伊藤友次
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寛永11年(1634年)生れ。「父友玄四十二歳ノ年友次二歳」(四十二の二つ子)に当たるため三木之次の養子となっていた。友玄死去の時、既に「三木之昌」として出仕していたが、頼房の命により伊藤家に戻った。頼房の第15女(那阿、松寿院、1649年-1709年)を妻とし、子は4男(友嵩、友益、2人は早世) 1女。書院番頭、大番頭等を経て、大老、家老となる。元禄3年(1690年)10月に家督を友嵩に譲っているが、その理由として、「水府系纂」には、「老衰ニ不及(およばざる)トイヘドモ頭髪脱落スルヲ以テ」とある。元禄7年(1694年)、61歳で死去。
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