ユーライアラス (軽巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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ユーライアラス (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 16:12 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1937年10月21日
進水 1939年6月6日
就役 1941年6月30日
退役 1954年9月19日
除籍 1954年11月
その後 1959年解体
性能諸元
排水量 基準:5,600トン
満載:6,850トン
全長 156m
全幅 15.4m
喫水 4.3m
機関 アドミラリティ式三胴型重油専焼水管缶 4基
パーソンズ式オール・ギヤードタービン4基
4軸推進 62,000shp(46 Mw)
最大速力 32.25ノット
航続距離 30ノット/1,500カイリ(2,414km
16ノット/4,240カイリ(6,824km)
燃料 重油 1,100トン
乗員 480名
兵装
(竣工時)
5.25インチ連装砲 5基
4インチ単装砲 1門
0.5インチ4連装機関銃 2基
2ポンド4連装ポムポム砲 3基
21インチ3連装魚雷発射管 2基

ユーライアラス (HMS Euryalus, 42) は、イギリス海軍軽巡洋艦ダイドー級

艦歴

1937年10月21日起工。1939年6月6日進水。1941年6月30日竣工。

1941年9月、地中海マルタへの補給作戦(ハルバード作戦)に参加。ジブラルタルに帰投後、喜望峰まわりでアレクサンドリアへ向かう。11月にアレクサンドリアに着き、地中海艦隊の第15巡洋艦戦隊に加わった。以後地中海で活動し、第1次シルテ湾海戦(1941年12月)、第2次シルテ湾海戦(1942年3月)、ヴィガラス作戦(1942年6月)、コークスクリュー作戦(1943年6月)、ハスキー作戦(1943年7月)、アヴァランチ作戦(1943年9月)などに参加した。

1943年10月にイギリスに戻り、1944年7月まで改修工事を受けた。

ノルウェー沖で作戦を行う護衛空母の護衛に従事したあとインド洋へ向かい、1945年1月に太平洋艦隊に加わった。同月スマトラ島の製油所空襲(メリディアン作戦)に参加し、それから太平洋で対日戦に参加した。

戦後イギリスに戻り予備役となる。1948年に再就役し、地中海や南大西洋に配備された。1954年に退役し、その後解体された。

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