第1回帝国議会
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第1回帝国議会(だい1かい ていこくぎかい)は、1890年(明治23年)11月29日に開会された大日本帝国の帝国議会(通常会)。
注釈
- ^ 議院法では正副議長は衆議院の選んだ3名の候補のなかから天皇が任命することとなっているが、天皇は必ず最多得票者を任命するので実質的な公選制といってよかった[3]。
- ^ 貴族院では成年男子皇族が議席を有していたが、皇族の政治関与を避ける観点から出席しないことが慣例化した[3]。
- ^ ただし、民党の狙いは減税の実現というそのことよりは、実行困難な要求を突きつけて藩閥政府を追い詰めることにあったとの指摘がある[5]。実際問題として、軍事費・公共事業費・国債償還費を聖域として手を着けず、その上での予算削減による「民力休養」は数字の上では破綻していた[5]。予算委員会の査定案では官吏数削減を含む官制改変の必要なものが含まれており、予算は本来、法令を実施する結果であるはずなのに、予算を削減することで官制を改変するのは本末転倒であるとの見方を政府は示し、これには自由党土佐派(旧愛国公党系)からも政府同様の批判があった[5]。
- ^ 「土佐派」28名のなかには植木枝盛のすがたもあった[4]。左派の中江兆民は、これを「裏切り」ととらえ「衆議院かれは腰を抜かして、尻餅をつきたり…無血虫の陳列場。已(や)みなん、已みなん」と非難し、議員を辞職してしまった[4]。
- ^ 衆議院会派別所属議員数については、第36回帝国議会まで開院式当日の数字がないため、概数となる[10]。
- ^ 政府提出、明治24年法律第3号。
- ^ 衆議院発議、明治23年法律第108号。
- ^ 政府提出、明治23年法律第109号。
- ^ 衆議院発議、明治24年法律第2号。
- ^ 衆議院発議。
- ^ 衆議院発議。
- ^ 政府提出。
- ^ 衆議院発議。
- ^ 衆議院発議。
出典
- ^ 公文書にみる日本のあゆみ:明治23年(1890)11月 - 国立公文書館
- ^ a b c 色川(1974)pp.479-481
- ^ a b c d e f g h 佐々木(2010)pp.61-62
- ^ a b c d e f g h 色川(1974)pp.481-482
- ^ a b c 佐々木(2010)pp.64-65
- ^ a b c d e f g h 佐々木(2010)pp.65-66
- ^ a b 本の万華鏡 第28回 国会議事堂ができるまで 第1章 仮議事堂の変遷 - 国立国会図書館、2021年12月11日閲覧。
- ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945522/3
- ^ a b c d e 消防雑学事典 国会議事堂の火災原因をめぐり宣伝合戦 - 東京消防庁、2022年11月19日閲覧。
- ^ a b c 衆議院・参議院 1990, p. 1.
- ^ a b 衆議院・参議院 1990, p. 17.
- 1 第1回帝国議会とは
- 2 第1回帝国議会の概要
- 3 議席数
- 4 参考文献
- 5 関連項目
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