ユーライアラス (蒸気フリゲート)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 06:16 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2021年4月) ( |
ユーライアラス(英語: HMS Euryalus)は、イギリス海軍の35門木造スクリューフリゲート。1853年にチャタム工廠で進水。排水量3,125トン、乗員515名。艦名はギリシア神話のエウリュアロスに由来する。ユーリアラスとカナ転写されることも。
概要
ユーライアラスは当初バルト海や地中海で任務についた後、生麦事件の発生した1862年9月14日に横浜に到着した。そして、1863年8月の薩英戦争と1864年9月の馬関戦争の際にオーガスタス・キューパー提督旗下の艦隊の旗艦を務めた。
薩英戦争の当時は、35門中17門が後装式のアームストロング砲だが、尾栓からのガス漏れ事故が多くその後使用が禁止された。それ以外にもカロネード砲を16門搭載していた。
馬関戦争では同艦の水兵ダンカン・ボイズがその武勇により17歳という若さでヴィクトリア十字章を授与されている。
関連項目
- アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公) - ヴィクトリア女王の次男。地中海での任務中の際、士官候補生として乗り込んでいた。
- ユーライアラス_(蒸気フリゲート)のページへのリンク