伊藤博文暗殺事件への反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:44 UTC 版)
「夏目漱石」の記事における「伊藤博文暗殺事件への反応」の解説
1909年(明治42年)11月5日付の『満洲日日新聞』に掲載された漱石の随筆『韓満所感(上)』の記事において、伊藤博文の暗殺事件に触れており、「昨夜久し振りに寸閑を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認め出すと、伊藤公が哈爾浜で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有の兇変と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」 などとしたうえで「余の如き政治上の門外漢は(中略)報道するの資格がないのだから極めて平凡な便り丈(だけ)に留めて置く」などと書いており、伊藤博文の暗殺事件に対する感想が綴られている。
※この「伊藤博文暗殺事件への反応」の解説は、「夏目漱石」の解説の一部です。
「伊藤博文暗殺事件への反応」を含む「夏目漱石」の記事については、「夏目漱石」の概要を参照ください。
- 伊藤博文暗殺事件への反応のページへのリンク