主な事故や事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:50 UTC 版)
DC-8やコンベア880と同じく、ジェット機の安全対策に関する知識が未熟な黎明期に開発・製造された機種であるため、現代に運航される機種に比べると航空事故や重大インシデントは比較的多かったといえる。しかし、これらの原因究明と度重なる改善・改良によって得られた知見は、今日の安全性向上に大きな役割を果たしている。 1961年2月15日:サベナ・ベルギー航空548便(707-320)、ブリュッセル国際空港着陸直前に機体制御を失い墜落。世界フィギュアスケート選手権の開催地に向かっていたアメリカ合衆国代表の選手らを含む73人死亡。この事故の影響でこの年の世界フィギュアスケート選手権は中止となった(サベナ航空548便墜落事故)。 1962年6月3日:エールフランス007便(707-328)、パリのオルリー国際空港の離陸に失敗し滑走路をオーバーラン。130人死亡(エールフランス007便離陸失敗事故)。1966年に全日空羽田沖墜落事故(乗客乗員133名死亡)が発生するまで、単独機としては世界最悪の事故であった。 1966年3月5日:英国海外航空(BOAC)911便(707-420)、富士山上空で山岳乱気流に揉まれ空中分解・墜落。124人死亡(英国海外航空機空中分解事故)。 1968年12月26日:パンアメリカン航空799便(707-321C)、アラスカ州エルメンドルフ空軍基地を離陸直後にフラップの出し忘れと、警報システムの故障のために墜落した。乗員3人死亡。 1973年7月11日:ヴァリグ・ブラジル航空820便(707-320)、パリのオルリー空港への着陸進入中に機内で火災が発生、不時着を試みたが空港近辺に墜落した。124名が死亡。(ヴァリグ・ブラジル航空820便墜落事故) 1974年1月30日:パンアメリカン航空806便(707-320)、アメリカ領サモア諸島トゥトゥイラ島パゴパゴに着陸進入中にウィンドシアーが原因でパゴパゴ空港手前に墜落した。97人死亡。(パンアメリカン航空806便墜落事故) 1974年9月:オランダでハーグ事件を起こした日本赤軍メンバーが逃走に使用。 1978年4月21日:大韓航空KAL902便(707-320)、ソ連領空を領空侵犯し、ソ連空軍機に空対空ミサイルで攻撃されムルマンスク半島の凍結湖に不時着。死者2人(大韓航空機銃撃事件)。 1979年1月30日:ヴァリグ・ブラジル航空967便(707F)、成田空港を離陸後太平洋上で行方不明になる。原因不明。5人死亡。なおこの時の機長は上記の820便の事故で生還した人物であった(ヴァリグ・ブラジル航空967便遭難事故)。 1987年11月29日:大韓航空858便(707-320)、アブダビからバンコクへ向かう途中、ベンガル湾上で北朝鮮の工作員によって爆破された(大韓航空機爆破事件)。なお、当時の時刻表によると、この便はバグダッド発アブダビ・バンコク経由ソウル行で、使用機材がマクドネル・ダグラス DC-10だったが、この日は同機材に機材変更がなされていた。 1990年1月25日:アビアンカ航空52便(707-320)、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に着陸進入中、ニューヨーク州コープ・ネックに燃料切れのため墜落。73名が死亡(アビアンカ航空52便墜落事故)。
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