伊藤博文内閣のもとで
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内閣総理大臣秘書官として、伊藤博文のもとで井上毅、伊東巳代治らとともに大日本帝国憲法・皇室典範、諸法典の起草にあたる。のちに憲法制定の功績により男爵となる。 その後、1889年(明治22年)から翌年にかけて、欧米諸国視察。帰国後、日本法律学校(現在の日本大学)初代校長就任。貴族院勅選議員、初代貴族院書記官長。さらに、国際公法学会会員としてスイス・ジュネーヴでの国際会議に出席。 それからは、第2次伊藤内閣の農商務次官、第3次伊藤内閣の農商務大臣、第4次伊藤内閣・司法大臣を歴任。
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