑星に「伊藤博文」と命名(社会)スポーツニッポン
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