伊藤博文への忠告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:27 UTC 版)
「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事における「伊藤博文への忠告」の解説
伊藤博文は明治15年(1882年)に近代憲法の研究のためドイツに滞在し、同年8月28日にヴィルヘルム1世から陪食を許された。かつて軍制改革の予算をめぐってプロイセン衆議院と対立した苦い経験のあるヴィルヘルム1世はこの席上で「日本天子の為めに、国会の開かるるを賀せず」「其権(予算審議権)を国会に譲れば、内乱の基と知るべし」と述べて、議会は開かない方がよいこと、開いたとしても議会に予算審議権を認めてはならないことを力説した。これは伊藤にとっては「意外の言」であったという。 しかし伊藤は議会制導入をためらう兆しを見せなかった。伊藤の考えるところでは、国民なき国制のもとでは階級や民族、イデオロギーで引き裂かれて議会政治は機能しないが、国民精神の支柱が存在すれば機能し、日本には国民統合の支柱となる天皇が存在するため議会政治を根付かせることができるのであった。また議会は不安定な存在だが、議会が破綻した時に立憲君主が外から高権的に救済できる制度があれば無問題と考えていた(こうした伊藤の天皇観は恐らくヴィルヘルム1世よりもオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を投影したものと考えられる。彼は多民族国家の皇帝でありながら絶大な国民の敬愛を集めていた)。
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