伊藤博文の冗談説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:11 UTC 版)
もみじ饅頭の起源には伊藤博文がかかわっていたという説があり、今日でも広く流布している。内容は ファイル:現在製造販売されている「元祖もみぢ饅頭」.jpg 現在製造販売されている「元祖もみぢ饅頭」 伊藤博文が岩惣の茶屋で休憩していた折、給仕した娘の手を見て「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、饅頭屋がこの話をヒントに考案した。 ファイル:元祖もみぢ饅頭のパッケージ.jpg 現在製造販売されている高津堂の元祖もみぢ饅頭の箱パッケージ というものである。伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上(厳島の項目を参照)、当時すでに総理大臣を辞して大勲位にあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、この説は広く受け入れられた。現在でも、大手もみじ饅頭メーカー(例えばやまだ屋:もみじ饅頭の由来 at the Wayback Machine (archived 2013年11月25日))や地元の宮島観光協会(宮島観光協会:もみじ饅頭)が由来として掲げるほど親しまれている説である。実際にはそのようなエピソードの記録は公式に残っているわけではない。前述の高津常助はこのあたりの状況を熟知していると考えられるが、伊藤とのつながりを認めたことはない(ただし否定したこともない)。そのため「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にとどまる。ただし高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤の定宿である岩惣の門前にあり、取引先の岩惣の依頼でもみじ饅頭を考案したのであって、高津と伊藤が互いを認識していた可能性はある。またマスコミや記録媒体が発達途上であったこの時代、休暇中の伊藤の冗談まですべて記録することには無理があり、この冗談もすべて創作と断じることはできない。
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