伊藤友親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:29 UTC 版)
寛永15年(1638年)生れ。友玄死去の時、伊藤家に残っていた唯一の男子であった。家督は兄・友次が継ぐことになったが、光圀が藩主となると、寛文2年(1662年)小姓に召し抱えられた。明敏忠直と評され、以後も栄進し、大老となる。元禄14年(1701年)、隠居し、「兼山」と号した。正徳4年(1714年)、77歳で死去。家督は、嫡男・友輔が継いだ。「事実文編」巻31に安積覚の撰文による「故執政兼山行状」が載っている。
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