矢島作郎
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矢島 作郎(やじま さくろう、1839年3月5日(天保10年1月20日)[1] - 1911年(明治44年)11月7日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
山口県出身[2]。和学と漢学を修め、イギリスに留学し経済学を学ぶ。大蔵省に入り、紙幣助となる[2]。東京貯蔵銀行、大阪三軒茶屋紡績会社、東京電燈(株)を設立、重役となり[2]、周陽銀行取締役頭取を務めた[2]。ほかに正則英語学校を創立した[2]。
1889年の東京市会議員選挙に麻布区から立候補して当選した[3]。1891年、衆議院山口4区の補欠選挙で当選した。衆議院議員を1期務め、1892年の第2回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1911年に死去した。
栄典
- 1892年(明治25年)4月28日 - 日本赤十字社特別社員章[4]
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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