主な事故・事件
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1982年には東京都八王子市で歯科医師からフッ化物洗口用のフッ化ナトリウムと間違えてフッ化水素酸を歯に塗布された女児が死亡する医療事故が発生した。(八王子市歯科医師フッ化水素酸誤塗布事故) 2012年には韓国の化学工場でヒューマンエラーによりフッ化水素酸が漏出し、5人が死亡、4000人を超える健康被害が起きた(慶尚北道フッ化水素酸漏出事故)。 2013年1月と5月、韓国のサムスン電子華城事業場でフッ酸の漏出事故が相次いで発生し、合わせて1人が死亡7人が負傷した。 2013年3月、静岡県でフッ酸を塗られた靴を履いた女性が、足の壊疽(えそ)を起こし、5本の指すべてを切断する重傷を負う事件が起きた。これは故意に塗られたもので、犯人は殺人未遂容疑で逮捕された。検察の判断で傷害罪に切り替えて起訴され、傷害罪で有罪判決を受けた。 2015年8月、神戸市東灘区の民間の産業廃棄物処理施設で、山口組総本部からごみとして出されていたポリタンクに入っていたフッ化水素酸の液体から気化したガスを吸って、作業員ら14人が軽症を負う事故が発生。 2020年6月、東京都千代田区神田須田町2の路上でフッ化水素酸と思われる液体250mLが路上にこぼれていた。そのため、周囲約100メートルを通行止めにし、ガスマスクを付けた東京消防庁の化学機動中隊員らが2時間以上かけて処理した。けが人はいなかった。
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主な事故・事件
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「マクドネル・ダグラス MD-80」の記事における「主な事故・事件」の解説
2015年3月までに、DC-9スーパー80を含むMD-80シリーズの主な事件・事故は66件発生し、合計1446人が死亡している。そのうち、機体損失事故は35件、ハイジャックは10件発生しているが、ハイジャックによる死者はいない。 MD-80の最初の機体損失事故は、1980年6月19日、DC-9-81の試験飛行中に発生した。油圧系統が失われても安全に着陸できることを実証する試験で、着陸時に滑走路を逸脱した。この事故では、乗員3名は全員無事だった。 MD-80シリーズで最初の死亡事故は、1981年12月1日に発生した。ユーゴスラビア(現・スロベニア)のリュブリャナからフランス・コルシカ島のアジャクシオに向かっていたイネックス・アドリア航空のDC-9-81が、コルシカ島のサン・ピエトロ山に墜落し、乗員7人と乗客173人の全員が死亡した。CFITによる事故とされる(イネックス・アドリア航空1308便墜落事故)。1988年6月12日には、アウストラル航空のDC-9-81が、濃霧で視界不良のなかでアルゼンチンのポサーダスに向けてアプローチ中に墜落し、乗客乗員22人全員が死亡した(アウストラル航空46便墜落事故)。 MD-82 (DC-9-82) の最初の死亡事故となったのは、1987年8月16日に起きたノースウエスト航空255便墜落事故である。米国内線に就いていた事故機がデトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港を離陸したところ、操縦士が高揚力装置を展開し忘れていたため失速し、制御を失い墜落した。乗員6名、乗客155名のうち生存者は乗客1名のみで、地上にいた2人も巻き込まれて死亡した。2008年8月20日にも、同様にMD-82で高揚力装置を展開しないまま離陸しようとして墜落し、乗客乗員172人中154人が死亡した、スパンエアー5022便離陸失敗事故が起きている。 MD-82の着陸失敗による最初の死亡事故は、1993年10月26日に発生した中国東方航空5398便着陸失敗事故(英語版)である。中国東方航空のMD-82が、福州長楽国際空港への着陸に失敗して滑走路をオーバーランし、胴体が3つに分断されて乗客乗員80人のうち乗客2人が死亡した。同年11月13日には、中国北方航空のMD-82がウルムチ空港への着陸に失敗し、乗客乗員102人のうち乗員4人と乗客8人が死亡している(中国北方航空6901便墜落事故)。その後もMD-82の着陸失敗による死亡事故が発生している。1999年6月1日、アメリカン航空のMD-82が、雷雨の中でリトルロック・ナショナル空港(現・ビル・アンド・ヒラリー・クリントン・ナショナル空港(英語版))への着陸に失敗してオーバーランし、機体が大破・炎上した。この事故で、乗客乗員145人のうち、乗員1人と乗客10人が死亡した(アメリカン航空1420便オーバーラン事故)。2004年11月30日、インドネシアのアディスマルモ国際空港でライオン・エアのMD-82が着陸に失敗、滑走路をオーバーランして機体前部が大破した。この事故で、乗客乗員163人のうち、乗員2人と乗客23人が死亡した(ライオン・エア583便着陸失敗事故(英語版))。2007年9月16日、タイのワン・トゥー・ゴー航空が運航するMD-82が、悪天候の中プーケット国際空港への着陸に失敗し、滑走路をオーバーランして林に突っ込み大破炎上した。この事故で、乗客乗員130人のうち乗員5人、乗客85人が死亡した(ワン・トゥー・ゴー航空269便着陸失敗事故)。 このほか、MD-82では、2002年5月7日には中国北方航空6136便放火墜落事件が発生している。北京発大連行の中国北方航空機が大連沖に墜落したもので、事故機からは墜落前に客室内で火災が発生したとの報告があり、中国政府の事故調査チームは「乗客の放火による破壊事件」だったと発表している。また、2005年8月16日にはウエスト・カリビアン航空708便墜落事故が発生しており、パナマからカリブ海のマルティニークに向けて飛行中のウエスト・カリビアン航空のMD-82が、エンジン推力の低下後に失速して制御不能に陥り、ベネズエラ西部に墜落した。乗客と乗員160人全員が死亡した。 MD-83の最初の死亡事故は、2000年1月31日に発生したアラスカ航空261便墜落事故である。メキシコのプエルト・バジャルタからサンフランシスコへ向けて飛行していたアラスカ航空261便が制御不能に陥り、カリフォルニア州沖の太平洋に墜落した。調査の結果、推定事故原因は、不適切な整備によって水平尾翼のトリム調整機構が故障したためとされている。 次に発生したMD-83による死亡事故は、2007年11月30日のアトラスジェット4203便墜落事故(英語版)である。トルコのアトラスジェットが運航するMD-83が、ウスパルタの空港へ着陸直前に空港付近の山林に墜落し、乗客乗員57人全員が死亡した。事故時にブラックボックスが正しく機能していなかったことが判明しているが、専門家らによる調査では操縦ミスが事故原因と見られている。2012年6月3日には、ナイジェリアのダナ・エアが運航するMD-83がムルタラ・モハンマド国際空港へアプローチ中に、操縦士から両エンジンが停止したとの報告があり、エンジン再起動を試みたもののそのままラゴスの人口密集地に墜落した。この墜落で、機体は複数の建物に激突し、乗客乗員153人全員と地上にいた10人が死亡した(ダナ・エア992便墜落事故)。2014年7月24日、アフリカのワガドゥグーからアルジェに向かっていたアルジェリア航空のMD-83が、マリ南部に墜落し、乗客乗員116人全員が死亡した(アルジェリア航空5017便墜落事故)。 2015年現在で、MD-87の死亡事故はリナーテ空港事故の1件である。2001年10月8日、濃霧に包まれたイタリアのミラノ・リナーテ空港で、スカンジナビア航空のMD-87が離陸滑走中に、滑走路に侵入したセスナ サイテーションと衝突した。衝突により機体に損傷を受けたMD-87は、僅かに上昇したものの、空港内の貨物施設に衝突・炎上した。この事故で、MD-87とセスナ機の乗客乗員110人全員と地上施設で巻き込まれた4人が死亡した。 同じく2015年現在で、MD-88の死亡事故も1件である。1996年7月6日、米国のペンサコーラ国際空港(英語版)で離陸態勢に入ったデルタ航空のMD-88の左エンジンが異常を起こし、飛び散った金属片が客室内を直撃して2人が死亡、5人が負傷した(デルタ航空1288便エンジン爆発事故)。
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主な事故・事件
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2017年1月現在、A300が関係した航空事故および事件は73件報告されており、その中には34件の機体損失事故と30件のハイジャックが含まれる。死者を伴う事件・事故は15件発生しており、合わせて1,435人が亡くなっている。 A300の最初の機体損失事故は1982年3月17日にイエメンのサヌア国際空港で発生した。カイロ国際空港行きのエールフランス125便が離陸滑走中にエンジンが破損し、飛び出した破片が燃料タンクを突き破り火災が発生した。この事故で乗客乗員124人の内乗客1人が負傷したが死者は出なかった。機体は修理不能と判断され登録抹消となった。 A300の最初の死亡事故は、1987年9月21日に発生した。ルクソール国際空港に着陸しようとしていたエジプト航空のA300B4-203が滑走路を700メートル超過して墜落した。同機には乗客は搭乗していなかったが乗員5人全員が死亡した。 A300の事故・事件のなかで最も多くの犠牲者が発生したのはイラン航空655便撃墜事件である。1988年7月3日、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦が発射したミサイルによってイラン航空のA300B2-200が撃墜され、乗客と乗員合わせて290人全員が死亡した。そのほか100人以上の犠牲者が発生した事故には、1992年9月28日に発生したパキスタン国際航空268便墜落事故、1994年4月26日に発生した中華航空140便墜落事故、1997年9月26日に発生したガルーダ・インドネシア航空152便墜落事故、1998年2月16日に発生したチャイナエアライン676便墜落事故、2001年11月12日に発生したアメリカン航空587便墜落事故がある。このうち、パキスタン国際航空268便とガルーダ・インドネシア航空152便の事故はA300B4によるもので、それ以外はA300-600Rによる事故である。 A300が巻き込まれた最初のハイジャック事件は、1976年9月27日に発生したエンテベ空港奇襲作戦である。エールフランスのA300B4-203がハイジャックされエンテベ国際空港に着陸した。人質が空港の旧ターミナルに移された後、イスラエル軍による救出作戦が実施されたが人質3名が死亡した。
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主な事故・事件
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2014年10月現在、757が遭遇した航空事故・ハイジャックは合計24件で、うち8件は機体損失事故である。7件の墜落と11件のハイジャックにより、合わせて574人の乗員・乗客が死亡した。757が関係する最初の死亡事故は1990年10月2日に発生した1990年広州白雲空港衝突事故である。ハイジャックされた厦門航空の737が中国の広州白雲国際空港で着陸に失敗し、離陸のために待機していた中国南方航空の757に衝突し、乗員・乗客122名のうち46名が死亡した。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件ではハイジャックされたアメリカン航空77便が米国のバージニア州アーリントンにあるペンタゴンに激突し、搭乗者64人全員と地上にいた125人が死亡したほか、同じくハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルベニア州シャンクスヴィルの郊外に墜落し、搭乗者44人全員が死亡した。詳細は、アメリカン航空77便テロ事件およびユナイテッド航空93便テロ事件を参照。 ヒューマンエラーが関係する事故も起きており、1995年12月20日に、飛行制御装置に誤った入力がされ、飛行コースを外れたアメリカン航空965便がコロンビアのカリ近郊の山に衝突し、4名が負傷、乗客151名と乗員8名が死亡した(アメリカン航空965便墜落事故)ほか、2002年7月1日には、航空交通管制のトラブルによって、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ユーバーリンゲン上空でDHLの757とバシキール航空のツポレフTu-154が空中衝突を起こし、757の乗員2名とTu-154の69名が死亡した(ユーバーリンゲン空中衝突事故)。機体の整備が不適切であったためにパイロットが自機の状態を見失い事故に至った例としては、1996年2月6日、ドミニカ共和国プエルト・プラタで発生した189名の乗員乗客全員が死亡したバージェン航空301便墜落事故と,、1996年10月2日にペルーのリマ近海で発生し搭乗者70名全員が死亡したアエロペルー603便墜落事故がある。バージェン航空の事故に関しては、事故機が長期間駐機された際にピトー管に異物が入り込むのを防ぐためのカバーを装着されていなかったことが判明している。一方、アエロペルーの事故では、ピトー管の静圧孔に貼られた保護テープを剥がし忘れていた。 757の後方乱気流が原因とされる事故も発生しており、2機のプライベート機が墜落した。1992年12月18日、セスナ サイテーションがモンタナ州ビリングス・ローガン国際空港の近くで墜落し、搭乗者6名全員が死亡、また、1993年12月15日にはIAI ウェストウィンドがカリフォルニア州のジョン・ウェイン空港の近くで墜落し、搭乗者5人全員が死亡した。両機とも、757の後方3海里(5.56キロメートル)以内を飛行していた。この後、FAAは、小型機が757の直後を飛行する際は4ないし5海里(7.14ないし9.26キロメートル)の間隔をとるよう規制を変更した。 1999年9月14日には、スペインのジローナ・コスタ・ブラバ空港の近くで、ブリタニア航空の226A便が激しい雷雨の中で墜落し、胴体が複数に分解したが、搭乗者245名全員が救助された。2010年10月25日には、アメリカン航空の1640便が米国のマイアミからボストンへ向けて高度31,000フィート(およそ9,500メートル)を飛行中に0.61メートルにわたり胴体の一部を損失したが、無事にマイアミ空港に引き返した。この件について調査が行われた後、FAAは米国で757を運航している航空会社に対して、定期的に胴体上部に対して構造疲労に関する点検を行うように指示を行った。
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主な事故・事件
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2017年10月現在、717に関して5件の航空事故・事件が発生しているが、機体損失事故および死亡事故に至ったものはない。事故の内訳は、降着装置の前輪に異常があり胴体着陸した事故が1件、地上走行中に小型機と衝突した事故が1件、ハイジャックが1件などである。
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主な事故・事件
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「マクドネル・ダグラス MD-90」の記事における「主な事故・事件」の解説
2017年10月現在、MD-90に関する航空事故および事件は3件発生している。いずれの事故でも、機体損失となっており、その内の1件で乗客1名が死亡している。 死亡事故は、1999年8月24日に台湾の花蓮空港で発生した。ユニー航空(立栄航空)873便(MD-90-30)が着陸後に地上走行していたところ、座席上の手荷物入れで爆発が起き、火災が発生した。乗客乗員96名のうち1名が死亡、27名が負傷した。事故原因は、乗客が家庭用の漂白剤および柔軟剤の容器に入れたガソリンを機内へ持ち込み、漏れ出して揮発したガソリンが、同じく機内に持ち込まれたバイクのバッテリの火花で引火したためと推定されている。 詳細は「ユニー航空873便火災事故」を参照 2件目の機体損失事故は、2009年3月9日に発生した。インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港へ着陸したライオン・エア793便(MD-90-30)が滑走路をオーバーランした。乗員乗客172人が搭乗していたが死者はなかった。 3件目の機体損失事故は、2009年5月8日に発生した。サウジアラビアのリヤド国際空港へ着陸したサウジアラビア航空9061便(MD-90-30)が滑走路をオーバーランし、左主脚を破損した。火災は発生しなかったものの、機体は全損扱いとなった。
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主な事故・事件
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2019年3月現在、A330が関係した航空事故および事件は38件報告されている。全損事故は7件で、そのうちの3件が死亡事故で合わせて338人が死亡している。 A330の最初の死亡事故は1994年6月30日にトゥールーズ近郊で発生した。エンジン1基停止時の飛行試験を行っていたエアバス所有のA330-300が離陸直後に墜落し、乗っていた7人全員が死亡した(エアバス・インダストリー129便墜落事故)。事故後、エアバスはA330の運航会社に対し、低速でエンジンが停止した場合には自動操縦を解除するよう勧告した。 A330の2番目の死亡事故で、商業運航中における初の死亡事故となったのは、2009年6月1日に発生したエールフランス447便墜落事故である。リオデジャネイロからパリへ向かって飛行中のA330-200が大西洋上に墜落し、乗客乗員228人全員が死亡した。この事故の死者数は、A330による事故のなかで最も多く、エールフランス史上でも最大である。フランス当局による最終報告書では、事故原因は、ピトー管の凍結により正しい速度表示が得られなくなったことと、その後の操縦士の対処が適切でなかったことにあるとされた。 2010年5月12日には、リビアのトリポリ国際空港で、南アフリカのヨハネスブルク発のアフリキヤ航空のA330-200が着陸直前に墜落した。乗客乗員104名のうち8歳の少年1人を除く103名が死亡した。リビア当局の調査により、事故原因はパイロットの連携不足によるとされた(アフリキヤ航空771便墜落事故を参照)。この事故はA330でエールフランス447便墜落事故に次いで2番目に死者数の多い事故である。 A330では、死者はなかったものの飛行中に機体が機能不全に陥ったインシデントが3件発生している。 2001年8月24日、エア・トランザットのA330-200がカナダのトロントからポルトガルのリスボンへ向けて大西洋上を飛行中に燃料漏れが発生し、その後燃料切れのため全エンジンが停止して滑空状態になったが、アゾレス諸島テルセイラ島のラジェス空軍基地に緊急着陸に成功した(エア・トランザット236便滑空事故)。事故の前に行われたエンジン交換で誤った配管部品が用いられたことで燃料パイプに亀裂が発生し、燃料漏れにつながったとされる。 2008年10月7日には、カンタス航空のA330-300がシンガポールからオーストラリアのパースに向けて飛行していたところ、高度が突然変化したことで客室内に投げ出された乗客・乗員に重傷者が発生し、西オーストラリア州のエクスマウス(英語版)に近い空軍基地に緊急着陸した(カンタス航空72便急降下事故)。事故後の調査により、事故原因はエア・データ・イナーシャル・リファレンス・ユニット(英語版) (ADIRU) と呼ばれる装置に欠陥があり、それに起因する問題に飛行制御コンピュータが対応できなかったこととされた。 2010年4月13日には、インドネシアのスラバヤから香港へ向かっていたキャセイパシフィック航空のA330-300が、左右のエンジン出力が制御できなくなり、通常の着陸速度よりも時速177キロメートル以上高速で着陸している(キャセイパシフィック航空780便事故)。 また、2019年8月27日、北京から東京国際空港へ向かう予定だった中国国際航空のA330-343X型機(B-5958)が、北京首都国際空港で貨物室が炎上し、大破した。負傷者はなかった。 A330は2件のハイジャックに巻き込まれている。 2000年5月25日、フィリピンのダバオからマニラに向かっていたフィリピン航空のA330が武装した男に乗っ取られた。男は機内で金品を奪った後、高度約1,800メートルから手製のパラシュートをつけて飛び降りたが、目撃証言によるとパラシュートが開かなかったとされ、犯人は翌日遺体で発見された(フィリピン航空812便ハイジャック事件(英語版))。 2000年10月13日、ベルギーのブリュッセルからコートジボワールのアビジャンに向かっていたサベナ・ベルギー航空が男にハイジャックされ、スペインのマラガに着陸した後、スペイン警察によって犯人が制圧された。 2009年12月25日には、ノースウエスト航空便としてオランダのアムステルダムから米国のデトロイトに向け飛行していたA330-300で爆破未遂事件が起きた。ナイジェリア人の男が下着に隠していた爆発物を着陸直前に爆破させようとしたが、乗客や乗員に取り押さえられ未遂に終わった(デルタ航空機爆破テロ未遂事件)。 そのほか、2000年3月15日には、北京発クアラルンプール行きのマレーシア航空のA330-300に虚偽の申告によって腐食性薬品である塩化オキサリルが積み込まれ、クアラルンプール国際空港への到着後に薬品の漏出が発覚した。薬品により胴体が深刻な損傷を受け、機体は廃棄された。 また、武装勢力の襲撃や戦闘に巻き込まれ、駐機中のA330が破壊される事件も起きている。2001年7月24日、スリランカのバンダラナイケ国際空港が武装勢力タミル・イーラム解放のトラによる襲撃を受け、駐機中だったスリランカ航空の2機のA330-200と1機のA340-300が破壊された。また同じく駐機中だった1機のA340-300と2機のA320も損害を受けた(バンダラナイケ国際空港襲撃事件)。2014年7月には、リビアのトリポリ国際空港周辺で発生した武装勢力同士の戦闘により、同空港に駐機中の航空機が破壊され、この中にはリビア航空のA330が複数含まれると報告されている。
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主な事故・事件
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「フェアチャイルド メトロ」の記事における「主な事故・事件」の解説
アビエーション・セーフティー・ネットワークのデータベース(2022年2月27日現在)によると、「メトロ」シリーズの事故・事件は機体損失に至ったものが139件、死者数は累計で256人とある。うち、最初の死亡事故は1975年4月14日発生のマグナボックス(貨物便)の墜落事故(死者2名)、最悪の死亡者数を出したのは1988年2月8日発生のニュルンベルク・フルクディンスト108便墜落事故(死者21名)、2022年2月27日現在で直近のものは2021年12月10日発生のキャッスル・アビエーション(英語版)CSJ921便(貨物便)の墜落事故(死者1名)、となっている。ほかにハイジャックが1件発生している。死亡事故を中心とした主な事件・事故は下表の通り。 死亡事故を中心とした主な事故・事件一覧(シリーズ機を含む)発生日機種運航者・便名乗員乗客数死亡者数概要1975年4月14日 SA226-AT マーリンIV マグナボックス(貨物便) 2 2 霧のなか、アメリカ合衆国ノースカロライナ州にあるサザンパインズ・パインハースト空港へのビジュアルアプローチに失敗。滑走路手前0.5マイル(0.8km)付近に墜落。 1978年11月6日 SA226-AT マーリンIV タイ王国空軍 N/A 5 タイ王国にあるサコンナコーン空港からの離陸に失敗、同空港付近に墜落。 1980年6月12日 SA226-TC メトロII エア・ウィスコンシン(英語版) 965便 15 13 アメリカ合衆国ミネソタ州にあるミネアポリス=セントポール国際空港を出発し、ネブラスカ州リンカーン空港(英語版)に向けて飛行中、激しい雷雨に遭遇。左右のエンジンとも多量の雨水を吸い込んで停止。エンジンの再始動には成功するが態勢を立て直せず、ネブラスカ州ダグラス郡バレー(英語版)付近に墜落。生存2名も重傷を負った。「エア・ウィスコンシン965便墜落事故」も参照 1982年7月14日 SA226-AT マーリンIV 南アフリカ空軍 8 8 南アフリカ共和国ウォータークルーフ空軍基地(英語版)へ着陸のためのベース・レグ中、ランセリア国際空港離陸直後のパイパー PA-31ナバホ(英語版)と空中衝突、プレトリア南方に墜落した。 1982年12月7日 SA227-AC メトロIII パイオニア・エアラインズ(貨物便) 2 2 アメリカ合衆国コロラド州プエブロ・メモリアル空港(英語版)への航空監視レーダーによる着陸進入(ASR APCH)中、水平飛行のまま同空港の南南西32km付近の原野に衝突。国家運輸安全委員会の調査によると、副操縦士の体調急変(検死にて気管支・肺に吐瀉物)、機長の不注意(夜間における高度確認不十分)と推定された。「:de:Flugunfall einer Swearingen Metro der Pioneer Airlines」も参照 1984年1月30日 SA226-TC メトロII ブリット・エアウェイズ(英語版)(回送便) 3 3 アメリカ合衆国インディアナ州エバンズビル・ドレス地域空港(英語版)への回送のため、同州テレホート・ハルマンフィールド空港(英語版)を離陸した直後、同空港の南南西3kmに墜落。原因は解明できなかった。 1986年5月2日 SA227-AC メトロIII ホライゾン航空QX2318便 15 0 アメリカ合衆国オレゴン州にあるメドフォード・ジャクソン郡空港を離陸し、ポートランド国際空港へ向けて飛行中、乗客の1名が、乗員の背中に硬いもの(のちのワイボトルの口と判明)を突き付け、「南に向かえ。火炎瓶(incendiary device)も持っている」と脅迫し、機はハイジャックされた。給油のために立ち寄ったヒルズボロ空港(英語版)にて、交渉の末、乗客を開放、その際にスキをみて乗員も脱出、機内にただ一人残されたハイジャック犯は逮捕となった。ハイジャック犯は、火炎瓶ほか、武器は一切持っていなかった。 1986年5月7日 SA226-AT マーリンIV バークレー・エアラインズ(貨物便) 1 1 アメリカ合衆国モンタナ州にあるビリングス・ローガン国際空港の滑走路27(西向き)に着陸するよう進入するも途中で断念(進入復行)、滑走路09L(反対側、東向き)への着陸に切り替えるが、回頭後、同空港の北西11km付近に墜落、炎上。滑走路27(西向き)への進入は、ILSローカライザーバックコース(設定されている方向とは逆方向からの進入)であった。国家運輸安全委員会の調査によると、検死と既往歴から、墜落当時、機長は心血管疾患により操縦不能に陥っていたとされた。 1987年1月15日 SA226-TC メトロII スカイウェスト航空1834便 8 8 アメリカ合衆国ユタ州にあるソルトレイクシティ国際空港へ着陸進入中、同州ソルトレイク郡カーンズ(英語版)付近の高度7,000フィート(2,134m)で、ムーニーM20(英語版)と空中衝突。ムーニーM20のソルトレイクシティ空港レーダーサービスエリアへの無許可進入、および同機側の注意不足が原因とされた。「スカイウエスト航空1834便空中衝突事故」も参照 1987年4月23日 SA226-TC メトロII エア・リフト・コミューター(貨物便) 2 2 アメリカ合衆国ノースカロライナ州ウィルミントン・ニューハノバー郡空港(英語版)滑走路(7,002フィート=2,134m)を離陸中(ローテーション速度到達直後、3,000フィート(914m)地点)、右エンジンが破損、炎上、そのまま飛行を続け、150フィート(46m)まで上昇した後に降下、同空港南側3,000フィート(914m)付近に墜落。右エンジンの第3静翼(3rd stage stator assy)は最新の溶接手順・検査が行われておらず、アンコンテインド・フェィラー(uncontained failure。エンジン外部に破片が飛び散る故障・破損)の原因となったとされた。また、機体のスペックからは、滑走路の(エンジンが破損した地点より先の)残り部分で、安全に着陸できたのではないか、と指摘された。 1988年1月19日 SA227-AC メトロIII トランス・コロラド航空(英語版)2286便 17 8 アメリカ合衆国コロラド州デュランゴ・ラプラタ・カウンティ空港(英語版)への最終進入中、同空港の北東8km付近で地面に衝突。副操縦士による規定を超える急降下と、機長(コカイン服用)による監視不十分、が原因とされた。「トランス・コロラド航空2286便墜落事故」も参照 1988年2月8日 SA227-AC メトロIII ニュルンベルク・フルクディンスト(ドイツ語版)108便 21 21 ドイツにあるデュッセルドルフ空港へ最終進入中に落雷。全電源喪失、制御不能の状態で降下する中、機体が空中分解し、ケトヴィッヒ(英語版)の北2km付近に墜落。雷雨発生を事前に把握していたにもかかわらず同区域の回避を怠ったこと、全電源喪失により計器・フラップなどが使用できなかったこと、などが原因とされた。「ニュルンベルク・フルクディンスト108便墜落事故」も参照 1988年2月11日 SA226-TC メトロII エア・ナイアガラ(英語版)(貨物便) 2 2 カナダオンタリオ州にあるハミルトン・ジョン・C・マンロ国際空港へ向けて飛行、降下中、制御不能となり、オンタリオ湖に墜落。 1988年2月19日 SA227-AC メトロIII AVエアー3378便 12 12 アメリカ合衆国ノースカロライナ州にあるローリー・ダーラム国際空港を離陸後、同空港の西1.5km付近、同州ケーリーにある貯水池に墜落。「副操縦士の計器読み誤り、機長の飛行監視不十分、うまく作動しなかった失速回避システム(SAS)とその対応」などが原因とされたが、のちに「乗組員が適切な飛行経路を維持できなかったこと、その背景として、AVエアーの乗組員訓練・運行管理が不十分であったこと、連邦航空局のAVエアーに対する監督が不十分であったこと」に修正された。「AVエアー3378便墜落事故」も参照 1988年11月18日 SA226-TC メトロII エール・リトラル(英語版)440便 4 4 モンリュソン・ゲレ空港(英語版)を離陸直後、機首が下がり、降下、滑走路端から600m付近の茂みに墜落、炎上した。離陸直後の十分に上昇していない高度で失速回避システム(SAS)のスティック・プッシャー(英語版)機能(失速兆候を検知すると自動で操縦桿を押し出して仰角を抑えようとする装置)が作動したことが原因と推定された。「:de:Air-Littoral-Flug 440」も参照 1989年9月26日 SA227-AC メトロIII スカイリンク・アビエーション(英語版)070便 7 7 カナダブリティッシュコロンビア州にあるテスラ空港(英語版)への着陸において、滑走路15(南南東向き)へ進入も断念、進入復行を試みるが失速、滑走路西側に墜落し炎上した。滑走路等の位置視認が不十分なまま進入復行点を超えて進入を続けた(進入復行が遅れた)こと、進入復行手順が守られていなかったこと、などが原因とされた。 1991年2月1日 SA227-AC メトロIII スカイウェスト航空5569便 12 12 アメリカ合衆国カルフォルニア州にあるロサンゼルス国際空港において航空交通管制の許可を受けて滑走路24Lで離陸待機中、こちらも管制の許可を受けて滑走路24Lに着陸してきたUSエアー1493便が衝突し、使われていない元空港消防署の建物に両機とも激突、炎上した。USエアー機側も乗客乗員89名中、22名が死亡した。当時、管制は他機への対応で混乱しており、滑走路24Lに関して離陸待機と着陸進入とを同時に許可するという管制のミスにつながった。背景として、航空交通管制において冗長性確保が不十分であったとされた。「ロサンゼルス国際空港地上衝突事故」も参照 1992年8月25日 SA227-AC メトロIII ローンスター・エアラインズ(英語版)(テスト飛行) 3 3 耐空性改善通報87-02-02に基づき交換されたフライト・コントロール・ケーブルのテストの為、アメリカ合衆国アーカンソー州ホット・スプリングス・メモリアル・フィールド空港(英語版)を離陸するも、右旋回ののち、同空港の南西1km付近に墜落した。原因はケーブル交換時の設置不良で、補助翼が操作と逆に作動する様に結線されていた。 1993年8月17日 SA226-TC メトロII アビエーション・サービシズ(回送便) 2 2 降着装置を下ろし忘れたまま、アメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード・ブレイナード空港 (英語版)に着陸進入。プロペラが滑走路に接地したのち、着陸復行を試みるも、隣接するコネチカット川に墜落、沈没した。なお、以前のフライトにおいては、高速運航時の降下中に降着装置に関する警報装置が鳴らないようにスイッチが切られていたケースもあった。 1994年3月9日 SA226-AT マーリンIV ジェットクラフト(貨物便) 1 1 オーストラリアニューサウスウェールズ州にあるアーミデール空港(英語版)からタムワース空港(英語版)へ計器飛行方式により高度6,000フィート(1,829m)での飛行を計画していたが、高度6,000フィート、同7,000フィートは他機が使用していたため、機長は高度4,500フィート(1,372m)での有視界飛行方式による飛行が可能と判断し、切り替えた(なお、計器飛行方式による最低安全高度は5,400フィート(1,646m)だった)。タムワース空港よりビジュアルアプローチの許可を得て、高度4,500フィートから降下を開始するが、同空港の北東15km付近の山地(海抜2,685フィート=818m)に激突、炎上した。なお、事故当時、この地域は雲が低く垂れ込め、雨が降っていた。 1994年6月13日 SA226-TC メトロII Aero Cuahonte(旅客便) 9 9 メキシコウルアパン空港(英語版)(視界4海里=7.4km、天候曇り)への着陸に関し、管制は計器着陸方式を指示するも、同機側はビジュアルアプローチを主張。滑走路02(北北東向き)へのビジュアルアプローチを2回繰り返すも断念(進入復行)、左旋回し滑走路20(反対側、南南西向き)からのビジュアルアプローチに切り替えようとするが、同空港の北西5.9km付近の山(海抜3,937フィート=1,200m)に激突した。決められていた手順では、左旋回ではなく、右旋回をしなければならなかった。 1995年5月1日 SA227-CC メトロ23 ベアスキン航空362便 3 3 カナダオンタリオ州にあるスー・ルックアウト空港に向けて飛行中、同空港を離陸し上昇中であったエア・サンディ3101便(パイパー PA-31 ナバホ(英語版))と、同空港の北西12海里(22km)、高度4,500フィート(1,372m)で空中衝突し、墜落。エア・サンディ3101便側も乗員乗客5名全員が死亡した。両機とも、フライト・サービス・スペシャリスト(英語版)からの直接の注意喚起はなく、また空中衝突防止装置(TCAS)非搭載で、回避可能な距離では相手機を探知できなかったとされた。。「:de:Flugzeugkollision bei Sioux Lookout」も参照 1995年9月16日 SA227-AC メトロIII タムエア(訓練飛行) 3 2 オーストラリアニューサウスウェールズ州にあるタムワース空港(英語版)にて、型式移行訓練の一環として、夜間に「V1カット」(離陸決心速度に到達後に片側エンジン停止)訓練を行ったところ、離陸直後に墜落、炎上した。原因としては、片側エンジンを停止させたのちも降着装置を下したままの状態であったこと、V2速度(安全離陸速度)を維持できず機体が降下しているのにも関わらず訓練を中止しなかったこと、などとされた。また、推力が不均衡な状態での飛行を、視覚的な情報収集がほとんでできない夜間に行うことの危険性についての、航空会社、規制当局の認識不足も併せて指摘された。 1997年12月13日 SA226-TC メトロII サービシオ・アエレオ・ヴァルガス・エスパーニャ(旅客便) 19 10 ラ・ベルティエンテ空港(英語版)を離陸時にエンジンが故障、滑走路から300mの付近に墜落した。 1998年2月18日 SA226-TC メトロII Ibertrans Aérea(貨物便) 2 2 バルセロナ=エル・プラット空港を離陸した9分後、管制に連絡の上で同空港に引き返すことになった(理由は明示せず)。同空港への着陸進入中に進入経路の左側に逸脱、同空港の西4km付近の保育園敷地に激突、炎上した。霧・視程2㎞と視界が良くなかったこと、降下角度(6-8度)が不適切であったこと、当日の乗務状況から乗員が疲労していた可能性が有ること、左エンジンが不調であった可能性が有ること、といった点が原因とされた。 1998年6月18日 SA226-TC メトロII プロップエア(英語版)420便 11 11 カナダケベック州にあるモントリオール・ドルバル国際空港を離陸時に、左車輪のブレーキが掛かったままの状態で滑走したため(滑走が左側に撚れるため右ラダーをあてていたが、左車輪のブレーキが掛かったままの状態であったことに乗員は気づいていなかった)、過熱により左翼降着装置収納部・エンジンナセルで火災が発生、主油圧システム喪失、左エンジン停止、ロール制御困難の状態となった。同州モントリオール・ミラベル国際空港への緊急着陸を試みるが、着陸間近(short final)、滑走路上空で左翼が上向きに折れて(火災により剛性が低下していた)、墜落、炎上した。「メトロ」に関して過去にブレーキの過熱・火災が数多く報告されていたが、注意喚起や対応手順の情報提供といった対応が不十分であった、などと指摘された。「プロップエア420便墜落事故」も参照 1998年7月28日 SA227-AC メトロIII スウィフトエア704便 2 2 教習飛行(instruction flight。副操縦士が左側の機長席、機長が右側席で監督・指導)を実施していた貨物便。目的地であるスペインのバルセロナ=エル・プラット空港にて、片肺(右エンジン停止)状態での進入復行の教習を行うが、失速、左右に激しくロールしたのちに、同空港付近に墜落、炎上した。片肺、降着装置展開、フラップ中程度、低空の状況で、過度に低速となり失速、機体制御不能となったとされた。 2000年11月9日 SA226-TC メトロII Superior Aviation(貨物便) 1 1 アメリカ合衆国インディアナ州フォート・ウェイン市営空港(英語版)を離陸後、左旋回しながら2,479フィート(756m)まで上昇し、左旋回のまま下降、地表に激突、炎上した。副操縦士がいないワンマン乗務、夜間、低雲底の状況下、右翼のAC配電系統が故障し、機長一人では対応できなかったことが原因とされた。 2001年2月8日 SA227-AT マーリンIVC ノーザン・イリノイ・フライト・センター(エアタクシー) 6 2 連邦航空規則パート135に基づくエアタクシー。アメリカ合衆国ミシガン州ビーバー島空港(英語版)へ夜間に計器進入(英語版)(非精密進入)で旋回中、同空港の南西1.74海里(3.2km)付近に墜落した。同空港は気象報告設備(weather reporting station)が無く、その場合、連邦航空規則パート135に基づくエアタクシーは「計器進入不可」とされており、またビジュアルアプローチを行うにも「到着予定時刻の当該空港の気象状況(予報)が有視界気象状態(英語版)だと地域予報および周辺空港からの報告があること」が条件とされていた。一方で本件飛行前の気象ブリーフィング時では飛行経路は計器気象状態(英語版)、着陸進入前の近隣気象予報では雲底高400-500フィート(122-152m)、視程5-7マイル(8-11km)といったものだった。加えて、副操縦士は本型式を操縦する資格を取得していなかった。 2001年10月10日 SA226-AT マーリンIVA フライトライン(スペイン語版)101便 10 10 スペインのバルセロナ=エル・プラット空港からアルジェリアのオラン・エス・セニア空港に向けて計器飛行方式で飛行中、乱気流を伴う激しい雷雨に遭遇、スペインコルンブレテス諸島の北西18.5km付近の地中海に墜落した。直接的な原因は特定されなかったが、状況及び過去の事例から、落雷により電気系統を全喪失し、機体制御が出来ずに墜落した、と推定された。「:de:Flightline-Flug 101」も参照 2001年10月11日 SA226-TC メトロII ペリメーター・エアラインズ962便 3 2 カナダシャマタワ空港(英語版)へ夜間に着陸進入するも、高度が十分に下がっておらず、また十分に減速できておらず、進入復行を行うこととなった。その後、同空港から1km付近のムスケグ(英語版)(泥炭地)に墜落した。原因は、体重力錯覚により、飛行状況の認識が出来なくなった可能性が高く、適切な上昇角の設定や維持がなされなかった、と推定された。 2002年4月12日 SA227-AC メトロIII Tadair306便 2 2 スペインにあるパルマ・デ・マヨルカ空港への着陸進入に際し、ベースレグからファイナルへ急旋回(旋回半径350m、バンク角50度)するが、曲がり切れず(滑走路軸から150m超過)、そのまま旋回を続行するも、右翼端が滑走路に接地し墜落、炎上した。夜間・低高度での超急旋回といった標準的手順にはない着陸進入を行ったことが原因とされ、失速、旋回時の横滑りにより、機体の降下を制御できなかったと推定された。 2003年7月19日 SA226-TC メトロII ライアン・ブレイク・エア・チャーター 14 14 ケニアのナイロビにあるウィルソン空港(英語版)を出発し、途中、上空から見学する為にケニア山を一周し、サンブル国立保護区(英語版)にあるサンブル空港(英語版)に向かう予定だったチャーター便。ケニア山に向けて、雲の中を飛行中、ケニア山第三峰レナナ峰の東斜面16,000フィート(4,877m)付近に激突、機体はバラバラとなり、炎上した。乗員はこの空域・飛行ルートに不慣れで、また視界が悪い中、周囲の地形と機体の現在位置の状況認識が十分にできていなかったこと、管制ほか関連各所とのコミュニケーションが不十分であったことが原因として指摘された。 2003年11月29日 SA227-AT マーリンIVC アメリフライト(英語版)1966便 1 1 メインILS受信機(NAV1)が不調で利用不可(サブILS受信機=NAV2は正常)の状態で、アメリカ合衆国ワシントン州にあるフェルツ・フィールド空港(英語版)(標高1,957フィート=596m)への着陸進入を行った。天候は曇りで雲底高400フィート(122m)。方位に関しては特段問題無く、レーダーの軌跡からは、同空港のローカライザーを受信の上で正確にトレースしていたと思われる。高度に関しては、モードCの高度情報によると、高度4,100フィート(1,250m。この時点ではグライドスロープの上方に位置)からグライドスロープ角度(マイナス3.5度)を超える降下率で降下。グライドスロープ下方に大きく逸脱していた高度2,800フィート(853m)段階で管制より低高度の警告を受けるも、その13秒後に同空港の東5.5km付近に接地し、墜落した。後の調査で、NAV1はILS周波数に、NAV2はスポケーンVORTAC(同空港の南西14海里=26km、方位は機首方向のやや右)周波数に、設定されていた可能性が高いとされた。 2004年5月5日 SA227-AC メトロIII Aerotransporte Petrolero 7 5 コロンビアにあるアントニオ・ロルダン・ベタンクール空港(英語版)に着陸進入中、対地接近警報装置7回作動(対処無し)、障害物間隔高以下への降下などが発生した後、高度200フィート(61m)で片側エンジン故障(適切な対処無し)。失速警報装置が作動するが対処できず、降着装置展開、フラップ最大展開の状態で失速、滑走路の300フィート(91m)手前に墜落した。「:de:Flugunfall einer Swearingen Metro der Aerotransporte Petrolero」も参照 2005年5月3日 SA227-AC メトロIII エアワーク(英語版)23便 2 2 ニュージーランドのオークランド国際空港発、ウッドボーン空港行きの貨物便。離陸前に570リットル(1,000ポンド=450kg)の燃料を全量左翼タンクに補給した(給油時に左右のバランスを取らないのは会社の慣例であった)。離陸後、オートパイロットが作動している中、左右バランス調整の為、ラダートリムコントロールを使用し、大きくサイドスリップしながら飛行することとなった。その直後(バランス調整開始から約47-48秒後)、ラダートリムによるロールを、オートパイロットでは補正・制御できなくなり、オートパイロットが自動解除、急激にロールし錐揉み状で急降下することとなった。態勢の回復が出来ないまま降下が続き、降下途中で機体が空中分解、ストラトフォードの東6km付近の農村地帯に墜落した。「:en:Airwork Flight 23」も参照 2005年5月7日 SA227-DC メトロ23 エアロトロピクス・エア・サービシズ(英語版)675便 15 15 オーストラリアにあるロックハート・リバー空港(英語版)へ、RNAV(GNSS)アプローチ(広域航法(衛星測位システム)進入方式。非精密進入)にて着陸進入中、同空港の北西11-12km付近の山に激突、炎上した。同空港の天候(予報)は雲底1,000フィート(305m)のほぼ曇天(broken10 cloud)で、機長は飛行前に「悪天候で着陸できない可能性」に言及していた。最終進入点(FAF)やや手前の地点、高度3,000フィート(914m)から降下(降下率は最終的に1,700ft/min=518m/min)を開始、最終進入点での高度は2,379フィート(725m。本来は2,860フィート=872m必要)、そのまま降下を続け、高度1,210フィート(369m)で山に激突するに至った。なお、副操縦士はRNAV(GNSS)アプローチを行う資格を持っていなかった。オーストラリアでは1968年の墜落事故(26名死亡)以降では最悪の民間航空機事故となった。「:en:Lockhart River air disaster」も参照 2006年2月8日 SA226-TC メトロII TriCoastal Air(貨物便) 1 1 アメリカ合衆国テキサス州にあるバレー国際空港への飛行中、乗員より「搭載燃料が左右翼でバランス不均衡となっており、高度を下げ、最寄りの空港に向かう」との交信(許可)の1分後、「メーデー」が6回発信されたのを最後に交信途絶、ほぼ垂直に降下し、テネシー州パリス(英語版)近郊に墜落、爆発炎上した。燃料系統の調査は出来ず、原因は特定されなかった。 2008年4月9日 SA227-AC メトロIII エアテックス・アビエーション(英語版)(貨物便) 1 1 オーストラリアにあるシドニー国際空港を離陸後、乗員からの「若干の技術的な障害が発生」との連絡を最後に、レーダーから機影消失。同空港の南東19km付近の海中の長さ1.2km、幅0.4kmの範囲から残骸が発見された。調査によると、交流電源系統の故障や、姿勢参照システムやオートパイロットが動作していなかった可能性が指摘され、その対応に追われ空間識失調を引き起こし、機体の制御が出来ず墜落した、と推定された。 2011年2月10日 SA227-BC メトロIII マンクス2 7100便 12 6 イギリス北アイルランドのジョージ・ベスト・ベルファスト・シティ空港発、アイルランドのコーク空港行きの旅客便。副操縦士がパイロット・フライング(英語版)(PF。主に操縦担当)を、機長がパイロット・ノン・フライング(PNF。主に計器確認、通信を担当)を担っていた。濃霧のコーク空港への着陸に際し、低視程下での地上体制(Low Visibility Procedures。LVP)が採られる中、滑走路17へのILS進入(カテゴリーII)を試みるも断念(進入復行)、逆側となる滑走路35へのILS進入に切り替えるが、こちらも進入復行となる。天候回復を待つため24分ほどの上空待機ののち、滑走路視距離(RVR)が回復基調にあるとして、滑走路17への再進入を行うこととなった。適切な視程が得られていないまま着陸決定高(DH)以降も進入を継続。高度100フィート(30m)以下となったところで機長(PFP担当)が着陸復行を指示し副操縦士(PF担当)は了解するも、態勢を立て直せず(左右エンジンの出力差が大きく生じる様なスラストレバーの不適切な操作あり。左右に大きくロールしていた)、右翼端が滑走路に接触、仰向けの状態で墜落した。なお、マンクス2の航空運送事業許可では、認められるILS進入カテゴリーはカテゴリーIのみであった(カテゴリーIIでの進入は不可)。「マンクス2 7100便着陸失敗事故」も参照 2011年9月6日 SA227-BC メトロIII アエロコン(英語版)238便 9 8 ボリビアにあるテニエンテ・ホルヘ・エンリチョ・アラウス空港(英語版)への着陸に際し、視界が悪い中、計器進入(英語版)(非精密進入)を行っていたが、同空港の北西8km付近のジャングルに墜落した。なお、同機のVOR受信機は故障中であった。「:en:Aerocon Flight 238」も参照 2012年6月6日 SA227-AC メトロIII エア・クラス航空(英語版)(貨物便) 2 2 ウルグアイのカラスコ国際空港発、アルゼンチンのエセイサ国際空港行きのDHL貨物便。飛行中、ラプラタ川のモンテビデオ河岸近くのフローレス島の南1.5km付近の水中に墜落した。機体の残骸は約1か月半後に発見され、調査の結果、着氷や、AC電源系統の故障の可能性が指摘され、各種計器の不作動・誤作動により状況認識が困難になり、姿勢制御不能に陥り墜落した、と推定された。また、整備不備(プロペラなど多くの装備で書類上と現物が相違、古い整備マニュアルを使用など)も指摘された。 2012年12月22日 SA227-AC メトロIII ペリメーター・アビエーション(英語版)PAG993便 9 1 カナダにあるサニキルーアク空港(英語版)への着陸に際し、滑走路09(東向き)へビジュアル・アプローチを行うも断念(進入復行)、反対側からの滑走路27(西向き)への無指向性無線標識(NDB)による非精密進入も断念、再度の滑走路09(東向き)への進入も断念、2回目の滑走路27(西向き)へのNDBによる非精密進入を行うこととなった。進入復行点通過後に滑走路目視、急降下させるが、速度・高度超過の状況で滑走路途中まで来ており、着陸が出来たとしてもオーバーランは不可避と判断し、滑走路上空20-50フィート(6-15m)のところで着陸復行に転じた。しかし、上昇を維持できずに、滑走路の先525フィート(160m)地点に墜落した。2か所の代替空港候補はそれぞれ悪天候、燃料不足で利用できず、本空港への着陸が必須の状況であったことなど、乗員に過度のプレッシャーが掛かり、手順通りの対応や、適切な打開策検討などが出来なかったことが原因の一つとされた。 2013年11月3日 SA227-AC メトロIII アエロコン(英語版)25便 18 8 ボリビアにあるリベラルタ空港(英語版)(天候:雨、南風7ノット、視程3,000m)への着陸に際し、管制の許可を受けて滑走路32(北西向き)へ侵入するが、着陸直前に右旋回、右翼が接地し、滑走路右側に仰向けの状態で墜落、炎上した。悪天候で視界不良だったことが原因の一つとされた。 2013年11月10日 SA227-AC メトロIII ベアスキン航空JV311便 7 5 カナダにあるレッド・レイク空港(英語版)への最終進入中、高度(150m)で乗員が機体不調を認識し緊急事態を宣言、再上昇を図るも失速、左ロールの状態で左翼が接地、同空港の南0.8km付近に墜落、炎上した。「機体不調」は左翼エンジンの第1タービン・ブレードの破損であったが、乗員は状況詳細把握に至らなったと推定され(エンジン故障から墜落まで56秒)、所定の手順(エンジン停止、フェザリング実施)は取っていなかった。また着陸態勢(フラップ、降着装置展開)を取っていたこともあり、失速、態勢の回復が不可能な状況となり墜落した、とされた。 2013年12月2日 SA227-AC メトロIII IBCエアウェイズ(英語版)405便 2 2 ドミニカ共和国のラス・アメリカス国際空港を発し、プエルトリコのルイス・ムニョス・マリン国際空港に向けて飛行中に連絡が途絶、急降下する途中に空中分解し、プエルトリコラ・アリアンザ(オランダ語版)の南南西2km付近に墜落した。調査の結果、急降下の要因は断定できなかったが、乗員の操縦に起因する可能性が高いとされ、急降下中の強い機体引き起こしに主翼・水平尾翼が耐えられず上向きに折れ、空中分解に至ったとされた。「:de:IBC-Airways-Flug 405」も参照 2015年4月13日 SA226-TC メトロII カーソン・エア66便 2 2 カナダにあるバンクーバー国際空港を発し、プリンス・ジョージ空港に向けて飛行中、離陸の約7分後にレーダーから機影が消失、レーダー上では高度は8,700フィート(2,652m)から5,000フィート(1,524m)まで急降下していた。捜索の結果、ノースバンクーバーの北11km付近のノース・ショア山脈(英語版)の山中、標高2,953フィート(900m)で機体の残骸が発見された。調査の結果、原因不明の急降下に機体が耐え切れず空中分解に至ったとされた。また、機長の血中アルコール濃度(0.24%)や遺体解剖(肝臓に病変)から、機長はアルコール中毒で、酒気帯びでの搭乗だったと考えられ、このことが事故に至る一因であることはほぼ確実とされた。「:en:Carson Air Flight 66」も参照 2015年6月2日 SA226-TC メトロII エアロナベスTSM(英語版)(テスト飛行) 5 5 メキシコにあるケレタロ国際空港(英語版)を離陸、高度9,000フィート(2,743m)に達したのち、機体制御不能に陥り急降下、同空港の南西11km付近に墜落、炎上した。調査では機体の異常は発見されず、機体制御が不能になった原因の特定はなされなかったが、乗員の操縦に起因する可能性が高いとされた。。 2016年10月24日 SA227-AT マーリンIVC CAEアビエーション(英語版) 5 5 フランス国防省の麻薬・人身売買監視任務を行うため、マルタ共和国にあるマルタ国際空港を離陸した直後に墜落、炎上した。離陸後も機首が上がり続け、ピッチ角34度に達したところで失速(パワーオンストール)、右側に大きくロールしほぼ反転、最終的にはピッチ角マイナス(機首下げ)38度、右70度バンクの姿勢で地面に激突した。機首が上がり続けた原因は、「HFアンテナ(胴体と垂直尾翼を結ぶケーブル)が破損、昇降舵に巻き付き、機首上げ方向で固定されてしまった」、「失速回避システム(SAS)の誤作動」、「昇降舵操作系統(ケーブルほか)の故障」の可能性が指摘され、とりわけ「昇降舵操作系統の故障」が最も妥当な説明とされた。「:en:2016 Malta Fairchild Merlin crash」も参照 2016年12月5日 SA227-AC メトロIII キー・ライム・エア(英語版)LYM308便 1 1 アメリカ合衆国フロリダ州にあるノースウエスト・フロリダ・ビーチズ国際空港(英語版)を発し、ジョージア州のサウスウエスト・ジョージア地域空港(英語版)へ向けて飛行中に悪天候に遭遇、乗員からは「ルートを変更しフロリダ州のタラハシー国際空港(英語版)に向かう」との連絡が有った。高度7,000フィート(2,134m)から3,700フィート(1,128m)へ降下したのちにレーダーから機影が消失し、連絡も途絶、ジョージア州カミラ(英語版)の東南東5.5km付近で機体残骸が広範囲に散乱しているのが発見された。悪天候により、乗員が空間識失調の状態に陥り、機体のコントロールが出来なくなり、空中分解に至ったとされた。「:de:Key-Lime-Air-Flug 308」も参照 2021年5月12日 SA226-TC メトロII キー・ライム・エア(英語版)KG970便 1 0 アメリカ合衆国コロラド州にあるセンテニアル空港(英語版)の17L滑走路への最終進入中、同空港の17R滑走路へ着陸進入中(ベースレグからファイナルへの右旋回中で17L滑走路側に行き過ぎていた)であったシーラスSR22と空中衝突。メトロは胴体後部の天井部分が大破し、尾翼も損傷したが、同空港に無事(人的被害無し)に着陸した。シーラスは制御不能となったが、シーラス・エアフレーム・パラシュート・システム(英語版)を作動させ、機体ごとパラシュートで空港外に不時着し、こちらも人的被害はなかった。詳細については国家運輸安全委員会にて調査中である。「:en:2021 Centennial Airport mid-air collision」も参照 2021年12月10日 SA-226AT マーリンIV キャッスル・アビエーション(英語版)921便 1 1 アメリカ合衆国ニューハンプシャー州にあるマンチェスター・ボストン地域空港への着陸進入中、同空港の南西0.6km付近に墜落した。乗員からはエンジン故障との連絡があった。詳細については国家運輸安全委員会にて調査中である。。
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主な事故・事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 03:55 UTC 版)
「ボンバルディア CRJ」の記事における「主な事故・事件」の解説
2019年6月現在で、CRJファミリーの機体損失に至った事故・事故は24件で、内訳はCRJ100/200/440が19件、CRJ700とCRJ900が各2件、CRJ1000は0件である。 死者を伴う事故・事件はCRJ100/200のみで起きており16件の事故で164人が死亡し、1件のハイジャックで1人死亡している。以下に主な事故を示す。 1993年7月26日、ボンバルディア・エアロスペース388便として運航されていたCRJ100が、アメリカのカンザス州バイヤーズに墜落した。訓練飛行中の同機には機長と副操縦士、及びエンジニアの3名が搭乗していたが全員死亡した。 詳細は「ボンバルディア・エアロスペース388便墜落事故」を参照 2004年10月14日、ピナクル航空(現・エンデバー航空)3710便として運航されていたCRJ200が、アメリカのミズーリ州ジェファーソン・シティ近郊の住宅地に墜落した。回送飛行中であったため乗客や客室乗務員はおらず、機長および副操縦士の2名が死亡した。 詳細は「ピナクル航空3701便墜落事故」を参照 2004年11月21日、中国東方航空5210便として運航されていたCRJ200が、中華人民共和国内モンゴル自治区の包頭市内に墜落し、乗客乗員と地上にいた2人を合わせて55人が死亡した。 詳細は「中国東方航空5210便墜落事故」を参照 2006年8月27日、アメリカのケンタッキー州レキシントンにあるブルーグラス空港でコムエアー5191便が離陸に失敗し、乗客乗員50人のうち49人が死亡した。事故機体はアメリカ国家運輸安全委員会の報告書ではCRJ100と記載されているが、CRJ200とする報道もある。 詳細は「コムエアー5191便離陸失敗事故」を参照 2011年4月4日、コンゴ民主共和国の首都であるキンシャサのヌジリ国際空港で、CRJ100が着陸中に墜落した。当該機は国際連合(国連)により運航され、PKO部隊の隊員や国連スタッフら33人が搭乗していたが、32人が死亡した。 詳細は「en:2011 United Nations Bombardier CRJ-100 crash」を参照 2013年1月29日、カザフスタン南部のアルマトイで、SCAT航空のCRJ200が墜落し、乗客16人と乗員5人の計21人全員が死亡した。 詳細は「SCAT航空760便墜落事故」を参照 2016年1月8日、スウェーデン北部 ノールボッテン県 アッカ湖付近でウエスト・エア・スウェーデンのCRJ200PF貨物機が墜落し、乗員2名全員が死亡した。 詳細は「ウエスト・エア・スウェーデン294便墜落事故」を参照
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