伊藤友嵩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:29 UTC 版)
寛文5年(1665年)生れ。父同様に書院番頭、大番頭等を経て、宝永4年(1707年)に老中となった。正徳元年(1711年)に従5位下に叙され、「玄蕃頭」と称した(水戸における3代目の「玄蕃」)。享保6年(1721年)、57歳で死去。友嵩に男子がなかったので、末弟の友益が養子となり、家督を継いだ(同4代目の「玄蕃」)。「事実文編」巻27に安積覚(安積澹泊)の撰文による「故従五位下玄蕃頭伊藤君碑銘」が載っている。
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